ざっくり解説 時々深掘り

「朝鮮には車輪がない」の嘘と本当

カテゴリー:

朝鮮の植民地化を正当化した人はよく「車輪さえなかった朝鮮を近代化してやったのは日本だ」という。遅れた国をわざわざ日本が開発してやったのだから植民地支配だなどと恨まれる筋合いはないというわけである。ここには本当のことと嘘が混じっているように思う。だがよくわからないのでそこで「이씨 조선 바퀴가없기」や「이씨 조선 바퀴가없는」で検索してみた。「李氏朝鮮車輪がない」という意味だ。語尾によって(名詞形にしたり連体形にしてみた)検索結果に違いがある。

Follow on LinkedIn

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで

|サイトトップ| |国内政治| |国際| |経済|






朝鮮人は車輪を知っていたが忘れてしまった

第一に朝鮮人は車輪を知っていた。

高句麗の時代には領土が満州平原にまで広がっていて、馬が引くワゴンのようなものがあったようだ。ところが、李氏朝鮮の時代には車輪文化がほぼ消滅してしまう。李氏朝鮮は1392年から1897年まで続いたかなり歴史のある国家である。日本では南北朝(室町)時代から明治時代までの長い期間にあたる官僚主義が支配的だった時代だ。

どうやらこの話は「ゆきすぎた官僚主義」が何をもたらすかという話のようだ。

そもそも官僚とは何だろうか。それは王権が地方勢力に対抗するために自らの統治体制を固めてゆくことを意味する。王権を確立するために、王は優れた官僚システムと強い軍隊を使って地方勢力に対して力の差を見せつけておく必要がある。

これが国力増強につながるため官僚主義は国家の重要な発展段階に位置づけられる。この官僚支配が人から離れて法律によって国が収められるようになるとその国は法治主義状態に入ったことになる。つまり、一般に官僚主義の浸透は「良いこと」とされる。

だが、朝鮮半島は中華文明に従属した官僚国家だったために官僚主義が国力増強につながららなかった。そればかりか、朝鮮には地域搾取構造が作られてゆく。中国(明と清)の威光を背景に官僚が地域から略奪するという国家体制が作られてしまったのだ。

もともと李氏朝鮮の前身国家だった高麗では仏教勢力と商人が強い力を持っていた。このため、僧と商人も卑しい階級だとされるようになったという。これも朝鮮の国際的地位を大いに貶めた。

官僚が略奪するようになると国の生産性が大いに下がった

韓国語で検索すると、あるまとめサイトが「軺軒」という両班の乗り物を紹介していた。両班は言わずと知れた李氏朝鮮の官僚貴族であり朝鮮の支配階層である。

Wikipedia

李氏朝鮮にも車輪はあったことがわかる。ではなぜ四輪または二輪でなかったのかということになる。実は南の方ほど道路が整備されていなかったそうだ。だからこのような車でないと狭い道を通れなかったのだ。

つまり、李氏朝鮮には車輪がなかったのではなく道路が整備されていなかったということになる。これで疑問は解決した。

いくつか理由がある。

第一に朝鮮南部は山がちであった。海はひらけていたので海運があれば物資の輸送はできた。このため陸上交通が発達しなかった。

次に奴隷階層の人たちが多く労働力確保に苦労しなかった。高麗の時代に優勢だった商人を貶めていたために、李氏朝鮮では商業はあまり盛んではなかったようだ。

おそらく朝鮮王室は外来の人々だった。このため地元の実力者たちを潰して国家権力を王権に集中させたのだろう。両班は領地を与えられたわけではなく王室から給料をもらっており特権的に地域から収奪することに黙認されていたようだ。仮に両班が地方の土地をもらいその土地の収益で暮らしを成り立たせていたならば両班は地域振興に熱心に努めたのかもしれない。これが日本の武士との違いである。

戦国時代を経験したおかげで日本は朝鮮と同じ間違いをせずに済んだ

日本も同じような経験をしている。中国から公地公民制度を取り入れた日本において貴族は土地開発のインセンティブを持たなかった。平安時代には多くの農民が土地を逃げ出したといわれている。一生懸命に働いても土地が自分のものにならない一種の社会主義制度だったからだ。やがて朝廷の力が及ばなくなると武士が自ら土地経営に乗り出し、戦国時代を経て「幕府」と呼ばれる統治体制が整った。

日本ではそれぞれの藩が幕府を経済的に支える構成になっていた。藩の収入は中央から保証されたものではない。藩が豊かになるためには新田開発したり特産品を開発する必要があった。つまり、日本の国力は大陸とは違った「地方と中央の牽制」の上に成り立っていた。

武士の経済は実質的に商人に支えられていたので交易路を整備するインセンティブもあった。外来勢力の後ろ盾を持たない天皇は単に法秩序の番人だとみなされていたのみである。

朝鮮では働くことが卑しいこととされるようになる

朝鮮王室の権威は明や清に与えられていてその王室が両班に権威を与える。両班はある程度の家柄に生まれ仕事をせずに勉強だけをして試験に合格すれば特権階級でい続けることができた。

李氏朝鮮では商業は抑制され道路も農地も整備されなかった。地方は単に国家の収奪の対象だった。まとめサイトの中にはたまに中国からやってくる使節を迎えるために広い道路を整備すればよかったと書いているものもあった。中国の強い威光が伺える。都市の道路は不法に占拠され車が通れるスペースがなかったという。景福宮に続く六曹通りなどの例外を除いて都市には道路と呼べるようなところはほぼなかったそうだ。それくらい朝鮮王朝はインフラ開発には後ろ向きだったのである。

李氏朝鮮が商業を敵視した理由も日本語では文献が見つからなかった。韓国政府が出している歴史資料を機械翻訳で読むと、李氏朝鮮は農業国家と規定されていて商人を差別冷遇したそうだ。高麗の反動であると書かれている。朝鮮は朝貢貿易国家なので中国と私的に貿易されては困るというのが理由だったようだ。仏教排斥と商人排斥は高麗に対する否定運動だったがそれが覆されることはなく、結局近代を迎えるまで維持されることとなった。

なぜ朝鮮に再び価値が生まれたのか

中国本土から見て朝鮮は半島国家であり単なる「行き止り」である。だが日本から見ればそれは中国につながる通路である。

日本は大陸への通路として朝鮮半島に利用価値を見出したために朝鮮半島の開発に乗り出す。日本が朝鮮半島を開発した理由はおそらく実利的なもので善意からではなかったのだろう。大陸進出のための通路を確保しておきたかったのだ。

日本には日本なりの理屈があり朝鮮を支配下に収めた。つまり日本側に純粋な善意があったから朝鮮を近代化してやったという主張には無理がある。

だが、結果的に日本は朝鮮の近代化を阻害していた両班から土地を引き剥がし朝鮮の近代化に一役買ったことは確かである。

ただこのときに日本は無理矢理に朝鮮独特の家族制度を根本から破壊しようとした。太平洋戦争の戦況が行き詰まると統治政策はより激しいものとなり最終的に朝鮮人から大いに恨まれることになった。

韓国の歴史認識は意外と冷静

韓国は漢字を捨ててハングルになったから歴史を知らないとか韓国の教育は反日一辺倒だなどという人がいるのだが、これも事実とは異なる。

韓国語の文献を読むと「韓国の近代化がなぜ遅れたのか」については冷静な分析が行われている。機械翻訳をすれば大抵のものは読める良い時代になったがそれでも基礎検索は韓国語で行わなければならない。そのため基礎資料が集められず間を空想で埋めている中途半端な考察が多いように思える。

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで

韓国は「実に近くて遠い国だ」と思う。


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です