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オードリー・タン成功の秘訣と日本が脱工業化できなかった理由

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Business Insiderは時々面白い記事を書く。今回はオードリー・タンが成功した秘訣について書いていた。キーワードは台湾文化に最近入ったと言う「對事不對人(対事不対人)」である。IT化とオードリー・タンにどのような関係があるのか順番に見てゆきたいと思ったのだが、一旦書いてみてこの文章が理解できない人は絶望的に理解できないんだろうなと思った。背後に論理的でない結合がいくつかあり、直感を使わないと結びつけができない。手続き型・手順ベースで物事を理解したがる日本のエリートにはこれが苦手な人が多い。

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これまで日本の政府がITプロジェクトに失敗したことについて書いてきた。背景にあるのは多重請負構造である。政府が無茶な要求を業者に突きつける。業者は中抜きした上で下請けに流す。下請けは十分な費用をもらえない。彼らは問題があることはわかっているのだがそれが多重請負構造を通じて上に上がることはない。階層がバカフィルターになっている。多重のバカの壁があるのだ。

物事が複雑になると彼らはマニュアルを書いて手順を決めたがる。実はそれがデスマーチを生み出していることに気がつけない。

Quoraでこの件について書いたところ「うちもそうだ」という声をいくつかもらった。皆、それをうすうすは感じていて疲弊している。どうしてこうなったのか?と思うのだが理由は誰にもわからないようだ。

このピラミッド構造の背景にあるのは「協力できない日本人」である。ここに最初の論理的飛躍がある。多重構造と協力できないことに直接の因果関係がない。だが全体をうっすらみているとこの二つには何らかの関係がありそうなことが直感的にわかってくる。手続きベースの人たちはこの壁が超えられないのだ。

専門家同士では意思疎通ができるが違いのある人たちとなぜか協力できない。例えば、IT産業は専門家の間での意思疎通だけではなくデザイナーやマーケティングの専門家などの違った専門の人たちと協業する必要がある。また、別々の人たちが作ったプログラムを持ち寄って連結してテストする必要もあるだろう。

また流通業では各地の事情が違っているので、地域に詳しい人たちの協力が必要だ。このように「知識」と言っても知識量だったり空間だったりと様々なタイプがあり一概にマニュアル化できない。

分業協力世界ではこれらがチームになっていて必要なモジュールが結合することになっている。そしてその都度最適な方法を「マニュアルに縛られずに」考える。

だが日本はこれが作れないので下に下に落とすと言うやり方が代替的に生まれたのではないかと思う。これが多重下請け構造だ。上下があるので自由に動けない。知識レベルで階層化している場合もあれば中央から地方に落とすこともある。

専門家の言うことが理解できないのは怖いので上下関係で支配しようとする。結果的に似たような人たちで階層を作って固まるのだが、なぜか専門知識を持った人たちは下に沈殿して重みで潰れてしまう。地方もなぜか下になる。これが最終的にあの多重構造のピラミッドを作る。

知識ピラミッドの典型は家電製造業、ゼネコン、IT産業だ。そして空間ピラミッドの典型が流通と官僚組織である。

このピラミッド構造は製造業社会では有効だった。IQの高い賢い人がアメリカやヨーロッパから技術を持ってくる。日本には比較的単純な労働力が豊富にありそれを広く薄く広げることで産業を広げてゆくわけである。オリジナルのアイディアは出せないが改良が得意な周辺産業群(部品メーカー)が広がり安定的なピラミッドを作ってゆく。教育もそれに合わせて改善型になった。製造業世界ではそれでよかった。

これは官僚組織でも同じことである。中央で成功事例を立案しそれをフランチャイズ的に地域に広げてゆくことになっている。

だが流通などではこれが問題を引き起こした。中央で物を作ると自律的に作られた細かな物流網がそれを届ける。間の中抜きで食べている人が大勢いる。彼らは末端の情報を開示したがらない。直接接続されてしまうと困るからだ。

このように社会が複雑化すると「中央」がこの情報を処理できない臨界点が出てくる。つまり複雑さがある閾値を超えてしまうと急速に中央がボトルネック化してシステム全体が止まってしまう。あるいは末端の情報が吸収できなくなり孤立化して陳腐化する。

ピラミッド型の流通網に支えられてきた日本の家電メーカーは多くが海外に身売りした。複雑な流通は大店法で痛められAmazonに潰された結果である。だがAmazonのような次世代型の組織が原理上入ってくることができない霞ヶ関の官僚組織がスマホアプリが法案を作成できなくなったりするのもおそらく彼らが処理できる複雑さの閾値を超えてしまったからなのだろう。

だが、組織を構造で考えるということはできる人には容易い。日本の色々な問題が「ピラミッド型」であるということが容易にわかり分析がしやすくなる。だが、これを説明しても理解できない人が意外と多いのではないか。「エビデンスを」と言う話になる。だが日本はピラミッド病に冒された社会なので健全な事例がない。

そこで出てくるのが台湾の事例だ。台湾は優れたIT大臣のもとでコロナ抑制に成功した。つまり成果だけで物事の良し悪しを判断する日本人にはうってつけの成功事例なのだ。

Business Insiderの記事を読む。

日本でオードリー・タンさんが注目された時、多くの日本人は「タンさんが賢いからだろう」と考えたそうだ。IQが180もあると言う。つまり賢い人が一人いるのだからそう言う人をリーダーにすればいいのではないかと自動的に考えてしまったのだ。これは製造業的な世界観である。

だが、タンさんが強調するのは対人能力の高さである。IQではなくEQが大切なのだと言う。もともと狭い地域でたくさんの人が暮らしているため軋轢を避ける文化があったそうだが、さらに對事不對人という用語がはやるようになったと言う。英語のdon’t take it personallyにあたるという。おそらくアメリカから取り入れたのだろう。

例えば、誰かを叱る場合にも誰かを個人的に責めるのではなく課題に注目してもらうというのが對事不對人だ。

このことを表す『對事不對人(ドゥイシーブドゥイレン。人ではなく、物事に対して行おうという意味)』という台湾の流行語があります。英語だと〈Don’t take it personally〉といったところですね。台湾でこの漢字五文字を知らない人はほとんどいないでしょう。誰もが100回は聞いたことがあると思います

台湾にはなぜオードリー・タンが生まれたか? 日本人が知らないある「常識」

記事にはもちろん直接的にオードリー・タンさんの話・協力文化・IT産業と製造業の関係などが書いてあるわけではない。だが、アメリカや台湾などのチームワーク文化を持ったところがIT化に成功していると言う共通点から、なぜ日本でIT産業がうまく扱えなくなってしまったのかということがわかる。ITは分散型協業ネットワークがあったほうが扱いやすい産業分野なのである。

おそらく日本でも個人レベルでは素晴らしいアルゴリズムを考えたり一人でプログラミング言語を開発したりすることができる人は大勢いる。だが、これが集団作業になると途端にうまく扱えなくなる。

これまで中央集権時代にに成功してきたピラミッド構造が足を引っ張っている。製造業型の官僚組織は流通・ITが扱えない。例えばマスクも給付金も配れないしアプリも作れない。これがピラミッド病なのであろう。そしてピラミッド病の背景にあるのはIQベースの効率主義・エリート主義である。

先日来Quoraで政治的な議論を多く見ている。高齢の日本人ほど相手をコントロールしたがり自分の常識と違ったものを許容できない傾向がある。中には東大・京大卒という人たちもいる。選抜の過程でIQが高いほど高い地位に登ることができると言う点が見逃せないと思う。自分が優秀なのに相手が理解してくれないとどうしていいかわからなくなってしまう。最終的に力で押さえつけようとしてしまうのである。議論を吹きかけて知識量で勝とうとする人が意外と多い。

ここまでわかると例えば「選手として強かった人がコーチになってパワハラに走る」とか恒例の政治家が男女平等について適切な発言ができないなどという問題にも似たような根があることがわかる。菅総理が官僚を理解して使いこなせないからといって人事恫喝に走るのも、従来型のマネジメントが複雑さや違いを扱うのに向いていないからである。

だが、オードリー・タンさんの事例を見ると多くの日本人が「協力の本当の意味」を理解できる。台湾は日本と同じ東洋文化だし実際に成功しているからだ。つまり台湾にできて日本にできないはずはないと思えるのである。ただしそれを理解するためにはおそらく直感に沿った理解力が必要である。日本の官僚組織がやりそうなことではあるのだがおそらくあれをそのまま持ってきてマニュアル化してもうまくゆかないだろう。

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