ざっくり解説 時々深掘り

エチオピアの混乱と民主主義

エチオピアが混乱している。これを見ていると民主主義の限界と意味が見えてくると思いなんとなくまとめておこうと思う。

エチオピアはヨーロッパに支配された経験がほとんどない東アフリカの国である。もともと多民族国家で「アムハラ」と呼ばれる支配階級が国を支配してきた。エチピオピアは北部にアラブ系の人たちがおりサブサハラ系の人たちと混じり合っている。「この混じり具合」が違う人たちが複数いて「異なる民族」を形成しているのである。ヨーロッパでいうと多民族的な帝国を脱却して国民国家成立前の状態にあるといえる。こうした社会がどうやって民主主義を獲得してゆくべきなのかということがわかるのだ。

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エチオピアには大きく分けて二つの言語系統がある。アラブ語と同じ系統のセム語派と東アフリカで話されるクシ語派である。主要民族のアムハラ語もティグレ人が話す言葉もセム語派である。最近独立したエリトリアもティグレと同じ言葉を使うらしい。一方で多数派の一つであるオロモ語はソマリアなどと同じクシ語派である。

エチオピアは帝政が打倒されてからのち主流派のアムハラとティグレが組んで国を支配してきた。オロモは数は多いが非主流であり「差別感情」があったようだ。以前オリンピックの銀メダリストがオロモ差別撤廃を訴えて抗議の意思を示し問題となったことがあった。朝日新聞が紹介している。この記事だけを読んだ朝日新聞の読者は「人種差別はいけない」と単純に思うことだろう。

ところがオロモ人が政権を握り首相となりノーベル平和賞を取るまでになった途端に軍を介在させた紛争が増えた。エチオピア政府はティグレ州を攻撃し今度はその西側で別の問題が起きた。「エチオピア、村襲撃で住民100人超死亡 軍が容疑者42人殺害」というAFPの記事によると、グムズという別の集団とアムハラの間で問題が起きたようだ。

2017年から2018年にはオロモとソマリの間でも問題が起きていた。ノーベル平和賞を受賞したオロモのアビィ・アハメドが首相になったのは2018年のことだそうである。アビィ・アハメドは軍歴こそあるがクーデターで政治権力の中枢に上り詰めたわけではない。総選挙もないようなので選挙で選ばれた訳でもなさそうだ。

どうやら話し合いによるイスラム教・キリスト教とを結びつける「平和のための宗教フォーラム」を創設したという前歴を評価され民族紛争を解決するために諸派の話し合いで選ばれてたようである。

政府による弾圧が国際的な非難を浴びるなか、解決に向けて与党連合は18年3月にオロモ出身初の首相としてアビー氏を選出した。同4月にアフリカ最年少の41歳で政権トップに就任すると「過去の間違いから学び、不正を償う時だ」と民族間の融和に動いた。

ノーベル平和賞にエチオピア首相 紛争解決に尽力

各民族の話し合いという民主主義的なプロセスによって選ばれノーベル平和賞までとった首相が自国を攻撃している。おそらく緊張状態が抑えきれなくないオモロの首相を選んだのだろうがほぼバトルロワイヤルのように各民族同士が土地に関する争いを繰り広げている。つまり独裁的に抑えることもできず民主主義も導入できないという難しい状態にあるようだ。

2019年にはこのような記事があり「新型コロナウイルス」の影響で延期されている。日本では当たり前の総選挙がこの国ではできない。アメリカ合衆国のように大統領選挙が荒れる国もあるが、民主主義が機能しているからこそ起こる光景だと言える。

アビィ首相はかねて民主化プロセスを進める中で、「先進諸国と全く同じ水準とはならずとも、平和裏に選挙を行うことが大事」など発言していた。今回も「完璧な選挙とはいかないまでも、民主主義とは文化であり、経験を通じて根付いていく。困難から逃げるのではなく、立ち向かうことが民主主義の構築と強化につながる」と説明したと報じられている(「エチオピア・ヘラルド」紙10月23日)。

統一選挙実施は2020年5月の予定、アビィ首相が表明

ではどうすればエチオピアが平和な状態になるのだろうか。我々がまず考えそうなことは教育によって「国民意識」を持たせることである。これを実際にやっているのが中華人民共和国だ。漢民族というのは人工概念で実際には別言語レベルの「方言」がある。さらに全く別の言語を話す人たちまでを含めて統一市場を作らなければならない。このため中国の教育政策には「教育ではなく民族浄化だ」と言う批判がある。実際に問題も起きているようであり国際的な非難もある。

民族主義ではなく「博愛」などの概念で国をまとめようと言う試みもある。フランスなどがその例だ、過去には南部の言語を「方言」だとしたうえで「フランス語」を人工的に作り国民国家を形成していた。今でも「民族らしさ」を残そうとするイスラム系との間に軋轢がある。ムハンマドを屈辱することも言論の自由だと主張しトルコに反発されたりしている。

エチオピアの状態を見ると、一見理不尽に見えることも多い民主主義のルールがなぜ重要なのかがわかる。これがないと「私たちとあなたたち」の間に埋められない溝ができてしまい集団の数だけバトルロイアル状態(万人の万人に対する闘争)が生まれてしまう。いくつかの都市国家や産油国を除いては、おそらくなんらかの民主主義がないと経済発展状態に進むことはできない。

だが、一部の例外を除いて「国民国家」の段階を経ないで人工的な民主主義国家を作るのは難しそうである。地図を見渡して見たところ、多民族の成功例はインドネシアくらいしか思いつかなかった。非西欧世界で民主主義を作ることがいかに難しいかがよくわかる。

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