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国民の無関心を背景に我が世の春を謳歌する二階幹事長

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バイデン大統領誕生のニュースで世間が沸く中、現代ビジネスが面白い記事を出している。「二階俊博vs麻生太郎のバトルが過熱…「おい麻生、お前はもう死んでるぜ」」とふざけたタイトルがついている。政権批判がすぎる現代ビジネスだかなかなか面白い記事だなあと思った。

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タイトルは二階幹事長と麻生財務大臣のバトルということになっている。だが実際書いてあるのは二階幹事長が政府を掌握したということだ。二階幹事長に説明をするときには事務次官をよこせという通達が出されており「読んだら捨てろ」というものだったそうだ。本当なんだろうか?とは思う。出元が現代ビジネスだからだ。ジャーナリズムとは見なせない媒体である。

だがここから色々なことがわかる。安倍政権は結局のところ安倍総理大臣に全ての説明責任を押し付けて菅官房長官が仕切る内閣だった。民主主義を理解することがなかった日本人がたどり着いてしまったのは説明責任がないところで実際の意思決定が行われる奥の院政治だった。安倍政権は国民への説明責任を軽んじる政権だったが国民はこれに対して違和感を感じてこなかった。奥の院にお任せしていれば面倒なことを考えなくても済むからである。国民は考えないことの方を選んだのだ。

ところが菅官房長官がなぜか奥の院を出てしまった。すると自動的に菅総理大臣には国民(実質的には野党のいる国会なのだが)への説明責任が生じる。日本は形式的には民主主義国家のままだからである。総理大臣はつまり民主主義に囚われており実際の統治機構からも締め出されている。戦国時代末期の足利将軍のようなものである。

この最初のつまづきが日本学術会議の問題だった。「安倍フィールド」を失ったことでこれまで通っていたことが通らなくなってしまったのである。

「政府が説明責任を果たすようになるのだろう」と期待したのだが、おそらくそんなことはなさそうである。日本学術会議の問題に関しては「反政府的な人たちを外した」という説明が行われることになるようだ。これは共同通信が伝えている。国民が法律の筋論を気にしないということがわかって「ぶっちゃける」ことにしたのだろう。もう奥の院の理屈を説明するしかないというところに来ている。おそらく国民はこれを受け入れるだろう。というより聞き流すだろう。

日本学術会議の問題はインテリバッシングになっていて「反政府運動をやるなら税金の入っていないところでやれ」という意見に集約されつつある。つまり誰かにトクをさせたくないという足の引っ張り合いになっている。実は成長もないが滅びることもない現代の日本ではこれが唯一合理的な選択肢なのだろう。

税金の使い道を国民がきびしく精査していると読めなくもない。だが実際の使い道は説明責任が生じない奥で決められる。日本学術会議に噛み付く保守派の関心がそこにないことは明らかだ。

ただ意思決定の舞台は官邸から党に移った。このところ目の色が冴えない菅総理は表に出て来たことで実際の権限を失ってしまったことに気がついたのかもしれない。

表の国会議論はこの日本学術会議の問題を軸に進んでゆくのかもしれないのだが実は政治の実権が党の側に移っている。そう考えるとおそらく国会のやりとりは全て無駄なものである。実質的なことは全て党の側で決まってゆく。国会はガス抜き装置つきの翼賛機関に過ぎない。

だが国民はそれをあまり気にしない。税金はすでに人に取られた金である。自分のことは自分で守る。だから企業も高齢者も自分の預貯金は取り崩さない。こうやって縛り合いの政治はどんどん我々の経済を縮小させるのだが、日本では誰も信じず誰にもトクをさせないことだけが唯一合理的な選択肢になってしまった。

縮小の他に奥の院政治には欠点がある。重要なことが決められない。収益源としての政治を確保したいだけなので「国論を二分する」政治議論はすべて先送りされるからだ。国民も今の暮らしが守られていれば細かいことは気にしても仕方がないと思っている。

その陰で色々なものが先送りされている。

安倍元総理大臣が辞める直前に敵基地攻撃能力を持つ議論をするようにと命じて去って言った。岡田克也議員が「決める前に国会に説明せよ」と求めたが菅総理や岸防衛大臣は応えなかった。結局これは大綱に明記されなかった。公明党が反対したからだと言われている。議論の過程が公開されることはなく調整で決まってしまった。

北朝鮮のミサイル攻撃能力は増してきている。飽和的な攻撃が起こったときには根元を叩かないと対応できないのかもしれない。だが、それが議論されることはなかった。おそらく議論したくないのであろう。

奥の院政治そのものに問題を見つけることは実は難しい。社会に対する決定的な不信感が蔓延し意思決定が先延ばしにされる。だが日本にはもはや国の将来を憂うような真の保守派はおらず単に保身派がいるだけだ。これらのことが問題視されることはおそらくないのだろう。

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