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日本の新型コロナ感染者数が菅政権によって隠蔽されないたった一つの理由

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今日のは日本の新型コロナ対策が隠蔽されない理由について書く。森友・加計学園問題では政府は問題を完全に隠蔽して見せた。末端で改竄に加担した職員は罪悪感から精神を病み自殺したが上級幹部たちは出世したと言われている。政府は問題を見て見ぬ振りをして、あったことをなかったと言い張っている。そして多くの国民は日本の政府はちゃんとやっているのだと思いたいがためにそれを黙認した。

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ところが同じ手法が新型コロナ対策では通用しない。菅総理大臣はいまでも「感染症対策をしっかりしてオリンピックをやる」といっているが国内外から強い批判が出た。バッハ会長の来日は阻止され、コーツ調整委員長がオーストラリアから「きっと大丈夫」と情報発信するだけだった。その根拠は菅総理がバイデン大統領と会談した時の会話だけだ。あとは菅政権がどのように敗戦を受け入れるのかということになっている。

森友・加計学園問題とコロナ対策において菅総理のメンタリティは共通している。独りよがりのシナリオがありそれを何が何でも実現しようとしてしまうのだ。新型コロナ対策においては現実がみえなくなっていてまだ完全な感染症対策ができると信じている。ワクチンは確保したのだから7月までに高齢者に接種すればいい。だが、6割の地方自治体は「そんなことは無理だ」といっている。

AERA.dotによると厚生労働省から「実現できなくてもいいから計画だけでも出してくれ」とお願いされた自治体があるそうだ。厚生労働省はもはや総理大臣の着想が実現不可能であると知っている。だが逆らうと人事で報復されるので「形だけを整えてみせよう」とするわけである。おそらく彼らが統計を取っていたなら平気で統計の偽装などをやったかもしれない。だが彼らがその統計を信じているわけではないのだから対策は実施されない。楽譜が読めず楽団員の顔もわからなくなった指揮者のもとでオーケストラとしての政権はすでに破綻している。

菅総理の計画がきちんと破綻して見えるのは保健行政が地方の管轄だからだろう。統計も地方がとっている。地方の保健当局と県知事は菅総理の人事権の範囲ではない。つまり強権的な人事で恫喝できない範囲には菅総理の魔力は及ばないのだ。

一方でこれができてしまう国がある。それが中国だ。ウイグルから逃げてきたカナダ人が2009年からの変化を書いている。2009年にウイグルで暴動が起きた。このころから新疆のウイグル政策が変化したという。2014年には習近平国家主席のウイグル訪問に合わせたテロなどもありその傾向が加速したとされているそうだ。

中央には「中国は諸民族が協働して中国という理想国家を作り上げる」というお話がある。だが彼らは地方からは浮いた存在になっている。このお話が現実と合わなくなると締め付けが増えて情報が隠蔽される。その意味では日本と中国は驚くくらい似ている。説明の整合性が取れなくなり、規則と締め付けが増えてゆくのだ。

だが違いもある。このカナダ人は「整然と締め付けが進行した」と書いている。巨大な刑務所のようになったそうだ。だがジャーナリズムがないので誰がそれをやっているのかはよくわからない。さらにあまりにも大っぴらに行われているため人々は「刑務所暮らし」に慣れてしまった。

中央が支持したのか地方が忖度してやっているのかは誰にもわからないということは容易に想像できる。我々が森友・加計学園問題で経験したのと同じあの気味の悪さである。責任者が明確ではないわけだから誰もこれをやめることはできない。つまり、責任の所在が曖昧になるということは誰もウイグル問題を止められないということになる。

日本も中央のレベルでは中国と同じようなことがおきているのだが、地方自治はある程度別立てになっている。このため中央が情報を隠蔽しても地方から声が上がる。つまりシステムがデュアル(二重)になっているためにまだ中国よりマシということになる。GHQが日本に取り入れたシステムがなければ今頃どうなっていたのかという気持ちになる。

新型コロナ対策では「日本も中国に倣って政府の権限を強化すべきだ」という意見がある。とても賛成する気にはなれない。おそらく政府は強権的な姿勢を強めるだけで問題は解決しないだろう。だが、もし情報統制がしっかりできていれば多くの国民はコロナなど忘れてオリンピックの高揚感に浸れていたのかもしれない。情報統制があればバッハ会長の来日断念という事態は避けられていただろう。新型コロナという問題を直視したくない人もまたたくさんいるからだ。

専制主義国家では貧困や女性問題など「線の外側」で苦しんでいる人たちの声は無視できる。ただ残念なことに線の外側に出ないと保証される人はいない。

ウイグル問題も多くの中国人にとっては他人事である。専制政治の世界では人々は少数者の問題を無視することができる。そこにメリットを感じる人も意外と多い。日本にも専制に憧れる人たちが大勢いるのである。

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