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「キャラ」は日本語では悪口

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Quoraで面白い発見をした。本当は原文を引用したいのだが回答をくれた人をさらすことになってしまうのでそれは避けることにした。今回考えるのはなぜ日本型の組織から突出した才能が消えてしまったかということだ。

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私立大学でAO入試と推薦入学が50%を超えたというニュースを見た。かつて推薦入学は昔は成績優秀者の特権だった。だが「一芸入試」などと揶揄されたAO入試がうまれ徐々に抜け穴化してゆく。そこで「これからは成績ではなくキャラの時代になるのか」と書いた。

すると顔なじみ(といっても顔を知っているわけではなく時々投稿を読むという意味だ)人から回答がついた。学生を選抜する側の人、つまり大学の先生である。質問の趣旨に否定的であった。

最初は成績優秀者だから推薦なのだと仰っていたがさすがに50%が成績優秀というのは無理がある。コメント欄で話をしているうちに「大学によっては成績優秀者でなくても推薦で受け入れる」というところまでは来た。まあお立場もあるだろうからと思って無難に収めようとしたのだが「キャラ重視というわけではない」と重ねてこられた。

ここで日本語では「キャラ」というのは悪口なのだなと気がついた。先生は「キャラで対応しても長い面接過程で見破れる」というのである。おそらくお調子者とか表面的に先生に受けをよくしようとすることをキャラと言っているのではないかと思うのだが、さすがに大学の先生にそんなことは聞けなかった。ちょっと恐れ多い。

キャラは英語ではcharacteristicsという。実はこれは必ずしも悪い意味ではない。例えば「leadership characteristics」は入試で良い評価がもらえるはずである。議論中心の授業では「授業を引っ張ってくれるリーダーシップがある学生」が必要だからである。おそらく自己推薦で「リーダーシップがある」と言ってもダメでバックアップになる活動(evidence)が必要である。おそらく他者からの推薦を自己推薦文(エッセー)に添えなければならないと思う。つまり、アメリカでは「キャラ重視」の入試は行われている。ただそのキャラは学業に関連したものでなければならない。これをrelevance(関連性)という。

おそらくこの先生が「キャラ」を否定的に感じたのはキャラをその場しのぎで学術には関係がないものだと思っているからだろう。Evidenceがないその場限りの特質で学術とはrelevanceがないのが「キャラ」なのだ。面白い違いだなと思った。

ここでこうした学校が面接をするときに「人柄」は見ていないのかという問題が出てくる。おそらくは「真面目で実直な」人柄を見ているだろう。実はこれが「大人受けするキャラ」かもしれないのだが選抜する側はそれに気がつかない。「キャラ」はダメなのだが人柄はOKなのだ。

こうしたことは実は企業でも起きているのではないかと感じた。企業面談でも大人受けするキャラが求められるが、おそらく面談側は自分たちは人柄を見ているのであって「キャラ重視」だとは思っていないはずである。これを当たり前と思っているとキャラ(人柄)の客観化が進まない。だから結果的に同じような文化特性ばかりを持った人たちが集まってくる。

日本でも人事指標の客観化は進んでいるはずだが、閉塞感を感じている組織ではこうした客観的指標はなくおとなしい人柄で選び、入った瞬間に「個性的で」「革新的な」ソリューションを求めるようになるというようなねじれが起きているのではないかと思う。こうした企業では本当に革新的なソリューションを持った人が受け入れられることはないのではないだろうか。受け入れ側に「キャラの立ちすぎた」人たちを理解できるキャパシティはないしどういう人がイノベーションをもたらすかも実はよく理解されていないからだ。

このように日本の組織の中にはキャラを機能でなく道徳的規範として理解しているところもあるのではないかと思った。いいことなのか悪いことなのかは別にして、こうした旧来型の日本型の組織からは突出した発想はでてこないのかもしれない。そもそも入社・入学の時点で弾かれてしまうからだ。

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