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オリンピックの責任議論で逃げ損ねた菅総理

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「政治」という言葉はいろいろな使われ方をするのだが、責任を取らずに逃げることと成果を横取りすることを「政治」といったりする。IOCとWHOの間で政治が始まっている。ワシントンポストはバッハ会長を「ぼったくり男爵」と呼んだ。バッハ会長と日本の関係者をつなぐコーツ調整委員長は「オリンピックは絶対に開催する」と断言した。だがこの時「IOCが責任を持つから」とは言わなかった。菅総理が大丈夫だといっているから大丈夫だと説明したのである。問題が起きた時のことを見据えて責任のたらい回しが始まっているのだ。

それに一人気がついていないのが菅総理なのだが、菅総理は個人的に責任を負わない。お金の問題が出てきた時に責任を負わされるのは日本国民である。

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バッハ会長が代表するIOCが「ぼったくり貴族」なのは「根っからの寄生体質」だからである。ただ、これは貴族や武士などの支配階層の特徴でもある。つまりこれは武士や貴族のような支配階層のことを言っているだけであって、おそらく彼らは罪悪感など感じていないだろう。

面白いことに日本人は極めて不平等なIOCとの契約をあたかも国際条約のように大切に守っている。おそらく「それを破ると何か大変なことが起こる」と感じているのだろう。江戸時代の封建的な記憶が残っているのかもしれない。つまり封建制の記憶の残した日本は彼らにとってよいカモなのだ。

IOCにしても日本政府も「誰かにオリンピックは安心だ」と言ってもらいたいという気持ちがあるのだろう。WHOに期待する声があった。だがWHOはそんなものに巻き込まれたくないとばかりに「最終的には有能な日本政府が決めるであろう」と宣言して見せた。

先は見通せないのだから決断はギリギリになるだろうと言っている。とにかく最後に決めるのは日本政府だし責任を取るのも日本政府だというのだ。非常に皮肉を感じる言い方だが全てがうまく言っていると思いたい読売新聞は「あのWHOが日本政府は有能だと褒めてくれた」というような捉え方をしているようだ。給付金も配れず、マスクも配れず、アプリも作れず、ワクチンも調達できず、接種スケジュールも確定できない「有能な日本政府」が決めてくれるであろうというのは皮肉にしか聞こえない。

だが、再選を控えるデトロス事務局長はもはや東京オリンピックには関心がないだろう。先進国は新型コロナワクチン の囲い込みに走り中国との関係が強いテトロス事務局長を嫌っている。先進国対発展途上国というような図式ができている。西側先進国というのは彼らから見れば特権貴族階級だ。彼らは自分たちが気持ちよくなるためには人権という言葉を振りかざすがアフリカの貧困には目を向けないという気持ちがあってもおかしくない。脱先進国化したWHOは貴族のお遊びに付き合っているような余力はないし義理もない。

最終的に「何もなければいいが、何かあったら全て菅総理のせいだ」ということになりそうだ。つまり、WHOもIOCも責任から逃げているのである。

もちろん日本政府が主張する通り無事にオリンピックが開催できる可能性もある。だが何かあれば責任を取らされる。そしてことによっては賠償問題になりかねない。特に発展途上国にワクチンは行き渡っていないから「オリンピックで世界に拡散された」ということになればタダでは済まないだろう。

そもそもオリンピックの招致者は東京都だったはずだが、小池百合子東京都知事の名前が出てくることはない。この人は「危ないものに近寄らない」という嗅覚にだけは長けた人だ。さらに、オリンピック招致にこだわった森喜朗会長も表舞台から消え石原慎太郎元東京都知事もいなくなった。安倍マリオはコロナ対策そのものから逃げ出し「新薬のおかげで」元気を取り戻したそうだ。

結局、菅総理だけが逃げ遅れたのだろうということになる。だが不幸なことに国民はこの逃げ遅れた総理に巻き添えにされる。この先国際的に訴えられた時、どれだけむしりとられることになるのか誰にも予想できない。だがそのときIOCもWHOもこういうだけだろう。「日本政府が開催を熱望したから協力してやった」と。

安倍総理大臣がマリオという道化をやってまで勝ち取ったオリンピックは我が国にとって最大のリスク要因になりかかっている。止めるなら今のうちだ。

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