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周縁論とタンデム構造

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明智光秀を扱った大河ドラマ「麒麟がくる」が山場にきている。これを見ていて周縁について考えた。中心部がうまくゆかなくなると周辺から別の勢力が出てきてそれを代替するという構造があるようだ。さらに中心部にも二重構造がありシステムが安定的に動作している。

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明智光秀は岐阜県(美濃地方)出身の侍である。土岐氏という源氏の末裔であった。ドラマは一部を空想で埋めながら明智光秀が権力の中枢に上り詰める様子を描いている。ポイントになるのは光秀が京都の将軍家と信長の両方に繋がりがあったところにあるようだ。つまり明智光秀が織田信長と足利将軍家を仲介したのであろうといっているのだ。

武家は将軍がまとめることになっていて天皇とは直接繋がらない。つまり京の中心は二重構造になっているはずである。ところが将軍家は機能しておらず「御所の塀を修繕しない」ということからわかるように天皇家と将軍家は折り合っていない。さらに天皇の弟が延暦寺のトップになっていてさらに安定しなくなっていた。

ドラマの時代、中心である京都の構造は混乱していた。

西日本と東日本が周縁にあたるわけだが東で争いを繰り返していた信長が京都に介入することで構造が変わってくる。織田信長はまずは「将軍家が中心である」と考えるのだが「実はその上に天皇がいる」と気がついたところからさらに話がややこしくなる。天皇は中心過ぎて実権力はない。将軍は中心に近過ぎるために汚職などの権力争いがある。最終的に将軍家が追い出されてしまう。

我々はこの後に何が起こるかを知っている。信長・光秀は中心に近すぎるために権力が持つ独特な重力圏に取り込まれて潰れてしまう。豊臣秀吉も中心で貴族化して潰れる。

最終的に状況を収拾したのは近いところにはいたが外側(関東)に適度に離れていた徳川家康である。伊達家は中心から遠過ぎたために中央のシステムには関与できなかった。将軍が京都から離れて江戸に移ることで再びシステムが安定するのである。距離をとってはじめて二重構造が復活する。

この間の歴史を見ると中心は圧力が強過ぎて争いが起こり、外から救済されることになっている。そこから遠すぎるとまた権力争いには加わることができない。

疑問もある「なぜ西側から関与がなかったのだろうか」という点である。この点について考察する人はあまりいないのだが、おそらくある程度豊かになると自立できてしまうのでこうした中央部のゴタゴタに関与する気持ちがなくなるのかもしれないと思う。九州くらい遠くなるともはや中央で何が起きているのかもわからなくなってしまうに違いない。いずれにせよ西日本は東側がまとまるとそれに素直に服属する形で旧勢力が生き残る。

畿内の東側は適度に「豊かでなかった」ために中央に関与する必要があった。だがここからさらに外側の越前、信濃、関東、東北は中央に関与しなくても自立ができた。おそらく信長が地域の争いごとを抱えておらず京都が安定していれば信長そのものがでてこなかったかもしれないし尾張は自立したのかもしれないと思う。

では徳川時代はどう終わったのだろうか。中心が東に移ったために適度な距離が西側にできた。これが薩長土肥である。

日本はくの字に曲がった形をしていて横に長い。このために中心のシステムが成り立たなくなっても東と西のどちらかから救済がくることなっている。戦国時代には東から競争を勝ち抜いた代替勢力が現れた。江戸時代の終わりには西と北に余白があった訳だが結果的に外国からの新しい知識を得た西側が代替になった。周縁論というと丸い図形を思い起こすのだが実際には地理的要因があってきれいな同心円の丸はできない。この地理的要因のためにある程度の多様性が生まれそれが代替のアイディアを生み出す。

さて視点を変えて現在の状況を見てみたい。肥大化した官僚組織の弊害から「政治主導・官邸主導」という欲求が出てくる。小泉政権で政治主導が始まる。途中で民主党による改革運動が起こるのだが構造が作れずうまくゆかなかった。結果的に国民が支持したのは安倍政権の官邸主導だった。ところが今にしてみれば安倍政権には安倍総理と菅官房長官の間のデュアルシステムになっていた。

形としては官僚や野党などの周縁が潰れてゆく。地方のプレゼンスもあまり高くない。

ここまで安倍政権のタンデムがうまくいったのは支持率が株価というわかりやすくある程度コントロール可能な指標と結びついていたからだろう。つまり政府は経済という指標で動いていた。

ところが新型コロナが生まれ株価ではなくコロナの感染者数と支持率が結びつくことになった。ここでまず安倍政権が暴走をはじめる。安倍総理はどうしていいかわからなくなり総理大臣を降りる。すると官邸のタンデムのデュアルシステムが崩れてしまう。

結果的に菅総理の周りには情報が入ってこなくなった。かろうじて会食で世間の反応を探っていたがこれもできなくなっているようだ。かといって地方自治体も官僚も党も意思決定には関与しない。ところが感染者という数字はダイレクトに上がってくるため菅政権が支持率という指標だけをよすがに場当たり的な決定を繰り返している。

おそらく現在の菅官邸はかつての足利将軍家のようになっており情報から隔離されているのだろう。このまま構造に潰されることになる。

問題はこのあとの代替が見えないところである。ある程度中心の構造が潰れないと新しい代替は出てこないのかもしれないと思う。

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Comments

“周縁論とタンデム構造” への1件のコメント

  1. […] 前回「周縁論とタンデム構造」を書いて日本の歴史を知らないなと思ったのでおさらいして見た。 […]