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菅総理の説明下手が生まれた本当の理由

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菅総理は説明が下手である。ただこの説明の下手さこそが安倍政権と菅政権延命の秘密になっている。わからないということはある種の畏怖心を生じさせる。権力を掌握するには色々なやり方があるのだろうが「恐れさせる」というアプローチを菅官房長官は取っていたのであろう。

人は安定しているときよりも不安な時の方が誰かに頼りたくなる。この時に情報を与えず小出しにすることによって「どちらが上位にいるのか」を教え込ませることで「権力者は誰なのか」を思い知らせることができる。

つまり菅総理の説明下手は実は強みだったのである。

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口下手な男性に依存している女性がどんどん男性に依存してゆくのに似ている。男性は言葉で説明できないために女性に暴力を振るう。女性は逃げる選択をせず「暴力を止めさえすれば幸せになれる」と思い込みますます男性の顔色を伺うようになる。依存はある種の洗脳を生む。

背景にあったのはおそらく民主党政権のパフォーマンス的な行政仕分けだ。あの行政仕分けには「どうやったら民主党を懐柔できるか」という取引の余地がなかった。厚生労働省などや国土交通省などは守旧派と考えられ徹底的に吊るし上げられた。最終的に官僚たちが選んだのは言われたことはやるが積極的な活動はしないという受動攻撃的なサボタージュだったのだろう。

ここから民主党よりも自民党の方がマシという気分が生まれる。そして内閣人事局が作られて高級官僚たちの人事権が自民党に握られることになった。ある種明確な基準が作られたことになる。だが実際に重要なのはおそらくそこではなかったのだろう。内閣人事局は依存を作り出しているだけだ。これそのものが暴力というわけではないだろう。

情報が限られている限り官邸の方を向かざるを得なくなる。つまり官僚を視野狭窄に陥れることで官僚が支配できるのだろう。あとは気まぐれに指示を出し「顔色を伺ってさえいれば悪いようにしない」と教えこめばいい。

完全にマインドを支配された官僚の例を見つけるのは難しくない。佐川宣寿さんは東京大学経済学部に進学し大蔵省に入省したという極めて優秀な官僚である。経歴を見ると民主党政権で内閣官房副長官付き内閣審議官となり東日本大震災の復興本部の事務局次長を経験している。だが最終的に彼は徹底的に潰された。というより自ら進んで潰れた。

森友学園事件の問題では安倍昭恵さんが関与していたことから土地に対する不正な価格操作が行われたと言われている。だが財務省の価格捜査は極めてずさんなものだった。土地を掘り出したらゴミが出てきたことにすればいいというのである。さらに、安倍昭恵さんは電話をかけただけだ、おそらく曖昧さの中で萎縮していた財務省側は安倍昭恵さんの名前を聞いただけで身がすくむ思いがしたのだろう。

問題の本質はこの身がすくむという感覚にこそあるのだろうが野党は攻め方を間違えた。理性的な官僚組織が整然とある方向に向かって動いているのだから当然緻密な指示があると思い込んでしまったのである。

この時佐川宣寿さんは安倍総理、麻生副総理、安倍昭恵夫人の関与はないということは極めて明確に述べている。一方で「なぜ決済文書を書き換えたのか」ということに関して一切何も話さなかった。画像で見ると表情の変化がわかる。どんどん思いつめたようになってゆく。明確な目的があるときには理性的な顔をしているが、野党の追及では頑なになる。最後の表情にも注目してみてもらいたい。背中を丸めてを前に組み困惑した表情で周りの騒ぎを呆然と見ている。

改めてこのやり取りを見ていると、官邸は細かな指示は出していないのかもしれないと思える。この時に質問した自民党の議員も佐川宣寿さんも「とにかく安倍総理や麻生副総理は守る」という点では極めて明確な目的意識を持っている。だが、そのほかの話に関してはボロボロである。

最終的に小池晃さんの質問に対してしどろもどろになり思いつめたような表情をしている。明確な指示は与えずに「自分で考えさせている」のである。そして視野狭窄に陥った人は自分で考えた結果として自分を潰す道を選ぶ。その意味では赤木俊夫さんと佐川宣寿さんは同じ道を辿ったと言って良い。

NHKが当時の経緯を書いているのだが佐川さんはその場しのぎの嘘をつき続けて追い詰められてゆく。つまりおそらく「総理を怒らせるな」ということが至上命題になっていてそれ以外のことはどうでもよくなっている。

おそらくこれは恐怖に支配された洗脳なのではないかと思える。つまり官邸は普段から洗脳状態にあったということになる。洗脳というと聞こえが極めて悪いのだが、安倍総理・菅官房長官の恐怖による支配が成功していたと言い換えてもいいのかもしれない。当事者たちが自分たちが何かに支配されたことに全く気がついていない。

では今回のコロナワクチンの騒ぎと何が違うのか。河野・平井両大臣は菅流政治に依存せざるを得ない。だが地方自治体は恫喝の外側にありまた菅流政治に依存しきっていない。もともと地方自治体は総務省交付税課長からの電話(直接指示を出しているわけではないが明らかに地方行成交付金のことをほのめかしている)による働きかけによってワクチン接種を加速させた。ここまでは地方自治体が国に依存しているから起こったことである。

だが、河野大臣が迷走を始めたことで「これは国が言い出したことなのだから後始末は国にさせればいいのではないか」と考えるようになり次々にワクチン接種を抑制し始めた。当然有権者はワクチン接種を抑制した地方自治体ではなく国に対して不信感を持つようになるだろう。地方自治体は選挙によって直接選ばれているのだから菅総理に依存しなくても済んでいるのだろう。

菅官房長官は情報を小出しに曖昧に出すことによって不安定な状況を作り出し、官邸に依存している官僚たちを支配することには成功した。だが視野狭窄においちった官僚たちは自分でものごとを冷静に考えられなくなった。だが、地方自治体にまではこうした恐怖政治は届かない。結果的に全ての非難が菅総理に集中しようとしている。

巨大なブーメランだといって笑ってもいられない。おそらくワクチンは潤沢にあるにも関わらずマネージメントがうまく行っていないせいで「足りないのではないか?」ということになっている。このまま有効期限切れを迎えれば本当に無駄になる。おそらく日本の政治には同じようなことがたくさん起こっているのであろう。

安倍政権を放置し続けた有権者はその責任を取らされている。

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