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説明責任と言い訳の違い – 誰のための感染拡大防止呼びかけ?

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今日のテーマは説明責任と言い訳の違いである。前回まで「日本人は論理的な思考ができない」というテーマで書いているので、今回も「今これを読んでいるあなたもどうせ説明責任を果たせない」という前提で読んでいただきたい。

NHKで感染拡大防止の呼びかけをやっていた。尾身会長ら専門家の「いつもの仲間で過ごしてくれ」という発信受けてのことだ。NHKは「流石にこれはわかりにくい」と思ったのだろう。具体的な基準を出して「毎日会う人はいつもの仲間であるが、週に一度会う人はいつもの仲間ではない」となどと言っていた。だが「これが正しく伝わることはないだろうな」と感じた。代わりにこれは言い訳の材料として用いられるようになるはずだ。

では「言い訳」とは何だろうか。

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「いつもの仲間」のロジックは正しく伝えられていた。いつもの仲間としか会わなければウイルスは「いつもの仲間」の間に止まるために拡大しないそうである。後でTBSが「これはAIシミュレーションの結果」であると説明しているのを見た。TBSの番組ではいつもの仲間の範囲が広がると感染も拡大すると数字を出して説明していた。つまり、メッセージ自体はロジカルに決められていて解釈の余地はない。

ところが多くの日本人は「ロジック」が苦手だ。だから具体的な基準に落とし込んで具体的に説明してやらないとわからない。ここで「ルールを噛み砕けば伝わるんだろうか」と思ったのだが、恐らくこれを受け取った人は自分の都合に合わせてルールを曲解するはずである。

日本人はロジックの解釈ができないわけではなく、自分たちの心情に合わせて歪めてしまうのだということがわかる。心情解釈はある程度まで社会的に許容されている。ある意味優しい社会である。

西尾市の議員らが反省会と称して忘年会を行った。感染症対策という名目でコンパニオンも呼んでご満悦だったようだ。これをマスコミに糾弾されると「説明」と称して言い訳を繰り返した。曰く「旅館を助けたかった」そうだ。

西尾市議たちが説明責任を果たしていないことは明白である。市議会議員は市民の付託(選挙)の結果得られる地位だ。そのため彼らの行動には「道義的責任」が生まれる。市民は「政治家にはお手本になってほしい」と期待するからである。だから市議たちは規範となって市内のコロナウイルス拡散に繋がるような行動を慎まなければならないし理由を説明できなければならない。市議たちがアカウンタブルであるためには自分の行動の意味を正しく伝えなければならないわけである。

アカウンタビリティ(説明責任)の背後には付託関係と合理的説明があるということがわかる。

では「言い訳」とは何か。市議会議員たちには自分たちは選ばれた存在であり他の人たちより偉いのだという気持ちがある。だから女性にお酌をさせたい。市民は飲み会を我慢すべきだが自分たちは選ばれた存在なのだから我慢しなくてもいい。これが彼らの心情である。言い訳は言い訳のロジックに意味があるのではない。心情を正当化するために後付けでロジックを作るだけだからだ。

市議たちは「わかってくれよ」と言っている。これが言い訳である。

NHKの感染予防の呼びかけは二つの使い方をされるだろう。まず、他人の行動を牽制あるいは非難するために使われる。基準にあっていないから謝罪しろということになる。次に自分たちの心情を正当化するために使われることになるだろう。背景にあるロジックは無視される。日本社会ではロジックには意味がない。

GoToトラベルが推進されていた時期には「専門家委員会は移動によって感染が拡大することはないと言っていた」と曲解解釈がまかり通っていた。菅総理大臣らはGoToをやりたいという心情がありそれを心情的に正当化するために議論を利用した。そしてそのことに罪悪感を感じる人はいなった。ただ専門家の説明と違うということは問題視された。「嘘をついているのであろう」とみなされたからだ。

心情的説明はある程度までは許容される。ところがある一線を越えると逆に心情的な非難となって降りかかってくる。極端から極端に触れるのは背後に裏打ちされる理屈がまるでないからである。

だから西尾市議は「自分たちの言い分は認めてほしいが世間を騒がせたのは悪かった」といって理屈抜きに頭を下げることになった。言い訳が突破されると社会的に屈服することだけが選択肢になる。だから必死で言い訳する。

同調圧力が強い地方では心情は感染抑止に結びつくだろうが東京ではそうはならないだろう。同調圧力が弱く自由な「自己責任型」の都市だからである。東京では888人の感染者が出たそうだ。200人規模の時には想像ができなかった1日1,000人という数字も現実の心配ごとになってきた。

政府も東京都も相変わらず「お願い」を繰り返している。だが政治家は率先して規範を示すつもりはないようだ。我々の安全はマスクに象徴される自己防衛意識と同調圧力にのみ支えられているということになる。

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