ざっくり解説 時々深掘り

新型コロナワクチン接種にはブレーキがかかるだろうと思う理由

カテゴリー:

新型コロナワクチンの接種が二回終わり「新型コロナワクチン接種は今後進まなくなるだろうな」と思った。いくつか理由がある。

Follow on LinkedIn

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで

|サイトトップ| |国内政治| |国際| |経済|






第一の理由はワクチンがいつ打てるかわからないという人の存在がある。原因は政府の指導力不足と情報開示の稚拙さだ。忙しい現役世代ほどワクチン接種枠探しに飽きてしまうだろう。

高齢者はワクチンさえ打てれば助かると信じていてワクチンに殺到した。これは国の政策が関係している。かつて三種混合ワクチンが義務化されていた時代がある。この時に常識を刷り込まれた世代はワクチンは打たなければならないものだと思っている。

だが若者はそうではない。さらに、若年層がいつ打てるようになるかはわからない。国がワクチン供給計画を出さないせいで地方自治体が見込みを示さないかである。社会的協力意識の高い人はそれでも定期的にチェックするだろうが次第に脱落する人たちが出てくるはずである。「10月にならないと接種できないかもしれないから定期的にチェックしてくれ」などと言われても継続的に空き枠をチェックするほど人々は辛抱強くも暇でもない。

ウエイティングリスト登録にインセンティブでもつけて「ご準備が整いました」という案内でも流さなければこの問題は解決できそうにないが、今の国や地方自治体にそこまでのサービス精神はない。

次の理由はワクチン接種に伴う痛みとリスクだ。ワクチン接種が進むにつれて摂取にはリスクが伴うことが周知されてゆくだろう。一人ひとりの犠牲はそれほどでもないので社会全体の便益と比べると「軽いもの」ではあるのだが、犠牲がないとまでは言えない。

実際に自分で経験してみて「これは結構きついなあ」と思った。二回目のワクチン接種が終わって熱が出たのだ。倦怠感が広がるという程度で高熱とまでは言えないのだがそれなりにきつかった。これをSNSに乗って拡散するかもしれないし人づてに知る人もいるだろう。

モデルナのワクチンについて発熱の様子を伝えている人がいた。この人はCAさんなので職場で義務化されているのかもしれない。

どうやらこれは副反応ではなく正常な反応らしい。抗体を作る過程で発熱するのだ。私の場合熱は24時間後に始まりおよそ12時間続いた。

予め調べておいたコールセンターに連絡したところ「食べられなくなったり飲めなくなったりしたら解熱剤を飲むなり病院に行って欲しい」と言われた。だいたい40%くらいの人が発熱を経験し3日くらい続くこともあるそうだ。テレビCMで尾身会長が「発熱がある場合があります」としつこく流している意味がよくわかった。

この経験をQuoraで書いたところコメント欄で心無い書き込みをもらった。これが第三の理由である。

一つは何万件に一回しかない副反応を大げさに書き立てるとは何事だというクレームだった。40%という情報を出しているのだがろくに読まないで書き込む人がいるのだ。

次のコメントは「注射が怖くて言い訳をしているんだろう」というものだった。ワクチンを打ったから発熱しているわけだが、そんな因果関係も読み取れない人がいるのだ。二人とも速攻ブロックしたがかなり不快な気持ちになった。

この二人はブロックしたのだがその後にも同じような書き込みがあった。つまりワクチン接種を強要したい人がいる。そしてこういう人は人の書いた文章をろくに読んでいない。

ここで必要なのは「大変でしたね」という労いの言葉なのだが殺伐とした日本社会にはSNSで思いやりの言葉を伝えようなど人はいないようだ。むしろ「ワクチンを打てばなんとかなる」とか「ワクチンを他人に強要しないと大変なことになる」いう人が大勢いるのだろう。共感性も読解力もない人ほど他人に自分の価値観を強要したがるのだ。

ワクチン信仰の怖いところはそれが容易に同調圧力につながるところである。もともと高齢者は「ワクチンは打つものだ」と思っている。そして菅総理のワクチン一点がけによって基本的なマインドセットができている。さらに高齢者の中には抗体反応が十分でなくしたがって症状を経験しない人がいるものと思われる。例えば上司がたまたまワクチン接種で発熱しなかったとする。おそらく「発熱したから休みたい」という人がいた場合「大げさだ」ということになるだろう。こうした接種後のハラスメントもおそらくワクチンを忌避する理由になるだろう。

私は厚かましいので「こういう時は労いの言葉をかけるのが一般常識であろう」というようなことを書いて回った。すると少数ではあるが「大変でしたね」と言ってくれる人が出てきた。だがそんな人ばかりではない。

では合理的な理由で人々を説得してはどうかと思う。ワクチン接種が必ずしも救世主になるとは限らないという点である。二つの異なる情報が出ている。イスラエルではデルタ株に対してファイザーのワクチンは効果的ではないようだという知見が出ているそうだ。重症患者の60%がすでに接種していた人だったそうである。三回目接種というアイディアも出ているのだという。

一方、カリフォルニア州はこれをあまり認めたくないようである。もちろんデルタ株も問題なのだがワクチンさえ打っておけば既存の新型コロナウイルスには効果的なのである。つまり「どうせ全部のコロナに聞かないなら打っても無駄だ」という人が出てくるのを恐れているのであろう。このカリフォルニア州の情報を流しているテレビ局もあった。

とにかく動的に変化しているので「昨日の正解が今日も正解である」とは限らない。日本の場合にはこれに政府の極めて稚拙な情報発信や他人への思いやりの欠如という独自の要素が加わる。

おそらく「ワクチン接種一点がけ」という菅総理の目論見は外れることになるだろう。

デルタ株が60%を占めるまでになった東京の感染速度はこれまでの1.5倍程度に加速しているようだ。すでに接種した高齢者はワクチンを打たない若者を非難するだろうが発熱などの犠牲を払いたくない若者は「どうせ関係ないから」と打たないということが考えられる。ただし「ワクチンを打たない」などというと非難されるのでおそらく対話は進まず説得も難しくなるだろう。

他人への労いの気持ちを忘れ分断が進む日本社会は、ワクチンを巡っても言い争いが繰り広げられることになるのかもしれない。お互いが助け合ってリスクを分かち合うような社会を作らない限りコロナを克服することなどできない。だから対話を軽んじる菅政権を変えない限り新型コロナ対策に成功することなどないのだろうが、それに代わる政治勢力がなかなか出てこない。今年の冬も厳しいものになるのかもしれない。

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です