先日、アメリカで政権暴露本がたくさん出るのはどうしてだという質問があった。日本の官僚は天下りに依存しているので政権の悪口は書けない。だが、アメリカは転職が前提になっているからであろうと書いた。すると本当にそうなのか?という追加質問がついた。「エビデンスはありますか」というわけだ。挑戦されたのである。
調べたところ面白い記事が見つかった。政府官僚ではなく「高官」の離職者がトランプ政権下で相次いでいたという日経新聞の記事だ。トランプ政権、高官離職率65%で突出 国防長官も辞任というタイトルの見出しだけを読むとトランプ政権のブラックぶりがわかるのだが、実は他の政権もかなりの人が辞めている。霞が関と違ってワシントンでは転職が当たり前なのだ。
ちなみにトランプ政権でやめた人には国務長官・内務長官・司法長官・環境保護局長官などの高官が含まれる。また補佐官の解任や辞任なども目立つ。
特にロシア介入疑惑の時期には辞任が相次いだ。またトランプ大統領は縁故主義者で知られているので娘や娘婿と対立した人も辞めている。国に仕えるつもりだったのにトランプ家の家業を手伝っている感覚に囚われるのかもしれない。
自己都合で辞めた人は6名に過ぎないそうだ。
実はこの記事は2018年のものだ。政権発足から少ししか経っていないのに何人も辞めていることが異常に見えたのだろう。同じ時期のNewsweekにも同じような記事がある。高官というと「大臣クラス」なので官僚とは別のように思えるのだがNewsweekには次のような記述もある。
クビになっているのはトップ級だけではない。次席クラスの高位職ががら空きの現状も政権の機能不全の元凶だ。国務省ではこれまでに上級外交官の25%が辞職・退職または解任された。後任はほとんど指名されておらず、トランプ政権は国務省の規模の縮小幅を4分の1から3分の1にする方針だ。
トランプ「誰もいなくなった」人事の後で
つまり身分が保証されている日本と違ってアメリカでは大臣に続くレベルの人たちも政治的に解任してしまえるのである。アメリカには日本で言うところの官僚がいないのである。
Newsweekの記事は辞職・退職または解任となっている。自発的に辞めた人が少なくないことが想像できる。国務省の場合その後に補充はなく1/4から1/3にするという方針なのだそうだ。抵抗する官僚がいなくなればそれだけ大統領権限が強くなる。アメリカ版の官邸主導である。タイトルは「支離滅裂と怠慢、政策の実行役が不在のまま大統領の「声明」とツイートで成り立つ政治」と批判的だ。
ただこの記事を読んで「アメリカでは政府を辞めてもしがみつく必要はないんだろうな」という感想も持った。一番離職者が少ないオバマ政権でも離職率は20%を超えている。つまり他に選択肢があるのでワシントンにしがみつかなくてもいいのである。
例えば日本では前川喜平元文部科学省事務次官がいまだに安倍政権の政策を批判し続けていた。おそらく官僚には自分のナワバリだったところへの天下りくらいしか道がない。日本は人口こそ多いのだが実質的にはアメリカの州の一つくらいの広がりしかなく逃げ場がないのだろう。こうして結果的に政権や中央政界に縛られて生きることになる。
アメリカの高官のその後の人生について調べて見た。その後詐欺で捕まったという例外的な人もいるが、政府で得た認知度を利用して政治ショーのホストになったり学校に戻って教育者になった人もいる。暴露本を書く人もいるようだがあくまでも次の職場へのつなぎの時間に本を書いて稼ぐと言う程度である。
前回、三浦春馬さんと芦名星さんの問題を見た。日本の芸能界も東京一極集中なので、ここを追い出されてしまうと再起は難しい。最近ではようやくYouTubeが出てきたのだがそれだけでずいぶん風通しが良くなったような気がする。YouTubeを土台としてK-POPが流行した。するとJ.Y.Parkのようなアーティストの個性を大切にするマネージメントを行う人も発見できるようになる。一つ選択肢が広がっただけで風通しが全く異なるということに多くの人が気が付いている。これが多様性がもたらす風通しの良さである。
政府が黒塗りドキュメントしか出さなかったとしても高官が「実はこうだった」と発信してしまえば、政府は情報を隠すことはできない。つまり多様性は自浄作用ももたらすことになる。選択肢は多いほうがいい。
多様性にはいいことが多いのだが、選択肢が年々狭まってゆく日本人はそもそもこの多様性の恩恵を受けていない。だから多様性を憎む人が出てくる。
岸田文雄前政調会長が大坂なおみ選手を讃えたところ非難のリプライが殺到した。この中には多様性を攻撃する人たちがいた。正解にしがみつかないとやってゆけないという気分が蔓延しているのだろう。安倍晋三が政治議論に連れてきた(おそらく岸田文雄が誰かもよくわかっていないような)人たちは安倍晋三が政権を去ってもTwitterに残り続ける。彼らは多様性の心地よさを知らない犠牲者であり、なおかつ次の世代の加害者でもある。