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疫学調査の犠牲になった東京都と大阪府

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いよいよ東京都で市中感染が始まったようだ。おそらく厚生労働省が検査数を限ったせいで市中のスプレッダーを見逃したせいだろう。積極的な検査をして市中感染を食い止めるべきだった。だがなぜそれができないのかということはあまり分析されてこなかったが、注意していろいろな記事を当たると原因の一端を探ることはできる。初動において国が「調査のためのサンプル集め」にこだわっているというのだ。日経新聞が3月11日に分析している。この間違いを認めないままで突き進んだことで東京で市中感染が広がってしまったのである。結果的に経済が大ダメージをうけることになる。おそらく被害を受けるのは飲食店とサービス業だろう。

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厚生労働省の当初の作戦は水際作戦だった。情報が十分でなく仕方がない側面があったのだが、ダイヤモンドプリンセス号である程度状況がわかってきても反省して改めることはなかった。

厚生労働省はそのあと「封じ込めのためにはクラスターを調査するべきだ」という「調査戦略」に転じた。おそらくは自分たちのリソースを起点に対処できるのはこの辺りまでだろうと想定したのだと思う。

疫学調査の質を高めるためには、実験をコントロールして質を高めなければならない。感染研の脇田所長はこのため「自前調査」にこだわった。ここから感染研はマッドサイエンティスト化してゆく。専門知識に溺れてしまったのである。

日顕新聞によると感染研はロシュの検査キットを使って民間が「勝手に」調査をすることを恐れたという。実験データがばらつくと調査に支障が出るからだ。つまり、厚生労働省と感染研は手段と目的を取り違えてしまった。

不安があったらすぐに調査してもらいたいと感じる日本人は「なぜ自分は調査してもらえないのか」と騒ぎ出す。韓国でも大規模な調査が始まり世論の圧力も高まった。日経新聞は「政治介入があった」とする。

手段と目的を取り違えた厚生労働省は被害者意識を募らせてゆく。

そこで脇田所長は3月1日に「積極的疫学調査」の重要性を訴えるコメントを出した。脇田所長は積極的疫学調査を防衛しようとしたのである。そのあと3月6日から保険適用が始まったが、全国860箇所の帰国者・接触者外来でしか受け付けないことにした。勝手に検査されると困るので「公費でカバーしますよ」といって検査の数を抑えようともした。日経新聞はこれを「データを集めたかったからだ」と分析している。

さらに政治的妥協間で行われた。「地方でもやって良い」とするようになった。各地の地方衛生研究所(地衛研)で検査してもよいとなったと3月13日の記事は伝える。あくまでも自分たちの目の届く範囲でやらせたいという「自前意識」が見える。

日本にとっての悲劇はリーダーがいなかったことだろう。官僚のように振る舞う加藤厚生労働大臣は政治的な決断をせず、ずるずると手段と目的を取り違えた感染研を放置することになる。おそらく厚生労働省と今回の対策を練った人たちは「日本は巨大な実験室だ」と思っているだろう。そのためルールは厳密に守られなければならない。

だが、実際の状態は戦場になっている。加藤厚生労働大臣にはおそらく政治家に重要な戦局観がないのだろう。

広報活動が大切だと考える尾身茂副座長一派はNOTEを独自に立ち上げた。政府は様々な手段で広報をしているのだが、おそらく「厚生労働省経由では正しい知識は伝わらない」と考えているはずだ。最初の記事は4月5日に出ている。いよいよ緊急事態宣言発出かと騒がれ始めた時点である。

政治は専門家の発言を切り取り、別のメンバーはそれを危惧している。「自分で直接発信する」というのはこうした危機感の表れであろう。

尾身副座長がNOTEで孤独な情報発信をしたあとの月曜日に総理大臣が遅すぎる決断をして週の半ばに緊急事態宣言が発出されたが自粛要請は「二週間後」ということになった。政治は政治でそれぞれの思惑を抱えたままバラバラに暴走している。

司令塔としての厚生労働省は最初からつまづいた。そしてそれを自律的に軌道修正できないまま千鳥足で彷徨い続けている。かつての大本営と同じである。それを糊塗するために政治的発言が繰り返される。

それぞれが自己防衛に走る中、各地の保健所は援助を得られずに疲弊してゆく。現場の兵士が補給がないまま走らされるのも当時と同じだろう。

時事通信は「患者対応「追い付かない」 相談殺到、調査や搬送も―疲弊する職員ら・各地の保健所」という記事を書いている。4月9日付である。おそらく厚生労働省が決めたルールを守っていては回らなくなるだろう。Twitterでは家族を恫喝して検査を受けさせないという事例も見た。さいたま市の保健所だそうだ。さいたま市ではベッド数が足りず収容できない患者もいたようだ。4月10日の東京新聞の記事では県内4割の患者が自宅待機を余儀なくされたという。医療崩壊の前に保健所崩壊が起きているのである。

日本人は話をすり合わせて前に進むのがとにかく苦手だ。普段から異なる人たちと議論をして意見調整ができないからである。ところがこれを擁護したがる人たちがいる。暴走する当事者も罪深いが私設応援団はもっと罪深い。共同正犯と言っていいかもしれない。

一部のインテリ層は「政権に意義を唱えるのは反逆者である」とばかりに政権擁護をする。彼らは政府の言うとおりのことを言っていれば自分の権威が守れると思っているようである。これにネトウヨと呼ばれるリテラシーはないが権威に従っていれば威張れると感じている人たちが追随する。不幸なことに日本には社会の安定よりも自分の権威が大切だと考える人たちで溢れているのだ。

彼らは総理大臣が思いつきの休校要請を発出した時点で段階で「政府は三月までの対策を発表したがこれは3月に収束すると見込んでいるからだ」などと嘯いていた。これは単に通常予算を通すために補正予算審議をサボったからなのだが妙な正当性理論を作って「議論」したがるのだ。

別のものは総理大臣の布マスクがいかに優れた政策であるか論破したいなどと言っていた。

さらに「検査数を増やせば医療崩壊が起こる」などという人もいる。これは今や信仰の域にまで達している。ドライブスルーはやりたくない。なぜならばこれは韓国がやって世界的に賞賛されていた方針だったからである。だが実際にはドライブスルー検査は行われていて、総理大臣も検討すべきだと言っている。

ネトウヨは今目の前の議論に勝てればいい。あとで責任を取るようなことは一切ないのである。

政治家の中にも何かと理屈をつけて国庫支出を抑えようとする人がいる。言うに事欠いて「日本もイタリア化する」などと言っているが、この理屈で「議論」を挑んでくるドンキホーテみたいな人たちが湧いてくる。「政治家がそんなことを言うはずはない、エビデンスを出せ」とすごむ人まで現れた。

厚生労働省と感染研は未だに日本は実験室だと考えていて「自分たちが知見を得るためには整然とした実験環境が保持されるべきだ」と考えている。これは控えめに言っても狂っている。ところがそれが政治権力の意見だからという理由だけで賞賛する人たちがあとを絶たないのである。

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