本日は夫婦別姓反対に動く高市早苗らの『絆』を紡ぐ会がなぜ危険なのかということを考える。この会は42道府県議会の議長宛てに選択的夫婦別姓に反対するように要請する文書を送りつけた後、騒ぎが大きくなると「あくまでもお願いだった」と釈明した。高市さんは高いところから「文書の意味は私が決めます」と言い放ったのだった。
第一に東京都を除く全ての道府県は交付税交付金をによって予算を中央に握られている。このため中央の顔色を伺わざるを得ない。今回高市早苗さんは「あくまでもお願いだった」と言っているのだが、実際には顔色を見てこちらの要望を正しく忖度するようにという恫喝である。自分たちの主張には責任を取らずあくまでもどう行動するかはあなたたちにかかっているのですよわかっていますねと言っている。予算を背景に地方を恫喝しているのである。実に巧妙である。
新しい文春砲で高市総務大臣時代にNTTから接待を受けていたのではないかと言う疑惑がでた。総務省といえば旧自治省の仕事も管轄しているので「予算を配分する」権限もある。国家予算を背景に特権的な地位にあった高市さんにとって県議会に指示を与えるのは実は当たり前のことなのかもしれない。
県議会はお金をもらう目下の存在なのだ。
Newsweekの冷泉さんのコラムによるとこの会は高市早苗議員、山谷えり子議員、片山さつき議員などが発起人になっているという。社会的には別姓で活動してもいいが政府が管理する本当の名前だけは夫に合わせなければならないのだということを特権階級の女性に言わせている。
おそらく背景には男性がいるはずだが男性は出てこない。支配する側が支配される側の代表を取り込んで、あくまでも彼女たちが全体を代表しているように意見を言わせるという構図がある。
同じような事例は中華人民共和国で見られる。少数民族の代表者を取り込んで民族の融和を演出する。だがその裏では強権的な政策も行なっているというのが中国である。「自分たちに従えば悪いようにはしないが逆らったらわかっていますね」と少数者を分断して忖度させるのだ。マジョリティがマイノリティを分断して協力できないようにしていると言う意味で悪質で姑息である。
最近中国は香港人が政治に参加する際には香港のことだけを考える身勝手な人間は政治に参加できないと言うルールを作った。政治に参加するためには「全中国のことを考える心の広い人間ではなければならない」といっていてそれを愛国心と呼んでいる。だが、実際には共産党支配への忠誠心を試している。この架け替えが全体主義では巧妙なのだ。ルールは「上」が決めるからである。
日本にもこのような特権意識に根ざした「お願い」が出始めている。そしてそれは柔らかい女性という衣服をまとってやってくる。柔らかい外見とは裏腹に解釈の仕方は私が決めますと宣言するという二重性がある。
中国共産党は「中国の考える理念でなければ受け入れられずその形式に逆らう人間には自決権はない」と言っている。これはおそらく中国国内では通じるだろうが最近の中国は外に対しても同じことを主張している。価値観が違う人間とは折り合いがつかないので中国は遅かれ早かれ外の世界と衝突することになる。もはやこれは共産主義ではなく中華秩序の押し付けだからである。外の世界は中華秩序に従う義理はないので中華秩序の中にいる人を中華秩序のなかに閉じ込める効果がある。
「国が考える家制度に従えば悪いようにはしない」ということなのかもしれない。
それでも中国は6%の成長を目指しているのでまだマシといえる。日本の特権階級はお願いと言う形で家族的価値観を押し付けてくるがその裏打ちになる終身雇用制の復活や地域社会の復旧というような約束にはまるで無関心である。単に価値観を押し付けてくるだけで責任を取らないという意味では全体主義より悪質だ。
最近、自分たちの正当化のために共産党のいう中華秩序に賛同する中国人が増えた。戦狼というそうだ。彼らは共産党の政治的な主張にコミットすることによって自らを解放しようとしている。だが実際には「特殊な中華意識に洗脳された人たちに何をいっても無駄だ」と思わせる効果があり自らを閉じ込めてしまっている。
中国人の一部が共産党一党独裁を通じて自らを正当化しようとするように、日本人の一部は戸籍による秩序維持を主張している。これはあくまでもそれを宗教的に信じる人たちにのみ通じる秩序であって外の世界では通用しない。ましてや男女平等化がますます進む外国にも通じない価値観だ。
戸籍は単なる制度であって国の管理台帳に過ぎない。確かに一貫した管理台帳は必要だがそれ以上の意味はない。そこに精神性を持たせようとする試みは疑ってかかったほうがいい。Newsweekのコラムで冷泉さんはこの主張をイスラム原理主義やアメリカの宗教保守になぞらえている。人工宗教が発達しなかった日本は国家主義がその代替になっているようだ。もともと戦中体制として始まった終身雇用制を前提にした「偽りの伝統」がいつの間にか宗教化しているのであろう。もはや戸籍教と呼んで良い。
戸籍によって作られる標準家庭さえ維持できれば後の問題は消えてなくなる。こうした知的怠惰の言い訳として戸籍を利用しそれを女性に言わせているという意味で罪深さを感じる。さらに戸籍教の布教に協力する丸川珠代さんを五輪・男女共同参画担当相に任命するという菅総理の政治姿勢には大いなる疑問を感じざるを得ない。
高市早苗さんだけでなく丸川珠代さんも特権階級に属しているという優越感から「ヘラヘラ笑って」国会答弁を繰り返したという。この問題を女性同士の感情的な問題に矮小化させそれを外から傍観することで問題を小さく見せようとしているのかもしれない。