菅総理大臣が「自分は106人のリストは見ておらず、リストは最初から99人だった」と説明したそうだ。つまり自分はリストを見ていないのだから排除ができるはずはないという説明である。ところがその説明は蓮舫議員のTweetで瞬殺されてしまった。決済書類が残っていたという。おそらくこれが次週のワイドショーでは格好のネタになり「この政権は何かおかしいのではないか?」というイメージを振りまくことになるだろう。また国会が空転する。
もちろんこの黒塗りの名前が外されたのとは違う6名であると言い張ることはできるのだが流石に無理がある。さらに誰かが勝手に総理の印鑑を押したということもできるがこれはおそらく自殺行為である。もし別の人が勝手にリストを外してたとなれば「総理大臣の監督責任は一体どうなる」ということになる。もう詰んでいるのだが「ごめんなさい」とも言えない。
その上、Quoraでは「日本学術会議側が6名の推薦理由を説明しなかったから総理が外したのだ」という説明を聞かされた。おそらく他の99名についても同じことがいえるはずである。言い訳にも説明にもなっていないのだがとにかく政権を擁護したいと考える人たちが大勢いてうんざりさせられる。
もともとこの話はこれまで学者側が「忖度しないリストを出した」ことが発端になっている。学者としては筋を通そうとしたのかもしれないが、政治側としては挑発されたと感じたのかもしれない。お互いに「叙任権」をめぐる争いだったのだろうがどちらにもトクのない競争だった。そして、これ自体は国民にはなんの関係もない意地の張り合いである。この意地の張り合いでおそらく政治家の側も学者の側も傷を負うことになるだろう。
まず学者側の負った傷だが「日本学術会議などいらない」として行政改革の対象にされそうである。選挙をなくした段階で元々あったリストの正当性は失われていたようである。日本学術会議の存在はこれまでも知られておらず、政府からは諮問を求められておらず、戦後すぐの設立経緯を話しても「もう日本は戦前を超克したのだから役割は果たした」としか言われない。さらに日本が低成長に陥っていることまで「学者が実用的な研究をやらず象牙の塔に閉じこもっているからだ」などという言いがかりをつけられている。象牙の塔に籠り続けた結果、学者は国民からあまり信頼されなくなっているのである。
それでも学者たちは理論的な「正しさ」を政治から導き出そうとしている。理論的に合っていればそれは正しいという思い込みがあるのであろう。合理性は政治の一部だが全部ではないということを学者は理解できない。学者もまた国民生活や感情には全く興味がないのである。
政治の側にもすっかり抑圧者としての印象がついてしまった。日本学術会議が中国の千人計画と関与しているというデマが飛び交ったがBuzzFeedの調べによると甘利明議員のブログが発信源になっているそうである。さらに下村博文さんは全く答申をしていないと言っているのだが逆に依頼をしてもらっていないので自発的に自腹で提言を出していると反論されてしまった。もちろん自民党はポルポトでも中国共産党でもないのだが「潜在的にその気質がある」と思われても仕方がない。やっていることは不確かな情報による国民扇動だからである。しかも全て自分たちは正しいという言い訳のために行われている。「みっともない」としか言いようがない。
だが、もちろんここから様々な教訓を読み取ることは可能である。
まず第一に菅政権の行政管理能力には問題が多いようだ。半日でバレるような嘘をつくことからもそれは明らかである。おそらく今後文書がでてこなくなることが予想される。やっぱり森友加計学園のあの騒ぎは菅総理大臣の行政能力のなさと頑なさによって生まれたということはこれで確かなものになった。面会記録問題などで国会審議は停滞し多額の税金が無駄に使われた。
さらに、政治はこれまでも学術を保護してきておらずその恨みが一気に吹き出している。もっとも科学軽視は日本だけの現象ではない。例えばトランプ大統領がI don’t think science knowsと言ったことも「政治が科学を軽視している」と受け止められている。おそらく、今回排除された学者だけでなく多くの学者が菅政権に嫌悪感を抱くようになるだろう。安倍政権でははっきりしなかった科学軽視・科学敵視の姿勢が菅義偉という個人に向けられることになるだろう。
それぞれの村の統治理念にこだわる政治と学者のどちらにも反省すべきところはあるのだろう。そうした根本的な問題は解決されることはなく両方に傷を残して終わりそうである。検察庁の人事問題で起きたのと同じようなことがまた繰り返されようとしている。あの問題も「議論を深めるべきだ」と散々言われたが誰も議論などしなかった。集団としての日本人は反省をしない。
それにしても菅政権が半日でバレる嘘をつき今後もそれに合わせて文書を捏造したり隠蔽したりするであろうことを想像すると薄ら寒い気分になる。また野党はそれをつつく。このようにして何も解決しないのに国会のリソースが延々と食い荒らされる。
それにしても比較的優秀とされた日本の政治はいつからこんなことになってしまったのかと思う。おそらく小選挙区制で党の多様性を奪い政治主導の名の下に官僚人事を統制した結果なのだろう。この裏では岸田派と二階派が山口三区の一つしかない椅子を巡って争っている。民主主義と言いながら国民には選ぶ権利がなく、関ヶ原の合戦を眺める農民のように遠くから政争を見ているしかない。我々は今目の前にある茶番ではなくその裏にある政治改革の失敗をしっかりと受け止めなければならないと思う。