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「台湾は中国の一部であるべきか」という簡単な民主主義のテストにパスできない日本人

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先日Quoraに「台湾は中国の一部であるべきか」という質問が上がっていた。じつはこの質問には民主主義的な正解があると思う。そしてそのテストにパスした人はいなかった。日本人は民主主義を理解していないのである。

正解は「それは台湾人が決めるからここで議論しても無意味」だろう。

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清は満州族が作った国であって中国人(漢民族のこと)が作った国ではない。だから、清が征服した台湾は中国の一部ではないという回答がついていた。これに対して大陸中国の立場を代弁する人から清は歴史の過程で中国化(漢化)したのだから台湾もまた中国の一部であるという反論がついている。

普通この議論だけを読むとどちらかに正解があると思ってしまう。だが実際にはアイデンティティは変更できる。そしてそれを決めるのは現地の人たちだ。民族自決権とか住民自決権というそうだ。

注目ポイントは台湾の人が議論に入っていないという点である。にも関わらず議論が成立したことになっている。これが民主的ではない。みなが歴史的経緯の議論に夢中になっていて誰も台湾の人の話を聞いたり記事を読むとはしない。それなりに勉強している人が多いだけにやっかいだ。

中華人民共和国には台湾が中国の一部でなければならない事情がある。中華人民共和国は清の領土の大部分を直接継承したわけではない。だから理屈として国民党を追い出して中国全土を統一する資格を得たのだというお話を作った。台湾を駆逐して清の領土を丸ごと継承したということにしたわけだ。こうすれば周辺地域(ニューテリトリと言われる新疆ウイグル自治区やチベットなども含む)も継承したことにできるからである。

決着がつかないのは良い。いずれ決着をつけると言えばいい。だが逆に台湾が「もういいです、中国などという塊を議論していても無駄なので我々は独自でやってゆきます」とされては困る。同じ中国語を話す台湾人や香港人に分離されてしまえばそもそも言語的に系統が異なるウイグルや独立志向の強いチベットを中国の枠にとどめておくのはなお難しいだろう。

大陸中国は専制国家であり住人に自決権はない。共産党の許す範囲でしか政治的自由は享受できない。だから、この線に沿って主張せざるを得ない。つまり、専制国家に暮らしている限り「台湾は中国の一部である」という正解を主張し続けるしかない。つまり彼らの認識を知ることには意味はあるが、議論しても無意味なのである。

ちなみに最近中国が周辺国と軋轢を引き起こしているのはこのお話に沿って現実を変えようとしているからのようである。習近平国家主席の時代になってこの傾向が強まっているようだ。かつての皇帝たちが正史を支配したように今回も清の正史を共産党が支配しようとしている。つまり、中国共産党は新しい皇帝になろうとしているのである。

国民党は外から入って来て台湾を占拠したのだがこの歴史を正当化するためには台湾は中国の一部であると主張しなければならなかった。だから台湾は中国の一部であるべきだった。1992年に共産党政権との間に口頭での約束があり、九二共識は台湾が民主主義でなかった時代に国民党によって決められたが民主化要求の波を生き残った馬英九の時代までは生きていたようだ。

ところが、蔡英文らの勢力はこれを否定する。1992年の約束は無効であるとして「台湾のこれからは台湾人が決める」というのが彼らの主張である。これが共産党にとっては都合が悪い。中国人に分離権があるなら他の地域にも分離権があるはずだということになってしまうからである。

民主主義の原則は、その地域が何であるかというのはその地域の人たちが決めるというものである。民族自決などと日本語では訳されているが英語では民族でなくnationが当てられている。nationというのはその土地の人たちというような意味であり日本語の民族という血統概念とはやや異なっている。北アメリカの原住民(ネイティブアメリカン)も部族(tribe)ではなくnationという言葉を使うことが多いようだ。

ただ台湾で独立勢力が政権を取ったからといって全ての住民が独立派であるというわけではない。台湾には中国の一部であると考える人たち・自分たちは中国の一部でありかつ台湾であると考える人たち・自分たちは台湾人であると考える人たちが混在している。その現実こそが彼らの自己認識であり、日本人が勝手に論評して決めていい話ではない。だが競争に夢中になる傾向のある日本人は、大陸中国対日本という構図を勝手に作って「正解」を決めようとしてしまう。

さて、話を台湾に戻す。最近の世論調査によると若い人たち(現在20代の人たち)は自分たちは台湾人であると考える人が多いのだそうだ。国民党支配から脱却し民主化の進んだ台湾では徐々に独立派の人が増えつつある。おそらく独立宣言をしなくても意識としては台湾化が進むことになるだろうと思わせる変化だ。

日本人が本当に「自由と民主主義という共通の価値観」を共有して台湾と連帯するのであれば、日本人は民族・住民自決の原則を理解していなければならない。だが、実際にそんな主張をする人はいない。大陸中国人は共産党の意向に沿って台湾は中国の一部であると言っているからそれに反抗して「そうではない」という理屈を考えようとしてしまう。これはすなわち日本人が民主主義をきちんと理解していないということを意味する。

これは香港に対しても同じことが言える。香港には中国の一部になりたい人もそう思わない人もいる。これは香港人の問題であり日本人はそこに踏み込むべきではない。これが「政治的な正解」である。だがこれを理解しないで自分の世界観を投影してしまう人が多い。

では大陸中国が台湾を占有してもそれは台湾の問題であると放置すべきなのかという話になる。民主主義「色々な考えを持つ人がいてもいい」が他人の権利を侵害してはいけないという原則がある。これが「表現の自由」である。特に権力者が他人の表現の自由を奪うことはあってはならないことである。

これを展開するとウイグル人が中国の一部から離脱したいという人がいてもその心情ゆえに迫害されてはならないと主張することができる。ただし中国と一体化したいというウイグル人がいたとしてもそれは彼らの自由だ。

  • 中国は新疆からウイグルを分離すべきだと主張するのは内政干渉だが
  • 分離を主張する人たちを迫害しているのを止めるのは内政干渉ではない

かなり薄いラインだが民主主義の原則を理解できていればこの違いが分かるはずである。最近共産党政権は教育しやすい子供たちだけをウイグルに残しているそうである。出て行った親はどうしようもないが子供は中国人として育てるというわけである。かつてアメリカ合衆国やオーストラリアで行われていたのと同じ同化政策であり洗脳・弾圧と捉えられても仕方がない行為だ。自由主義社会に住んでいる我々はこうした暴挙を許容すべきではない。また、大陸中国は、香港で「愛国心がない人たちは何をされても仕方がない」というのはこの原則からはずれてしまう。

習近平が作り出したお話はそれに含まれない多数の人たちの排除に進んでいると考えるべきだろう。政治的に共産党中国を許容するということは「主義主張ゆえに不利益を被る人たちがいてもしかたがない」ということを認めることである。だが、おそらく多くの日本人はそのことがわからないまま「自由と民主主義という共通の理念」をなどと言っている。結果的にその言葉は説得力を失い、共産党政権のもとで苦しむ人たちを大勢生んでしまうのである。

おそらく無知そのものは罪ではないが無知を放置することは十分に罪深い行為だと言えるだろう。

一般人はまだ仕方ないと言えるが、1970年代くらいの安保経験を引きずったジャーナリズムが自分たちの経験を香港に投影したりしているのを見ると「これはかなり罪深いことだなあ」と思ってしまう。職業的に定着した無知は修正がきかないのでなおのこと厄介だ。

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