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徹底的に「あなた」を主語にしてくれた方が立憲民主党を応援しやすいと思った

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実のところをいうと自民党にうんざりしている。だが政治を準公共の場所で扱う場合「公平にしないといけない」という変なプレッシャーがあり、支持率の上がらない立憲民主党を応援できない。

公平って何?ということは後で考えることにするが最近面白い出来事があった。気がつくきっかけになったのはこの蓮舫議員のTweetである。

大学生が中心になって立ち上げた運動が総理大臣を動かしたという話で、蓮舫さんの質問がその仲立ちになっている。これは扱いやすかった。

なぜこれが応援しやすいのか。考えて見た。キーワードは「あなたを支援してくれる政党」である。

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そもそもそれを考えるためには、社会の何が変わったのかを考える必要がある。

かつてのテレビ世代はテレビで政権批判が自由にできた。ある程度正解が決まっていてちょっとくらい政権批判をしても経済は順調に成長していたからである。批判は大目に見られていた。

ところが現在は正解がわからない時代だ。フリーターのフリーが「自由」ではなく不安定を指すようになってからもう30年が経つ。

民主党が2009年に政権を取った時には「政権が変われば自動的に良くなるだろう」と思った人も多かったがそうはならなかった。民主党が正解というわけではなかった。だが有権者は正解を自分たちで作らなければならないとは考えず、民主党が間違いだったと理解してそのまま政治への関心を失ってしまった。

安倍政権になってかなりのデタラメが行われるようになったのだが「正解がわからないのにまた変えて大丈夫なのか?」という気分になる。だったら何も変えないほうがいいのではないかと思ってしまうわけである。「もう間違えたくない」という気持ちが蔓延している。若い世代を見ていると特に正解に頼りたいという気持ちが多い人が多いように思える。

「私失敗しないので」がもてはやされる世の中なのだ。

この間にも日本はどんどんといろいろなことができなくなってきているのだが、もうそんな情けない日本は見たくない。「正解だけ見ていたい」「うまく行っていると思いたい」「もう大丈夫だと誰かに保証してほしい」という国民の甘えた気持ちに応えたのが安倍政権だった。だが、それは単なる偽りだったので菅政権になってまた蓋が開き「さらにできなくなっている」ということがわかった。でももう見たくない。

どうあろうと我々は「何かが解決したところだけが見たい」わけである。

だが、これでは単に自民党に協力するだけになってしまう。それは単なる大政翼賛会だ。敗戦の予感しかしない。これをを乗り越えるキーワードは「あなた視点への転換」だろう。

このニュースは大学生を中心にしたグループが2年前に立ち上げた団体がやっているという。政治に過度な期待はしていないのかもしれないが、とりあえず声を上げて見たというところに重要性がある。それを応援するのが与党でも野党でも構わない。最終的にはほんの少しであっても問題が解決しさえすれば良いのだ。

国会を見ているとあることに気がつく。政治家の言葉はすべて「私を見て」と言っている。「私に注目して」「私の方がいい政策を持っている」「私を広めて」などなどだ。その陰で実は国民は置き去りになっているのだが私への注目を求め続ける政党にその声は届かない。

おそらくこの主語の転換に気がついた政党が次世代の主流になる時代がやってくるだろう。

このTweetは「徹底したあなた目線」で問題を解決しようとしているが故に公平を求める空間で扱いやすかったのである。

さて、ここから政治に対して公平であるというのがどういうことなのかということを考えさせられる。公平には主に二つの使い方がある。

  • 分配(結果)が公平である
  • 発言などの機会が公平である

ところが「マスメディアの発言が公平である」というのはこの二つには当てはまらない。注意深く聞いていると

  • 誰もが満足できる意見や情報

を公平と言っている場合が多い。だがこれでもよくわからない。試しにQuoraでメディアの公平について聞いて見たがぼんやりした答えしかもらえなかった。おそらく公平など誰も求めていないということがよくわかる。

「誰かを応援する記事やニュース」に対して「アンチが押さえつける」という構図ができている。だから「公平でないもの」はあるが「公平なもの」などない。つまり、自分が気に入らないことや常識的に受け入れられないことを「公平でない」と言っているだけで公平という正解があるわけではない。

特に日本人は人間関係の勝ち負けを重視するので「自分たちの立場が不利になる」と感じる発言を公平でないと感じる人が多いようだ。両論併記してもその中に自分が嫌いな人たちを持ち上げる発言が入っているだけで「偏っている公平ではない」と騒ぎ出す傾向が強い。

だから、立憲民主党が主役にはならないが存在がなければ解決しなかったであろうという問題は応援しやすい。つまり、誰かが誰かをエンドースし合うようなネットワークができれば応援しやすくなるのだ。

これも「あなた視点」の政党が次世代型としてふさわしいいう理由である。参加しやすく応援しやすいからである。テレビではなくネット型の政治のあり方だ。

おそらく「立憲民主党が批判ばかりしている」という批判は「私たちが惨めな気持ちになる」という意味でしかなく「立憲民主党の対案が聞きたい」ということではないのだろう。

曲がりくねったコミュニケーションのくせなのだが、日本人のメンタリティは変えられないので対象者に合わせてコミュニケーション手法を変えるべきなのだろう。

週刊誌報道ベースの劇場型政治はしばらく続くだろうから、テレビ育ちの立憲民主党が主語をあなたにすることはないと思う。しばらくは「私の方が政権政党にふさわしい」と言い続けるだろうし「私の意見がいいたい(が相手の意見は聞きたくない)」という人たちが、共産党への対応をめぐって言い争いを続けるだろう。これは旧世代型の政党のあり方である。

だがおそらく細かい違いを乗り越えて「あなたの声を聞くために結集しました」と思える政党が出て来た時今の行き詰った自民党を超えることになるだろう。自民党はもはや自分たちが作ったお話に鎖でつながれていて自由に動き回ることはできない。自民党は立憲民主党よりももさらにバージョンが低い。

主語の移動は実行は極めて難しいのかもしれないが、原理としては非常に簡単である。まずは実験からやり始めてほしい。

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