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リーダーなき時代の対話なき総裁選が終わった

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「デジタル庁についてどう思うか」を聞いてみた。デジタル庁というアイディアがめちゃくちゃだと思ったのだ。だが、実はこのアイディアが概ね好評なのだ。官僚から権限を奪うというのがメシウマ感覚を生じさせているらしい。これに色々な理屈をつけて賞賛する回答がいくつかついた。そのあとで情報システムをやっている人たちから「よくわからないが何か怖い」という回答もついた。つまり一般の理解と専門家の理解が全く乖離している。この一連の回答群から日本人のマネジメントリテラシーのなさを感じた。と同時に、菅総理がうまく庶民感覚を掴んでいるということもわかる。マネジメントリテラシなき国に権力掌握型のマキャベリスト総理が誕生することになる。

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このアイディアが情報システム経験者から嫌われるのはトップダウンで権限を奪うと隠れてシステム開発をする人が出てくることを知っているからである。権力掌握のために恐怖政治は有効だ。だが恐怖政治は専門家も萎縮させる。そして抵抗勢力もあらわれる。内部告発、非公式の人間関係、度重なる情報漏洩、アイディアの枯渇などがマキャベリズムの副作用だろう。

特に村落防衛意識の高い日本の変革管理は苦労する。非公式の人間関係によって支配される日本型の変革管理は明確な権限分担を前提とした米国型の変革管理とかなり違ってしまうのである。

一方で専門家でない人たちは村落共同体の感情でこの問題を捉える。誰かの不利益は自分の利益である。そして世の中には非専門家の方が多い。マキャベリスト型の菅総理はおそらくこのあたりのことを熟知しているのだろう。

デジタル庁というアイディアには国のIT政策がうまく行かない原因は省庁間のサイロにあるという前提があry。原因は抵抗勢力なのだから、誰かが権限を握り一括で推進すれば問題は打開できるだろうというのだ。

さらに実際に菅官房長官にデジタル庁構想について聞いてみると「鍵はマイナンバーの推進」であるという。マイナンバーは手段であり目的ではない。手段と目的を間違えて捉えている。だが、おそらくそんな分析手法を習ったことはないに違いない。

  • 問題:日本政府の業務効率は著しく低い
  • 原因:業務効率が低い理由は次の通りだ
    • コンピュータシステムが導入されておらず紙ベースの事務に頼っている。つまりデジタル化が遅れている。
    • 各省庁がバラバラにコンピュータシステムを導入していて連結されていない。
    • コンピュータシステムを導入する人たちは業務に精通しておらず、現場にはITスキルがない

問題点を解決するためには色々な手段が考えられるだろう。

  • ITに強い人材を登用して業務を整理させる。
  • 現場の業務責任者にITリテラシーを身につけさせる。
  • 統一キー(マイナンバー)を作ってシステムを整理する。

さらにITは専門家に任せておけばいいというものではない。あくまでも業務の効率化が鍵なので、コンピュータシステムに合わせて業務を変えるか、業務に精通した人とコンピュータシステムの専門家が話し合いをする必要がある。そして業務は他省庁にまたがるので話し合いの文化を作って他省庁間の協業を促進する必要がある。

岸田政調会長は一生懸命「トップダウンとボトムアップの組み合わせ」というようなことを言っていた。おそらく菅官房長官に対する批判なのだろうが、菅さんはよくわかっていないのだろうし、討論会の主催者たちも無視していた。さらに岸田政調会長はビジョンづくりはできるが現場の掌握は苦手なようである。こちらはこちらで車の片輪しか持っていない。持っていない車輪は菅新総裁の逆である。

おそらくこの問題を考えるときに重要な点はいくつかある。まとめていうとこれがマネジメント教育である。リーダーシップ教育とも言える。

  • 組織文化の理解
    • 継続
    • 変革
  • 目的と手段の切り分け
  • 技術理解
    • 自分でやる
    • 権限委譲して任せる
  • 現場掌握
  • 説明型リーダーシップ
    • ボトムアップ型リーダーシップ
    • 支援型リーダーシップ
    • 権力掌握(マキャベリ型リーダーシップ)

だがこういう質問をしたマスメディアはなかった。政治家だけでなくメディアにもマネジメントリテラシはない。なぜ日本人はこれほどまでにマネジメントリテラシが低いのか。その原因はやはり教育プロセスにあるといえそうである。

下手にマネージメントのやり方に知恵をつけてしまうといろいろ面倒なことになりかねない。管理が面倒になる。だからその手前の職工長あたりの教育しかしてこなかったのだろう。このため恐ろしくマネジメント知識が身につかないのである。その原因が国だけにあるとは思えない。おそらく実社会経験がない教師が生徒を管理するためにはマネジメント教育やリーダーシップ教育は危険な要素だと見なされるのだろう。

歴史的なことを考えると日本にはマネジメント教育があった。おそらく「旧帝国大学」と「軍隊」だろう。途中の中曽根総理大臣(東大を出て内務省に入ったあとで士官教育を受けているそうだ)の後があと東大卒の総理大臣はいなくなり宮澤喜一総理大臣が最後になっている。この二人も「東京帝国大学」であって現在の東大ではない。

だが陸軍の失敗はトップマネジメントの下にミドルクラスマネジメント教育を作らなかったことである。このため「士官は偉い」と勘違いした下士官が赤紙で「供給されてくる」兵士をいじめることを指導というようになった。

さらに戦後はこのトップマネジメントの仕組みまでなくなった。

帝国大学に代わるエリートシステムも作られず、現代的な経営者教育も行われず、シンクタンクも作られずということになる。トップダウンだけでなくボトムアップでも政策議論はできないわけで、その意味では民間のレベルに総理大臣のレベルが降りてきたというべきなのかもしれない。

この状態ではそもそも問題と現象も切り分けられないだろうし、目的と手段も管理できないわけで、日本はこのまま漂い続けることになる。そもそも国家運営という発想がないからだ。

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