ざっくり解説 時々深掘り

調停者としての君主を求め始めたアメリが合衆国とヘンリー王子

サセックス公爵夫妻がヘイトスピーチの抑制についてメッセージを出したというニュースを読んだ。違和感を感じると同時に「アメリカは王様を求めているんだろうな」とも思った。共和国として長い伝統を持つアメリカ合衆国が王様を求めるとは時代も変わったものである。

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The Duke and Duchess of Sussex have weighed in on the upcoming US presidential vote, urging people to reject online negativity and hate speech as what Meghan described as “the most important election of our lifetime” approaches.

Harry and Meghan urge action against hate speech ahead of US election

メーガンが「生涯でもっとも重要な」という選挙が近づく中、サセックス公爵夫人が来たる大統領選挙に向けて人々に否定やヘイトスピーチを取り除くように人々に促し大統領選挙に参戦した。

特に気になったのはこのweigh inという表現である。ここでは参戦したと訳したが直訳するとボクシングの前に選手が計量することを意味するそうだ。かなり戦闘的な言葉だが慣用表現として「参戦する」「介入する」「関与する」「旗色を明らかにする」などの意味になるようである。

メーガンさんは黒人と白人のハーフであり昨今のBLM運動にも関心を寄せているのだろう。女優としてセレブとして政治的発言をするのは当たり前である。これは、反トランプキャンペーンになる。だから反トランプ陣営のCNNは「メーガン妃が参戦したぞ」と喜ぶのだ。

もちろん記事を注意深く読むと夫妻はそこまで大きく踏み込んでいるようには読めない。Elleの記事に詳しく書かれているがヘンリー王子は「イギリスでは選挙権を持っていないし政治的発言はしない」と明確に言っている。つまり母国で妻の政治的発言がアメリカとイギリスでどう受け取られるかを知っているのである。

サセックス公爵夫人は政治的な発言を避けてはいるが同時にそう受け取られることもおそらくは知っているのだろうと思える。それはとても微妙なラインである。

日本のような立憲君主国から見るとこの発言はとても異様に見える。皇族が政治的な発言をすることなどありえないからだ。例えて言えば内親王の一人が外国人と結婚し、その夫が政治的発言を始めるのと似ている。イギリスの王族も政治的に公正であることを求められる。もともと地方君主たちの調停者として「置かれた」という歴史があるうえに議会によって王様が排除も経験しているからだ。

その意味ではメーガンさんは夫の置かれている立場を全く理解できていないことになる。おそらくメーガンさんは王族を「セレブの豪華版」くらいにしか理解していないのだろう。

これによって微妙な立場に追い込まれるのはおそらくヘンリー王子(サセックス公爵)の方だろう。将来のイギリス王の弟という立場は終生変わらない。イギリス国民は王子をさらって自分たちの国を出て行ったメーガンさんが「公爵夫人」という名前を利用して金儲けをすることに対して苦々しい思いをするだろう。

一方でヘンリー王子は自分が生計を立ててゆくためにはアメリカ人が考えるイギリス君主というイメージでビジネスをやってゆくしかないということは理解し始めているのかもしれない。

だがアメリカがこうした発言を求めているのは確かだ。そもそも君主や貴族のイメージはアメリカでは高く売れる。Netflixと結んだディールは160億円だったという。その上に、今のアメリカ合衆国には分断していてその分断を上から調停できる人がいない。特にトランプ大統領は国内の分断を煽りついに国連のスピーチまで選挙に利用した。道徳心のある人々はこれに心を痛めており「超然とした何かがこれを諌めてくれないだろうか」と思っているはずである。調停者を永久に失うというのが共和国化なのである。

この発言は「Time誌の影響を与えた100人」の2018年の受賞者である夫妻から「2020年の受賞者に対するお祝いコメント」として発出された。日本では伊藤詩織さんと大坂なおみさんが選ばれている。

ちなみに今回選ばれた日本人はどちらも「男性優位の日本社会の旧弊な偏見と戦う」女性である。今、アメリカの民主主義は危機に瀕している。だがそれでも自分たちは民主主義的価値観の守護者であると思っていたいのではないかと思われる。そこで日本を男性優位の閉ざされた封建国家と見たがるのだ。アメリカ人は自国の民主主義が崩壊しつつある中でもまだこの「自分たちは民主主義の伝道者である」という自己意識から抜けられない。

アメリカ人は共和国を選択しておきながら君主を求めており外国に対して自由を守護する側の人間だと思われたい。それくらいアメリカ人が自分たちに抱いていた正義と自由の守護者というレッテルは大きなものだったのだろうし、またそれは大きく揺れている。

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