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小池百合子東京都知事と演劇型自己愛社会

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小池百合子東京都知事が入院した。過労による声枯れだった。いつ戻ってくるのだろうかと思っていたのだが選挙直前の金曜日に出てきて「私は倒れても構いませんから」と言い、次の日には自分が娘のようにかわいがっている都民ファーストの会の候補の応援に入ったそうだ。結果的に自民党は大勝せず都民ファーストも大敗しなかった。自民党も刺激せず都民ファーストを見捨てたという印象にもならなかった。

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「小池百合子さんは詐病だ」というようなことを言う人がいる。あまりにも小池さんに都合良く物事が運んでしまうからである。まるでシナリオライターがいるのではないかと思ってしまう。舛添要一郎さんが小池百合子詐病説で叩かれていた。表現は「下手な演技」だった。

小池百合子東京都知事が詐病だとは思わないし実際には演技でもないだろう。都知事は自分の都合によって体調を変化させられる特異な才能を持っていると考えたほうがいい。「演技性人格」などという表現がふさわしいように思える。

「演技をして誰かを騙そう」など思っているうちは演技性人格とは言えない。本人もそう思っていてまるで自分の本来の人格であるかのように演じられるからこと演技性人格と呼ばれる。

心理学的な演技性人格の形成過程は誰かに任せるとしても、おそらくは人格を守るために自然に形成されたのではないかと思える。つまり演技そのものが人生なのだ。

おそらく演技は自己を守るためにおこなわれるのだからそういう経験が原初にあるだろう。父親の期待に沿って政治家になり私生活を顧みずに「仕事に邁進する」という人生を考え合わせると色々と想像を巡らせることができる。

2020年6月に書かれた「『女帝 小池百合子』著者に聞く、小池都知事に賛同できない理由」という記事は、政治家を演じている小池百合子さんの原点は事業をしていた父親の借金だったと書いている。だが裕福な学校に通い「良家の子女」を演じざるを得なかった。そこから海外留学がありテレビの人気キャスターを経て政治家に転身する。

このブログの人気記事にも小池百合子/サイコパスで検索される記事がある。つまり演技性人格から人格障害的な印象を感じている人は多い。つまり病的であると考えている人が多いのだろう。「人格障害」というのは本人の息苦しさや生活の破綻などが症状として現れる。まず弊害があってその障害を説明するために病状に名前がつくという順番になっている。

小池百合子東京都知事の生活が破綻したとか生きにくさを感じているということはないのだからこれは人格障害ではない。

むしろ気になるのはどうして小池百合子東京都知事にこんなに人気があるかである。つまり通常の人間関係では弊害にしかならない行為がなぜこんなに広く受け入れられるのかという問題である。これを考えてゆくと「社会が病んでいるからだ」という結論になる。病んでいるという表現がいけないなら「政治に問題解決以外の何か」を求めているのだ。

彼女の前に人気があった石原慎太郎都知事はどちらかというと強さを誇示・強調する人であった。英雄性人格と言って良い。ご本人が意識しているのかどうかは別にしてこれも一種の演技であった。

英雄であるという自己認識があり周りもそう思っていた石原慎太郎さんだったが実際には多くの問題を積み残した。不良債権処理から始まり銀行を失敗させそれを埋め合わせるために築地・豊洲という問題が生まれたという順番である。英雄性人格は同時に実務生活の無能さを併せ持っている。あるいは逆に実生活の無力さが想像力を育むのかもしれない。

つまり人生がままならないから英雄的な想像に走るという面があった。それに大衆が惹きつけられたということはおそらく東京の住人の中にも英雄性人格を好ましく思う人がたくさんいたのだろう。

石原慎太郎都知事が小池百合子東京都知事を大年増の厚化粧と罵った時「彼女は顔にあざがありそれを隠したい」と述べた。実力はあるのに男性に邪魔されてなかなか思うようにいかないが私は負けないというイメージをつけることで彼女の人気は維持された。おそらく有能なのに実力が生かしきれていない「本当の私はこんなものじゃない」と考えている人が多いのだろう。

冒頭に述べたように、小池さんの入院が演技だったとは思わないし考えられた作戦だとも思わない。だがある状況に遭遇した時に自然に滲み出るように「私は頑張っている被害者である」というような表現が繰り返し繰り返しなんども打ち出される。「みんなは私を踏みつけてゆくがそれでも構わないの」と言いながら結果的に周りが利用される。おそらくそう思っている人は大勢いて自分を小池さんに重ね応援したくなってしまうのだろう。

誇大な自己顕示と被害者意識というのが最近の東京の政治の基調になっている。東京では本当に政治が演劇になってしまったのである。

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