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森喜朗は何に負けたのか

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小池百合子という人は大嫌いなのだが、発言方法については学ぶところもあるなあと思っている。今回「今ここでやってもポジティブな発信にならない」と発言した。なるほどなと思った。いわゆる森語法とは際立った違いがある。今回は小池語法について書き、最後に森喜朗が何に負けたのかについて少しだけ考えたい。森喜朗が何に負けたのかということがよくわかる。

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小池さんの発言について聞いてみて「ポジティブ」の本当の意味は何だろうかと考えた。直感的に小池さんは逃げたのだと思った。だからこれは「この会議に私が出席しても私のイメージにプラスにならない」ということだろうと思う。

小池さんは逃げているのだが「みなさん後ろ向きな発言ばかりされてますよね」という印象を与えることでなんとなく自分をプラスに見せている。周囲はネガティブだという印象を与えると自動的に自分はポジティブということになってしまうのだ。おそらくテレビキャスターとして磨かれた職業的直感力なのだろう。

拙いながら英語にしてみると、小池さんが言ったのは You don’t get a positive impression even you hold a meeting nowということになろうかと思う。 だが実際には I don’t get a positive impression from the meeting and therefore you are useless.ということだろう。つまり小池さんは常にmy impressionを気にして自己中心的にに動いているのだが、発言するときには主語をitやyouにした方が柔らかく見えるということである。小池百合子的生き方というのは個人主義が発達していない現代の日本で生きてゆくための個人主義者の知恵なのだということがわかる。

これに対比されるのが森発言である。今回の森発言の要旨がスポーツニッポンにまとめられていた。ただし太字にした部分は発言していない。前提をみんなが知っていて結論はほのめかすだけになっている。

  • JOCは40%のメンバーを女性にしろと言っているようだ。
    • 文科省がうるさくいうから女性を入れるのだろうが、話が長い女性を入れると何かと面倒である。女性は優れたところもあるが競争意識が強いからだ。
    • 女性は発言時間を制限すべきでは?という男性もいた(誰とは言わないが)
    • 今の組織委員会にも女性はいるがみな経験を積んでいるので要領を得た話し方をしている。だから女性を選ぼうという話になる。
  • だから数の割り当てはどうかと思う

第一に人は話の冒頭で大体の印象を決めて後の話を聞くことになる。だから、森さんはここで「女性蔑視と思われる発言」をしたとみなされて炎上した。ところが、文章を読んでゆくと端々ではフォローをするような言い方もしている。だから後になって森擁護をする人も出てくる。

だが、この発言は結局何が言いたかったのかよくわからない。単に心象を思いつくままに並べているだけだからである。女性を会議に入れるのは問題だと言ってみたり私の身内である会議の女性はみんな優秀だと持ち上げて見たりしている。森さんとしてはおそらく数の割り当てには反対だがそうとも言わず「忖度してくれる」のを待とうとしている様子もわかる。さらにそれが自分の意見だと言っていない。周りがそう言っているようだと言っている。

この発言には主語がない。英語にしてみると主語の不在がよくわかる。つまり I feel women are troublesomeと言っているのか、I heard that people felt women were troublesomeと言っているのかもわからないし、women in general(一般的な)なのかwomen I saw (私が見た特定の女性)なのかもわからない。だが全体としてみると「女性の数を増やそうというのはどうかと思うよ」という個人の意見を忍ばせていて、周りに忖度させようと試みている。

集団主義の中を生きる日本人が話の主体を意識しないことからくる傾向である。つまり、私が言ったことも、私たちが言ったことも、仲間内の誰かが言ったことも全て区別されないのである。だが最終的に自分の心情を周りに押し付ける。これは森語法ではなく典型的な日本人話法である。

テレビの向こうの人たちにはこれが伝わらない。受け手には受け手の印象があり好き勝手に解釈されてしまうのだ。だから森語法は伝わらず小池語法が響くのだ。

神の国発言でも森さんは似たような構造で話をしている。

  • 同期生の誇りである綿貫民輔さんは神職なので神の子だ
  • 日本は天皇を中心とした神の国だ
  • 神様であれ、仏様であれ、天照大神であれ、神武天皇であれ、親鸞聖人であれ、日蓮さんであれ、誰でもいい、宗教というのは自分の心に宿る文化だから大切にしないといけない
  • 孫は神棚も大切にしているが教会にも行っているみたいだ
  • 小渕総理がなくなって私が総理になった。天の配剤とは不思議なものだなあ

この冒頭の二節が問題視されたのだが、実際に文章を読んでみると一体何が言いたかったのかよくわからない。前提として「神道政治連盟国会議員懇談会」で「表立って神道の信仰を言えないんですよね、おかわいそうに」という他人事の認識があり「別に政教分離なんて素直な気持ちになればどうでもいいことだと思うんですよね」という印象を披瀝している。

だが、全体をよく読んでゆくと言いたいことはそこにはないようにも思える。心情としては最後の「小渕さんが死んだので天の配剤(タナボタ)で私が総理大臣になれた」というところに向かってゆく。これもよく考えてみれば「小渕さんが死んでくれたから総理大臣になれたんだよね」ともとれる発言だ。なかなか不適切なのだが、おそらくそのようなつもりもないのだろう。森さんとしては「自分が総理になれたんだから神様もいるかもしれないなあ」くらいの話だったのかもしれない。

これは小渕さんのお通夜の日の発言だ。そう考えると、この人の空気の読めなさは筋金入りだということがわかる。

この文章は会議にいた人たち(森さんは綿貫さんが小渕総理の葬儀で参加できないので代理で出席した)に向けられているようでいて実は単なる自分語りになっている。

実際の森会長退任圧力になったのはNBCテレビの非難声明だったと言われている。オリンピックには「世界平和」と「全ての人が平等である」という精神が重要なのだが、言ってしまえばそれは単なる嘘である。現実世界には紛争が絶えず民主主義は危機の状態にある。さらに新型コロナ禍で世界の経済には大きな打撃がありそうだ。

だからこそ「嘘」を守り続けることが重要なわけで「これを否定される発言は困る」ということなのだろう。つまり、現在ほど「嘘」が必要とされている時代もない。ここまで強い揺り戻しがあった以上、オリンピックは無観客でも開催されるのだろうと思う。我々は嘘を必要としているということを自覚させられることになったからだ。

おそらく森会長はこれがよく理解できてなかった。さらに「現実の脅威に打ち勝つこと」などできないのだから菅総理も間違っている。実際にはコロナ禍をやりくりして開催されるからこそオリンピックにこれまで以上の価値が生まれるのだ。「オリンピックを誘致すれば土地の値段が上がり建設業が儲かる」と考えている人たちもオリンピックの虚構としての価値に興味は持たないだろう。

我々は現実を生きているように思えるが実はテレビやネットが語る夢や理想という虚構を生きている。そしてそれは嘘だからこそ大きな商品価値がある。森さんは現代的な意味での自己を持てずおそらく虚構の商品価値も全く理解できていなかった。だから表舞台から追放されることとなったわけである。

演劇の興行主が観客に向かって「これはお芝居なんですよ、目をさましなさい」ということは決して許されない。

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