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「何がどうなっているのかがわからない」ということだけがわかる日本のコロナ対策

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毎日ニュースをまとめている。今回は、新型コロナウィルス関連について書こうと思ったのだが「これはまとめられないな」と書いた。すると意外なことに高評価がたくさんついた。わからないと思っている人が意外と多いようだ。

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新型コロナに関しては今複数の動きがある。変異種が拡大している西日本を中心に蔓延防止策の適用地域が増えている。ところがこれとは別に緊急事態宣言を大阪にも適用しなければならないのではないかと尾身茂会長が発言した。菅総理不在ということもあり、これがニュースになった。

尾身会長は「会長」という名前がついているのだがそもそも何の会長かよくわからない。確か、専門家は出しゃばりすぎるという理由でアドバイザリーボードに落とされたはずである。尾身会長の発言が一人歩きするのはデータをもとに話をしているからだ。だが尾身会長がどんな権限を持っているのか、あるいはどんな責任を取ってくれるのかは誰にもわからない。

蔓延防止策はおそらく緊急事態宣言の禍禍しい響きをごまかすための言い換えだったと思うのだが「マンボウ」というかわいい響きでごまかしているのではないかといわれると「まん延防止策」と呼ぶようになった。結局何がしたかったのかがよくわからないし蔓延防止策と緊急事態宣言は何がどう違うのかもよくわからない。

小池東京都知事が「用事のない人は東京に来るな」と発信したのだが法的根拠はない。単なるお願いである。大阪では小学校の部活を自粛するようにと府知事がお願いしたそうだがこれも法的根拠がよくわからない。結局なんでもいいのかもしれない。

ここからわかることは一つしかない。日本では誰が何を決めているのかよくわからない。また、司令塔がいないのだが誰もそれを気にしている様子はない。却って「自分たちが好き勝手に解釈できる」とこの状況を喜んでいるように見える。安心したい人は安心し、心配したい人は心配する。だから責任を取りたくない人が責任を取らずに済んでしまう。あとは医療機関の人たちが勝手に疲弊し、飲食店が勝手に潰れるだけである。日本人が自ら選び取った自己責任社会の究極の姿がここにある。

それぞれがそれぞれの解釈で好き勝手なことを叫び続けている人たちの群れが発言することをいちいち右から左に流し続けることを最近では報道と言っている。だが書くのが上手な人が書いていて、読むのが上手な人が読んでいるので、もはや中身がないことを気にする人もほとんどいない。

この総無責任体制は時に大きな幻の影を作り出す。

例えば二階幹事長がオリンピック中止をほのめかしたことが大きく報道された。二階幹事長はなんとなく自民党の実力者という印象がある。だが、実は政府の意思決定とは関係がない。

二階さんは自分の利権にしか関心がない。例えばGoToトラベルには関心があるので「ぜひ続けなければならない」と言い続けている。だがオリンピックは建物を建て終わり広告もだし終わった。旅行の誘引という意味では海外客は来ないのでもう利用価値はない。あとはIOCと約束しているから仕方なくやろうとしているだけだ。政治家にとってオリンピックはもう「出がらし」なのだ。

どうでもいいから適当なことを言っただけなのではないかと思うが権限も責任分担も曖昧なために「二階さんが言ったからさあ大変だ」という人たちが出てきたのだろう。よせばいいのに新聞は大きく反応した。だがオリンピックの中止を考えたくない人は田崎史郎さんの「あれは二階さんのミスですね」という発言に安心してしまった。

おそらく多くの人が潜在的不安は抱えていると思うのだがそれを表には出そうとしない。また色々な発言の意味をイメージで漠然と捉えており、社会的に共有することもなく、それぞれが勝手な印象を語り合っている。

にも関わらず社会全体としては大したパニックに陥っていない。そもそも、社会のいうことを聞かないで勝手に解釈することが習慣化した社会なのかもしれない。これについて「不安ではないか」と聞いて見た。きっと本当にやばい状態になればみんな本気になるだろうから、今は大した状態ではないのだろうという回答がついた。

本当にそうだといいのだが……と思うのだが、果たしてどうなんだろうか。

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