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竹馬経済

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占領下の日本財政覚え書は、占領下の日本で日本政府とGHQの連絡係を担当した大蔵官僚渡辺武の手記だ。GHQは間接統治を行い、国民の不満が直接GHQに向かうことを避けようとした。渡辺は本社との連絡に奔走する外資系サラリーマンのように見える。
当初、アメリカは日本を非軍事化・民主化試みていたが、徐々に経済の健全化と自立を求めるようになった。日本経済が不安定化すると共産化する危険性があったからだ。実際、中国と朝鮮半島では共産主義勢力が台頭し、いずれ極東アジア全体が東側ブロックに組み込まれる恐れがあった。
しかし、日本政府は足下で政争を繰り返し予算を緊縮することができなかった。どうしても支持者にいろいろな「約束」をしてしまうのだ。渡辺はファイン博士という人から「日本の自力による国政運営能力が世界から注視されている際に、このような政争を繰り返すと、対日援助も困難となるだろう」と言われた。
当時日本は、物資不足と政府の過剰支出が原因でインフレが起きていた。物資不足を改善するためにアメリカは援助物資を日本に送り始めたのだが、国庫からの補助金は1949年度予算の29%を占めるまでになっていた。日本の政党は現状を自力解決しようとは考えず、バラマキ競争を繰り広げた。最終調停者としてGHQがおり「最後にはなんとかしてくれるだろう」と考えていたのではないかと思う。政府は預金封鎖などのその場しのぎの対策を打ち出巣一方で、闇経済が成長した。当初、政府は毎月500円で生活するように国民を指導していたのだが、23年6月には3700円をベースにしようと話し会うところまでインフレが進行た。
そんな中で、ドッジが来日した。ドッジにはアメリカと西ドイツのインフレを沈静化させた実績があり、最初の会見で日本は対外援助と補助金という2つの援助による「竹馬」のような経済構造になっていると訴えた。竹馬が伸びてゆけばそのうち転んでクビの骨を折るだろうと警告したのだ。
ドッジは予算を均衡させようとした。大方の予想通りインフレは収まり、デフレが進行した。この不況はドッジ不況と呼ばれ、朝鮮戦争特需まで回復しなかった。ドッジ・ラインには二つの極端な評価がある。ある人は不況を生み出したといい、別の人は持続不可能なインフレをおさめたと肯定的に評価する。
当時の状況は今でも残っている。

  • 諸派が入り乱れて、最終調停者をにらみつつ自己の主張(というよりは支持者への約束)を繰り返すという構造がある。
  • 郵便貯金・年金・国債といった資金は、債権ではなく政府の税外収入であるという認識がある。この認識は戦時から変わっていないようだ。だが、実際には国民の蓄積した資金であり、政府の持ち物ではない。
  • 国民は政府の説明を額面通りには受け取っていない。長期的な視座もなく、表面的な条件や他の人たちの動向をにらみながら「合理的な判断」を下す傾向がある。

最初にこの文章を書いた当時は、民主党が政権を取ろうとしていた。民主党は政府の「隠し物資」を放出さえすれば増税しなくても国民生活は潤うと喧伝した。しかし、実際にはそんな資金は出てこなかったし、最後には消費税増税を発表し政権を追われた。政党は選挙のためだけに非現実的な約束を繰り返すしており、今もそれは変わっていない。政府が借りることができる原資は徐々に減りつつあるが、破綻はまだ先に見える。
2016年現在、選挙を前に自民党が「一億総活躍プラン」をまとめようとしている。いわばバラマキ政策なのだが、財源は選挙後に決めるようだ。この国の政党政治はGHQ占領当時から何も変わっていないのだ。
「日本はアメリカに支配されている」という人がいるが、不幸なことに現代の日本には調停・抑圧してくれるGHQのような存在はない。
今、ドッジが来日したらどういうだろうか。日本の経済は補助金と外需の2つの竹馬の足に支えられている。このまま竹馬が伸び続ければいつかはコケてクビの骨を折るかもしれない。


初出:2009年7月25日。書き直し:2016年5月22日


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