森友問題が再燃しそうである。文春が新しい文春砲をぶち上げた。今回はこれを考えるのだが何だか奈良・平安時代のようだなと思った。疫病に加えて死者の亡霊が安倍政権を襲うのである。
今回の件があるまで森友学園問題が何だったのかをすっかり忘れていた。そのあとに加計学園問題があり「モリカケ」と一緒くたになってしまったからだろう。森友問題とは、森友学園が国有地の払い下げを受けるにあたって政権から特別な便宜を受けたという疑惑をめぐる問題だが、実際には「モリカケサクラ」と安倍政権に対する嫌がらせの道具の一つと捉えられている。つまり、平成後期から令和にかけての議会制民主主義の堕落の象徴なのだ。
近畿財務局と森友学園の間に実際に何があったかはわかっていない(どっちみち売れない土地だったという話もある)のだが、今回重要なのはそのあと始末に関する一連の事件である。
近畿財務局で「文書の改竄が行われたのではないかという疑いが持たれたのだが、佐川局長への証人喚問でも決定的な証拠は出なかった。財務省は文書改竄は認めたのだが、幹部の関与については認めなかった。そのため「どういうわけか現場が勝手にやった」という形に収まっていった。
この問題のきっかけになったのは首相のほぼ不規則な発言である。2017年2月17日の予算委員会で福島伸亨議員の追求にキレた首相が「私や妻が関わっていたなら首相も国会議員も辞める」と言ってしまった。総理大臣はリベラル系の女性の追求が嫌いで時々周囲がハッとするような不規則な発言をすることがある。
○福島委員 なぜもごもご言うのかわからないですけれども、私立大学でできないものを今回私立小学校でやって、法律を潜脱していて、脱法的な疑いがあるわけですよ。土地を買う値段もおかしければ、設置の認可の状況でもおかしいというのがこれなんですね。
第193回国会 予算委員会 第12号(平成29年2月17日(金曜日))
あえて言いますけれども、この小学校の名誉校長とされているのが安倍昭恵先生という方で、右を見ると、安倍晋三内閣総理大臣夫人と書いております。この理事長の籠池先生の教育に対する熱い思いに感銘を受け、このたび名誉校長に就任させていただきましたと。
この事実、総理は御存じでしょうか。
○安倍内閣総理大臣 この事実については、事実というのはうちの妻が名誉校長になっているということについては承知をしておりますし、妻から森友学園の先生の教育に対する熱意はすばらしいという話を聞いております。
第193回国会 予算委員会 第12号(平成29年2月17日(金曜日))
ただ、誤解を与えるような質問の構成なんですが、私や妻がこの認可あるいは国有地払い下げに、もちろん事務所も含めて、一切かかわっていないということは明確にさせていただきたいと思います。もしかかわっていたのであれば、これはもう私は総理大臣をやめるということでありますから、それははっきりと申し上げたい、このように思います。
このやりとりが近畿財務局の国有地売却問題が政局に転移した瞬間だった。この時から総理大臣側は政権の防衛工作に走り始め、野党は首相の首を取ろうと色めき立つようになった。
この問題は首相の首を取って成果を上げたい参議院議員たちの格好の攻撃材料になったが土地処分の問題そのものが解決することはなかった。
- 「総理大臣をやめる」との首相答弁に関する質問主意書(山本太郎)
- 安倍総理の「私や妻が関係していたということになれば、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」発言に関する質問主意書(小西洋之)
今にして思えばこの転移は間違いだった。官僚組織が国の財産を恣意的な値段で売り飛ばすなどあってはならないことだが、真相解明ができなくなった。さらに、結果的に一人の役人が自殺に追い込まれることになった。首相が意図してやったわけではないのだろうが不規則発言がこの自殺を誘発したことは間違いがないだろう。この自殺が現場職員には恨みとして残っているはずだ。
まず首相答弁に合わせて佐川さんの答弁が行われた。そして、佐川さんの答弁に合わせる形で文書の改竄が行われた。つまり実際に行われたのはおそらくは高級官僚の保身である。なおここに総理大臣の積極的な関与があったかはわかっていない。3月27日に佐川さんの証人喚問が行われたが膠着状態に陥ってしまった。のちに佐川さんは国有地売却の問題では「不起訴処分」となっている。
この話はいくつかのレイヤーの問題が積み重なってできていて、収拾がつかないまま泥沼化し忘れ去られてしまった。
- 総理大臣の地位の問題
- 議事録や公文書の問題
- 国有地の扱い方の問題
- 森友学園籠池理事長の補助金詐取の問題
ところが今になって文春砲である。新型コロナウイルス絡みの嫌がらせなのかと思ったのだが、どうやら違うようだ。改竄実務を押し付けられたとされる赤木俊夫さんの裁判が始まるそうだ。三回忌をすぎて3月18日に提訴に踏み切ったそうである。週刊文春やこの問題を追いかけている元NHKで現在は大阪日日新聞記者の相澤冬樹さんが裁判への注目を集めるために出したのだろう。相澤さんもこの事件をきっかけに人生が大きく変わってしまった人の一人である。
この文書はパソコンの中に保存されてあるものを印刷したものなので印刷物を見ても赤木さんが書いたものかどうかはわからないはずだ。だが、それは読者が判断することではなくおそらく裁判の中で明らかにされるのだろう。裁判というのはある意味亡くなった方の「祟り」のようなものである。死者は怨念のような形で遺書と文書を残した。森友問題が人々の記憶から忘れ去られてもこうした文書がなくなるわけではない。あるいは時間がある程度たっているからこそ怨念が立ち上がってくるという趣になる。
この話はあるいは権力者の気まぐれに恐れをなした官僚が部下に嘘を押し付けたというだけのことなのかもしれない。何もないのなら役人が自殺するほど思い詰めることはなかったはずなのである。トップの保身が人の命を奪ったことになる。
現在新型コロナウイルスへの対応が問題になっている。この目に見えない疫病というのもまた政府が今戦っているものである。似たような疫病対策の歴史があるのかなと思い調べてみたところ、天平時代に天然痘が大流行したことがあるそうだ。
これについて書いた歴史街道の記事を読むと朝鮮半島から持ち込まれ大流行し当時の政権幹部だった藤原四兄弟も亡くなっているそうである。天然痘は一度治ったように見えても再燃することがある病気だそうだ。治ったと感じられた時期に人々が歩き回ることで感染が拡大するという。まるで新型コロナウイルスのような感じである。Wikipediaには奈良の大仏もこの天然痘の流行がきっかけになっていると書かれている。
政権は自分たちの権勢を誇示しようと海外から大きなイベントを誘致してきた。しかし、実際には過去からの亡霊が立ち上り疫病により人々の生活が制限されるというまるで奈良時代のような話になっている。これも政治権力やオリンピックを私利私欲のために用いようとする人々への戒めなのかもしれない。
聖武天皇は疫病で揺れる人心を諌めるために大仏建立を行った。だが、政治側では墾田永年私財法が作られ各地に荘園が作られるようになる。律令制が崩れるきっかけを作ったのが聖武天皇だった。天武天皇系の天皇だったが後継には恵まれず結局皇位は天智天皇系に戻ってしまった。一説には仏教徒になり出家するために皇位を投げ出したという説もあるそうだ。
もしかしたら我々が今取り組むべきなのはオリンピックではなく大仏の建立なのかもしれないなどと真剣に思ってしまう。日本人の権力に対する態度は実は奈良時代とはそれほど変わっていないのかもしれない。