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日本の製造業が衰退してしまったわけ – モノ消費とコト消費

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自己否定に走る日本の製造業

週刊ダイヤモンドのその記事はちょっと憂鬱なものだった。日本のモノづくりももはやこれまでかというようなトーンだ。パナソニックがプラズマテレビから撤退し、関西にある工場は中国や日本のその他地域に逃げて行ってしまう。新しいヒット商品も生み出せそうにない(つまりユーザーのニーズが分からない)のでBtoBに移行することでその危機を乗り切ろうとしている。
このように最近の経済ニュースには憂鬱なものが多い。遂には「経済ニュースは本当に役に立っているのか」という自己否定とも取れるような考察まで飛び出すようになった。

所有から幸福な経験の追求に移行する成熟市場

しかし、この状況をじっと眺めていてもよいアイディアは浮かんできそうにない。こういうときは外にアイディアを求める方がよいだろう。一つは『選択の科学』のように、ユーザーが選び取る喜びについて研究することだ。購買=選択がイベントだという考え方である。
「幸せを買う方法」というLA Timesのコラムを見つけた。このコラムによると、100万ドルを手に入れて理想の家を買ったとしても、その人はあまり幸福にはなれないのだそうだ。幸福感を増すためには「経験」を買う必要がある。旅行、コンサート、特別な食事などがそれにあたる。コラムではこうしたものを買う行為を「経験購買」と言っている。
さらに、他人に何かをごちそうする事でも幸福感は増す。つまりは、他人と一緒に何かを楽しむと、その人はより幸せになれるというのである。記事では、スターバックスで自分にコーヒーを買う、他人に奢る、他人にコーヒーを奢りなおかつその人と一緒に時間を過ごすという3つのオプションを比較して幸福度を測っている。他人にコーヒーを奢ってなおかつその人と一緒に過ごすのが一番幸福になれるというのだ。
プラズマテレビを買っても、一人で見ていては幸せになれない。どんなに画質がよくても、大きくてもバカバカしいだけである。つまり消費者はテレビを買っているわけではなく、テレビを見るという経験を買っている。そもそも、みんな忙しくてテレビなんかみている暇はないのかもしれない。

別々のフレームをごっちゃにして議論すると分からなくなる

こうしたことを主張するのはアメリカ人の経済行動学者だけではない。別のブログではゴールデンウィークの支出を「コト消費」と「モノ消費」にわけて分析したうえで、モノ消費に関しては「デフレ的な消費行動」が示されていると結論づけている。
この分析を読むと、どうして出口が見つからないのかという点が明確に示されている。デフレ・インフレという金融・経済用語と、マーケティング的なニーズの分析は本来別物だ。両者は異なったドメインに属する用語だが、よく混同される。物が売れないこと=デフレではないし、マーケティングでモノが売れるようになってもインフレにはならない。こうした用語の混じり合いが気にならないのは、私達がもはや論理的な解決を諦めているからだ。心配が多く忙しいのでよく考えている時間がないのかもしれない。だから専門家も分かっていながら、ごっちゃに書いてしまうのだろう。
実際に、自分たちの行動に当てはめてみるとよく分かるだろう。つまり何か「モノを所有して消費する」という経験に関しては、必要最低限で済ませようという気持ちが働く一方で、(できれは気に入った人と)楽しい経験をしようという経験にはそれなりに支出している。それだけ市場が成熟し「単に持っているだけでは満足できない」という市場になっているということになる。
つまりは、過去のメンタリティで成熟した市場を分析しているために、なんらかの通訳が必要になっている。記事は「選択性が強い」という別の要素を仄めかして分析を避けている。ひどい場合には「若者に欲望がなくなったので、車を買わなくなった」などと世代論に落とし込む人もいる。
購買=所有という思い込みは、エンターテインメントに対する分析にも当てはまる。ソニーはエンターテインメント部門を持っている。例えば「映画」の価値は、家や本棚にディスクをたくさん並べてコレクションすることではない。おいしいものを食べる口実に映画館に行くとか、同じ映画をみて感想を述べ合うなどの広がりがある。こうした楽しみ方は「ソーシャル」と呼ばれ、今や一般化している。しかし、映画作りとテレビ作りをいっしょくたに考えると、映画とはすなわちポリカーボネートの板の事だという誤認が生まれる。発想が制限されることになり、ビジネスの幅が狭まる。

自己否定の必要はなく、ちょっとだけ見方を買えてみればよい

「幸福を求めるために消費する」というのは簡単なコンセプトだ。しかし、長時間残業でくたくたになったスタッフが、多くの部署に別れた30人ほどに電子メールでCCしながら、会議を重ねてアイディアを絞り出そうとしていると、とても難しく感じるに違いない。特に「是が非でもテレビを家に置いてもらいユーザーを幸せにしなければならない」となると、ほぼ解けないパズルになってしまうだろう。それよりも、会議室を出て、家族とゆっくりとした時間を過ごした方がいい。
100x100乱暴にまとめると「製造業は、働きすぎて、何が売れるのか分からなくなってしまった」ということになる。成熟した市場では「効率」だけでは不十分で「心地よさ」が重要になるのだと分析してもいいが、多分実感した方が速いのではないかと思う。
苦しみながら自己変革のアイディアをひねり出そうとすればするほど、泥沼にはまるだろう。既にリソースは持っているのだから、製造業も経済学者も自分自身の過去を否定して変える必要など少しもないのだ。