安倍元総理の一連の禊の儀式が終わった。これによって自民党の岩盤支持層が崩れることはなかった。だがおそらくこの動きは自民党崩壊のきっかけとなるだろう。安倍元総理は国会議員にとって大切なものを切り捨ててしまったからだ。
安倍晋三元内閣総理大臣は桜を見る会の問題で「嘘」を積み重ねてきた。彼にとって幸運だったのは彼の嘘に大勢の人たちを巻き込んだことだろう。官僚も検察も官邸も共犯になってる。後継者である菅義偉内閣総理大臣もその一人である。だから元総理を守らざるを得なくなった。
この一環としてホテルの領収書をなきものにした。「桜・前夜祭問題」一層巧妙化する安倍前首相のウソで指摘されているように、領収書が出れば飲み食いの費用に公金が使われることがバレてしまう。だからだせないということなのだろう。
そもそも政治資金規正法は名前が示すように政治家を規制する法律ではない。国会議員が自らを律することができるということを国民に納得させるために作り出された法律だ。だから「規制」ではなく政治資金規正法なのだ。
きっかけはリクルート事件だ。土地や株の値段が上がると国会議員や官僚が群がった。「自分たちだけ儲かってずるい」という感情が政治家の金権政治批判につながってゆく。それまでもおそらく買収行為などはあったのだろうが大して問題視されてこなかった。誰かがきっとトクをしているに違いないとは思っても自分と比較しない限り「別にどうでもいい」と思うのが日本人である。国民を抱きこもうと地方自治体に一億円を配って見たりしたがロクな使われ方はしなかった。
今回、安倍元総理が高卒農協上がりの年下秘書に全てを被せた時に踏みにじったことは「形式的にズルがばれなければ特権階級の人は何をしてもいい」という堂々とした宣言になる。政治資金規正法の精神はつまり次世代には受け継がれなかった。
元総理は「自ら襟を正そうなどとは思っていませんし周りもそう思っていませんよ」と見せつけている。共犯である菅総理も元総理の態度を正すことができなかった。自公の議員たちは「元総理が先頭に立って政治資金規正法問題を整理しては」と懇願するように働きかけていたが元総理は歯牙にもかけなかった。世襲の貴族に頭が上がらないという雰囲気もあるようだ。
そんななか二つのことが起きている。一つは河井克行元法務大臣の問題をきっかけにした元農林水産大臣の不正問題である。関係各所に操作が入り関係者の間に激震が走っているそうだ。ただこれも誰かがトクをしたことが明確にわかるわけではない。選挙区の人たちがどう判断するかは別にして、自民党幹部たちは「反省したような神妙な顔」をしていればなんとかなるのかもしれない。
むしろ影響がありそうなのが、飲み会に参加してすってんころりんしてしまった富山の元大臣だ。宮腰光寛元沖縄北方担当相という記憶に残っていない大臣である。テレビで絆創膏を貼った痛々しい顔が出ていた。きっといい人なんだろうなとは思う。京都大学に入ったが家業を継ぐために中退したという苦労人のようである。
このところ政治家が「忘年会に参加していた」ことがニュースになったりする。「みんな我慢しているのにズルい」と我が事と比較してしまうからだろう。
政治家はつい「自分だけは」と思ってしまうのだろう。周りから守ってもらえる人がトップにいるのだから当たり前といえば当たり前だ。菅総理もこの緩んだ雰囲気を正すことができそうにない。
立憲主義の回復などと言っても誰もなんとも思わない。概念的すぎてよくわからない。おそらく庶民は自分と政治家を直感的に比べている。ここでは意外と「ズルい」という感覚が重要なのではないかと思う。