ミャンマーで令状なしの逮捕ができるようになったそうだ。民主主義国の住人としては「こんなことが許されるはずはない」と思ってしまう・だが、ミャンマーは主権国家なので外から政治的に介入することはできない。現在の主権国家体制では結果的にこれが許されてしまう。そしてそれが一般のミャンマー人を苦しめる。
軍政下のミャンマーはこれから西洋社会とは経済的な交流がやりにくくなるだろう。バイデン政権は自国議会対策としてミャンマーへの制裁を発表した。特にアメリカ合衆国は権威主義へのアレルギーが強いようである。だがこれも効果は限定的である。アメリカの制裁で権威主義体制から降りた国はない。
権威主義体制国家には中国という逃避先がある。中国から見るとミャンマーはインド洋への出口にあたる。インドシナ半島に抜けるラオスへの関与も深めているが、ラオス経由だとタイに抜ける必要がある。そのため中国はラオスへの鉄道支援を通じてタイまで鉄道を伸ばそうとしている。一方で、ミャンマーはそのまま他の国を通らずにインド洋に抜けることができる。連携を深めるインド・オーストラリア・日本・アメリカ包囲網を分断するためにも重要な拠点になるだろう。
ミャンマーの前身にあたるビルマはイギリス領だったインドに併合されたのち日本の支援でイギリスから独立しようとした。この時に活躍したのがアウンサンである。のちにアウンサンはイギリス側に寝返る。だがイギリスに裏切られ独立は反故にされてしまった。さらに内紛でアウンサンは暗殺されてしまう。ビルマは常に諸勢力が外国勢力と結びつき内紛を繰り返してきた。
今回のクーデター騒ぎは独立の英雄とされるアウンサンの後継を名乗った軍とアウンサンの血筋故に民主化のヒロインとして祭り上げられたアウンサンスーチーの権威対決だった。どちらも詳しく見ていると直接の系譜とはいえそうにないが、それ以外の核がない以上それに頼らざるを得ない。
国をまとめる政治的な勢力が作れず民主的な議会が構成できないからである。民主化が期待されていたアウンサンスーチー氏ですら権威主義的に大統領の上に君臨する道を選んだ。これがミャンマー流の政治文化である。
ビルマはイラワジ川沿いにヒマラヤ山脈の北側から南下したビルマ族を中心に作られた国である。現在のビルマ族の遺伝的構成は様々だ。イラワジ川周辺の諸民族がビルマ語を受け入れビルマ社会に同化した結果としてビルマ族の社会が作られていることがわかるそうである。さらに山岳部にはビルマ化していない民族がいる。全部で8系統100以上の民族のいる多民族国家なのだそうだ。ビルマ族は仏教を強制することでこうした多民族を支配していると見る人もいる。西側のイスラム系ベンガル人との間にはロヒンギャ問題を抱えてそればかりが強調されるのだが、民族紛争はそれだけではないそうだ。
日本は早いうちに中華圏から離脱し、近世になって「西洋に飲み込まれまいと」して西洋の議会制民主主義を学んだ。このため独自の宗教性を帯びた皇帝権威と議会政治の伝統を外国からの干渉抜きに作ることができた。ところが複雑な民族に囲まれる多民族社会のビルマは落ち着いて民主主義的な政治風土をつくることができなかった。このためミャンマーは民主主義的なまとまりを形成することができない。
ビルマには民主主義の伝統はなくこれからもしばらくは民主主義的な伝統は作られないだろう。であれば、権威主義的な体制で経済を成長させるとという選択肢もあるかもしれない。実際に中国は権威主義体制で多民族国家をまとめ上げることに成功している。
おそらく中国には中国なりの統治システムがあり共産党内部、地域、軍の間に独自の緊張関係と競争があるのだろう。共産党の指導体制が「正解」を提示しそれに沿って豊かな核を作るというようなことをやっている。
小さな都市国家を除いてこうした権威主義体制で成功した国は今のところ中国しかない。中国の成功の秘密がわからない以上なぜミャンマーがそうなれなかったのかもわからない。さらに中国の体制にある程度の永続性があるのかもよくわからない。
おそらく国が豊かになる通路は一つではないとは思うのだが、今の所ミャンマーは権威主義的な通路も民主主義的な通路も作ることができていない。国内の諸派がまとまらず常に外国を頼ってきたミャンマーは西洋民主主義体制への依存を諦めて権威主義的な中国に近づこうとしている。
ミャンマーは日本からは離れていてまるで縁のない国のように思える。だがミャンマーの歴史を見ると日本がいかに恵まれているかがわかる。他文明からの距離によって民族的政治的なまとまりがつくれるかが決まってしまうのだ。日本はまとまりを作るのに成功したがビルマは今の所それに成功していない。