金曜日のワイドショーは大騒ぎだった。当初の政府対応がたった10分で変わってしまったからだ。概ね専門家の言うことだから仕方がないと言う反応だった。今回は文民統制の視点からこれに水を差す記事を書きたいと思う。この論でゆくとこれは専門家の反乱ということになり「あってはならない」ということになってしまう。
突然だが、分科会を「参謀本部」に置き換えてみる。つまり軍隊だと考えることにする。一方で内閣は選挙で民主的に選ばれた国会の代表者で構成されている。つまり民意を反映しているわけだ。文民である議会の代表者が軍隊を管理するのが文民統制だ。では文民に軍事的知識がなく統治の意思もなければどうなるか。おそらく軍隊が暴走を始めても抑止できないことになる。これは軍隊だけでなくどの専門家集団でも起きる。つまり軍隊を財政・金融専門家に変えても同じことが言える。
戦況が芳しくない。文民の側は戦線を拡大したくないと考えている。それを抑えて補正を加えるのが文民の役割である。文民はいつも抑止的に働いている。専門家集団は「それでは甘い」もっと厳しい措置をとるべきだと考え、最終的に専門家が示し合わせて「文民が何か言ってきたらみんなで覆してやろう」と謀議する。
これが今回起きたことである。
田崎史郎さんの取材によると「5道県を蔓延防止策で」と提案した途端に場内で「とんでもない」という反論が出てきたのだそうだ。田崎さんは「ワーッと」と表現している。今回も直前になって召集されたようだが示し合わせて反乱することにしたのだろう。
このあと西村担当大臣らが持ち帰り閣議を開いた。閣議は10分で終わったそうだが、総理大臣は最終的に「最初からそういう結論なんだろう」と投げやりだったそうだ。専門家の意見を理解しようという意欲も統治しようという意思も失っている。これが政治の力強いリーダーシップを唄い人事恫喝を続けてきた内閣の「最後の姿」だ。
国会に説明する責任を持った総理大臣が「戦況はよくわからないが軍隊の専門家たちが戦線を拡大しろと言っているから戦線を拡大しました」と説明すれば大騒ぎになるだろう。ハイパーインフレが起きた時に「専門家がそう言ったから銀行を封鎖しました」などと説明するのも同じことだ。だがそれが「暴挙」だと感じるのは、我々が専門家の暴走を止められなくなった過去を知っているからである。
なぜ総理大臣は「どうせ結論は決まっているんだろう」と投げやりになってしまったのだろうか。個人の資質と環境の問題がある。
強面敏腕プロジェクトマネージャタイプで全てを自分で抱え込む癖がある菅総理の元にはろくな情報が入ってこない。スタッフたちは菅総理に怒られることを恐れて情報を上げてこない。さらに菅総理はおそらく「自分には理解できない」と諦めているのだろう。わかろうとする人なら「分科会に出て直接話を聞いて納得してから決めたい」と思ったはずである。理解できないものは説明ができない。
菅総理は説明するつもりがないから専門家のいうことを理解しようとしなかったのだ。
環境の問題もある。菅内閣は内外の競争にさらされた弱い内閣だ。菅総理は自民党内では派閥の争いに晒されている。さらに自民党は敵対的な野党がいる。専門家の意見を丸呑みすることになった理由も「どうせ尾身会長が国会で野党に説明するのだから」というものだった。記者会見でも菅総理には答えられないことが多く尾身会長が大方の質問を片付けていたのだそうだ。つまり菅総理は信頼されていない。
こうなると実質的な総理大臣は尾身茂さんだということになる。尾身会長は専門家の意見が把握できていておそらく有効な対策を知っているだろう。だから「尾身茂さんが総理大臣になったほうが良いのではないか?」と思える。
だが、これは戦争に詳しいのは軍人なのだから軍人が総理大臣になったほうが効率的な国家運営ができると主張するに等しい。わかろうとしないで結論に飛びつくというのは実はとても危険だ。
自民党は長らく「憲法に緊急事態条項を加えて議会の監督なしで意思決定してはどうか」と提案している。なんとなく良さそうに思える。
反対する人は「内閣独裁になる」といって反対しているが実際にはそうならないだろう。単に議会が責任放棄するために内閣にすべての責任を押し付けることになりそうだ。緊急事態に「このままでは政権にいられなくなる」と考えた与党はおそらく議会を停止して内閣がすべての意思決定をしてくれるように依頼するだろう。議会が停止されている間は緊急事態だという理由で衆議院は解散されなくなる。つまりすべての責任から解放された上、地位だけは保証されるのである。世襲の地位的議員にとっての理想の形である。
今回わかったことはそれでも状況が打開できなくなるとおそらく内閣も問題把握や意思決定を諦めて専門家集団に意思決定を丸投げするようになるだろうということだ。今回は医療や経済の専門家だったので「まだよかった」と言えるのだがこれが進むと国会議員が何かを聞いてきても「分科会に聞いてくれ」ということになるはずである。
民主主義は能力で政治家を選ぶ前提になっている。これを怠り世襲で政治家を選抜してきたツケはかなり重いものになりそうだ。専門家の暴走が避けられない。同じことは軍事でも起きるし財政でも起きるだろう。少数の専門家議員は世襲の地位的議員に数の上で抵抗できない。
実は国民も2009年の民主党政権の失敗に懲りていて「難しいことはわからないから与党で決めてくれ」と政治に関心を持たなくなった。国会議員も利権確保のための注文はつけるが難しいことは内閣に決めて欲しいと思っている。そして大臣たちは総理大臣が怖いからと総理にお伺いをたてる。だが、内閣総理大臣も「もう難しいことはわからない、責任も取りたくない」と考えているようである。日本全体が「正解を知っている」分科会に決めて欲しいと思い始めているのではないかと思う。だが分科会は未知のウイルスに対しての正解はおそらく知らないはずである。
これがおそらく自民党の提案する緊急事態条項の一番の危険性であろう。尾身茂会長がものすごく良い人であり優秀な人であれば問題はないのだがいつもそうなるとは限らない。
そう考えてゆくと、今回の「分科会の造反」には構造上の大問題が含まれているのではないかと思う。せめて専門家の話を聞いて理解しようと試みてくれる総理大臣が出てきてもらわなければ困る。
県知事道知事の中には問題を把握した上で行政を管理し県民道民に説明できる知事がいる。自民党には本当にそういう人材が払底してしまったのだろうか。もしそうだとしたらそれはなぜなのだろうか。