今年も予算要求の季節になった。去年と違っているのは「デジタル化」という新しい目標ができたところである。目標ができるとどうなるのかというのがよくわかる記事が二つあった。各省バラバラに予算の囲い込みが始まるのである。権力闘争に最適化した菅政権には総合政策が作れないということがわかる。これがどんな問題を引き起こしつつあるのかを見て見たい。
第一のニュースは「デジタル活用へ予算倍増を要求」というニュースだ。主語は経済産業省だ。次のニュースは「自治体デジタル化の予算が5倍に」だ。こちらの主語は総務省だ。IT・ITCと二つの用語を持つ政府の電子化には縄張りがある。総理大臣がやりたいことを表明すると「これならお金をくれるんでしょ」といって予算を請求するわけである。もちろんお互いに整合性は取っていないのだろうし、もともとのきっかけになっている「新型コロナを巡って混乱した事務処理を効率化する」という目的は忘れ去られている。さらに総理大臣の真意を理解しようなどとは誰も思わない。省益だけが優先されるからである。
本来なら整合性を取るのは内閣の仕事である。実際に補佐するのは内閣府職員だろう。では内閣府は何をしているのか。
「平井担当相、デジタル庁「首相直属で」 10年以上存続の組織に」という記事によると、デジタル庁は総理大臣直轄の(つまり内閣府の)組織であり、ある程度継続性のあるものとして想定されているようだ。おそらくは、総理大臣の権限を強めようとしているのだろう。つまり、内閣府は監督者ではなくプレイヤーとして利権獲得に参加してしまっている。これではだれも調整・調停機能を果たすことができない。
日本は議院内閣制ということになっているので内閣は共同して議会に対して責任を持つことになっている。だが実際には各省庁がバラバラに事業を展開しつつ限られた予算を奪い合っている。一方で総理大臣の側も「省庁から仕事と権限を奪い取ろう」というメンタリティになっているようである。だから少数精鋭で(つまり他省庁から人を取らずに)民間人の力を借りつつ自分たちでやりたいのだろう。官民を巻き込んだ仕事の奪い合いがはじまっている。おそらく安倍政権下で起きたことがより露骨な形で可視化されているのだろう。
当初、菅総理大臣がIT・ITCという省庁の色がついた言葉を使いたがらないのは総務省・経済産業省からの脱却を目指そうとしているのではないかと思っていた。だがこの「デジタル」という言葉もDXとして旧来から使われていた言葉のようだ。もともと予算獲得の新しい題目として仕込まれていたんだろうなと思う2020年7月のダイヤモンドオンラインの記事を見つけた。Quoraで経緯を読むと2018年に経産省が使い始めたタームのようだ。
総合政策をうちたてることもできず、新しい概念も作れず、アジア諸国で普通に行われているIT化もまともにできなくなっている日本政府は「スウェーデン・ウメオ大学のエリック・ストルターマン教授」が2004年に提唱した輸入概念を持ってきて勝手に解釈している。武田良太総務大臣もこのDXという言葉を使って予算獲得を目指していると書かれている。マスコミも目新しい言葉で見出しが飾れた方が良いと感じるのかもしれない。
おそらく日本の政党にはもはや総合政策を作る意欲も能力もない。マニフェストベースの政策集を地道に作っていればよかったのにとも思うのだが、民主党の2009年マニフェストを見ていると、多分寄せ集めで財政の裏打ちのないアイディアが集まってくるだけなのだろうなとも思える。岸田政調会長時代の自民党の会議もそんな感じだった。
もはや総合政策が作れない日本では国民にとってわかりやすいレベルのニュースだけが大きく取り上げられる。それが「印鑑の廃止」である。「とにかく印鑑は悪だから廃止しなければならない」と河野太郎行革担当大臣がぶちあげたそうだ。民主党政権が公共事業を槍玉に挙げて混乱したのを思い出した。立憲民主党が選挙の争点作りに政権追及チームを作ったという記事を見かけた。自民党だけでなく立憲民主党も総合政策がつくれなくなっているようである。
戦前には憲政の常道という政権交代の仕組みがあったのだが、野党は与党の単なるバックアップに陥った。劇場型政治に依存した政党政治は政策を作れなくなり最終的に翼賛化してしまう。そのあとの歴史はよく知られた通りである。おそらく政党が政策を作れず官庁と縄張り争いをするというのはこの歴史のトレースになっているのだろう。政党政治は終わりを迎えようとしている。だが、出口が戦争であるかどうかはわからない。もしかしたらこんな状態が延々と続くのかもしれない。
足元ではドコモ口座の事件がくすぶる。どうやらMijicaという決済システムを擁する日本郵政にも飛び火したようである。被害金額はどれくらいになるのかわからないそうだ。どちらも民営化が進みながらもユニバーサルサービスの支え手の役割を担わされている会社である。この問題を突き詰めてゆくと自民党が進めてきた新自由主義型の民営化の行き詰まりという問題に突き当たる。菅政権はこれとマイナンバーを接続しようとしている。強行すればおそらく大惨事だろう。なんの落ち度もない国民の財産が狙われるという由々しき自体だが麻生財務大臣はあくまでも評論家モードである。
総合政策を作れなくなった我が国では、いろいろな時限爆弾が次々と発火しつつあるようだ。