前回、菅政権のやり方がだんだん乱暴になってきたと書いた。これを書くにあたって色々な人とコメントのやり取りをしたのだが「とにかく自民党と政権に有利なことを言っておけば大丈夫なのだ」という人が多く辟易する。逆に自民党の全部がいやだという人も増えているようだ。政治について見るのも考えるのものが嫌になりジャンクのMacをいじったりしていた。
日本の政治がある極を迎えて行き詰っているということがわかる。だが実際に行き詰っているのは観測者の方である。こういう時には一旦対象から離れて見るのが良い。
一晩寝てみて「意外とそんなこともないのかな」と思った。まず岸田文雄前政調会長が平和主義核廃絶を打ち出した著作を発表したという話を見つけた。もともと非核は左派の主張とされてきたのだが自民党の主流派からそういう主張が出てきたというところに意味がある。菅総理に負けずに各会派から担がれていたなら、岸田さんはこんな本などださなかったのかもしれない。
さらに長島昭久衆議院議員が総理大臣に新型コロナの経済対策について提言したという記事を読んだ。細野豪志議員の姿もあった。提言自体に見るべきものはなく「二階派のバラマキ戦略に乗っているだけなのだろう」と思ったのだが仲間になっている人たちの顔ぶれを見ているとちょっとは期待ができそうだ。党内ではプレゼンスがないので何かして見せなければならない。旧来の自民党では「待っていれば官職が降ってくる」という感じだったのだから大きな変化である。
「新しい顔が出てきた」という点では評価ができるのかもしれない。が皮肉なことにこの仕掛けを作ったのは利権と政局にしか興味がなさそうな二階幹事長である。自身も出戻り組なのでよそものに対する差別意識がない。とにかく新しい風さえ入れば空気の入れ替えは起こる。皮肉なことだが、市民派と民主社会主義者で固まってしまっている今の野党こそ学ばなければならない姿勢なのかもしれない。問題は政策の中身でもその正しさでもない。常に新しいアイディアが入ってくるのかそれとも来ないのかということだけなのだ。
もちろんこうした主張がそのまま自民党のアジェンダに乗ることはないのだろうとも思う。岸田派には岸田さんをおろして林芳正さんを担ごうという動きもあるようだ。林さんも衆議院議員への鞍替えを狙っているそうである。長島議員は民主党からの移籍組である。細野豪志議員に至っては自民党に入れてもらってもいない。加えて留学組や大前研一の主催する塾の出身者もいるようでかなり「バタ臭い」集団だ。よく伝統的な国内企業でMBA出身者が浮くという話を聞く。そんな感じになりそうである。
これだけではあまり面白い記事にはならないと思う。アメリカでもまた違う動きが出ている。トランプ大統領は非伝統的な人たちを共和党に引き込んだ。共和党支持というよりはトランプ大統領を個人的に崇拝している人たちも多いようである。
この動きは共和党の敗戦ショックからの揺り戻しの頂点である。つまり今が一番ひどい状態にある。オバマ大統領に負けた共和党はまずティーパーティーに席巻されてゆく。ティーパーティー運動は表向きは小さな政府主義だったが本音は「黒人にあれこれ指示されたくない」というサイレントマジョリティの抵抗運動だったようである。共和党はまずこの反抗心を政治的に利用しようとしたのだ。だが、やがてもっとめちゃくちゃなトランプ大統領に席巻されてしまった。Quoraで質問したところ「二つの運動は不連続なのだが一つの流れを作っている」という回答をもらった。共和党は利用するつもりで引き込んだ人たちに党内をめちゃくちゃにされてしまったことになる。
トランプ大統領はあまりにもわかりやすく共和党の伝統を逸脱し始めた。このため共和党からは揺り戻しの動きが起きている。新型コロナに感染した人たちがトランプサークルに限られていたことからわかるように、今やトランプ大統領と共和党の間に一体感はない。
大統領選挙を前に「民主党が勝つだろう」と喧伝する人がいる。あからさまに他候補を応援できないので予測の形で願望を流しているのかもしれない。あるいはトランプ大統領が負けた後の言い訳の余地を残している可能性もある。例えばトランプ大統領の支持者で知られるテッド・クルーズ上院議員はアメリカ大統領選は大惨事になるかもしれないと言っている。楽勝ムードが漂って入れば「引き締めのためにそう言っている」という観測も成り立つのだろうが、クルーズ議員自身がポジションの変更を図っているのかもしれない。つまり「ほら言っただろう」といって逃げようとしていると考えられるのである。リンゼー・グラム上院議員も民主党が勝つだろうと予測している。
このようにアメリカでも内部での軌道修正の動きが始まっている。分断と破壊が最も頂点にあると人々が感じている時にはもう次の芽が出始めているということになる。
集団としての人々の挙動は複雑すぎて予測できない。だがある極が極めれば必ず次の動きが出てくる。
前回の給付金の時にはTwitter世論に押されて土壇場で自民党がまとめた経済対策が大きくひっくり返った。せいぜい一週間くらいの盛り上がりがその後の政権の挙動が変わる。これも皮肉なことだが総理大臣の権限が強くなり一人でなんでも決めてしまえるからこそおこったことだ。権力構造が強くなれば強くなるほど逆に民意に動かされやすくなってしまうのである。
菅総理が独断で何かを決めるたびに党内外に敵ができる。菅総理は身動きが取れなくなり民意の支持を求める。これまで組織を通じて要望を伝えてきた自民党だったがそれでは間に合わなくなる。問題が多すぎて選挙もできない。こうなると政権はTwitter世論に流されてゆくしかなくなる。つまり、総理の権限が強まれば強まるほど瞬間風速的な民意が政治に大きな影響を与えることになる。つまり、一人ひとりの小さなつぶやきが政治を変えてしまうのである。何も変わらない投票よりも手応えがあるのだから有権者はやがてTwitter民意に惹きつけられてゆくことだろう。
集団の挙動というのはこれくらい読めないものなのだなあと思う。いずれにせよ行き詰まりの中に新しい芽は動き始めている。