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日本でも大統領制は導入できるのか・首相公選制は導入すべきか

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最近「新型コロナ系」の話ばかり書いているのだが、読者はうんざりしているようである。ページビューが落ちてきた。そこで今回は全く違う話を書く。日本でも大統領制が導入できるかという話だ。アメリカの制度を参考にして考えたい。

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Quoraで時々見かける質問に「首相公選制」と「大統領制」の導入がある。これまで割と悲観的な見方をしていた。理由は二つある。

そもそも日本には天皇という君主がいる。政治的機能は限定されているが大統領は君主の置き換えなので原理的に大統領は置けない。国民の権威によって選ばれた大統領が御名御璽を天皇に頂くということは考えにくい。二重権威では国は安定しないだろう。

さらに憲法が議院内閣制を規定しているので大統領制や二元代表制への移行は政治的に容易ではない。自衛隊があるのに憲法第9条は改正できていないし意味のない公職選挙法の諸規定さえも変えられない。切迫性のない大統領制への移行が政治的なアジェンダになるとは思えない。

にもかかわらず今回大統領制について考えようと思ったのは、王様選びには無党派を組織化する機能があると気がついたからだ。

今回は割と細かく民主党の大統領候補選びを見ている。まずサンダーズさんが社会主義志向の若者を民主党に引き込んだ。それに対抗する形で「サンダーズ以外誰でもいい」人たちがバイデン候補に集まりつつある。中道などと言われる。ブティジェッジ候補もスーパーチューズデイ以前に出馬を断念してバイデン支持を決めた。

アメリカの大統領候補たちは自分でお金を集めてきて選挙戦を戦い、この時に支持者の開拓をする。ブティジェッジさんはオープニングのアイオワに資金を集中投入してプレゼンスを高め自分が開拓した支持者をバイデンさんに集めるという機能を果たした。あるいは最初からそのつもりだったのかもしれない。一方ウォーレンさんは自分の集めた支持者をどちらにふりむけるかまだ決めていないようだ。これも彼女なりの戦略なのだろう。

バイデンさんは老練で伝統的な民主党の政治家だが「新鮮味に欠ける」という批判があった。同性愛者を公言していて若い市長として行政経験があるブティジェッジさんの支持が合わさるとバイデン支持者に厚みが出る。個人戦なのだがチームワークも重要なのである。

アメリカの民主党はこれくらいの広がりがある。例えていえば枝野幸男さんと山本太郎さんくらい違うわけである。つまり、これを日本流に置き換えると党首選を一年やって枝野幸男さんと山本太郎さんと玉木雄一郎さんが戦うというような図式である。

実はこの大統領選の仕組みは「日本人の政治意識がどうして高まらないのか」ということを考えるいいきっかけになる。

日本は永田町の中で意見調整が行われそれが有権者に降りてくる。献金は極端に制限されており戸別訪問で政治的な意見をいうことも禁止されている。公的な仕組みも政党の仕組みも有権者を単なる集票マシーンとしか見ていない。もともと普通選挙の動機が納税者に形ばかりの政治参加意識を与えることだったからである。

「だがそんなのは大正・昭和初期の話だ」と考えていたところ時事ドットコムにこんな記事を見つけた。

ただ、各世論調査を見ると、岸田氏への期待度は低い。このため首相は、総裁が任期途中で欠けた場合の手続きを定めた党則6条を適用して、党員投票を行わずに所属議員の両院総会で決めることを模索しているとされる。

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地方では石破さんに人気があるが中央は清和会と宏池会でたすきがけの人事をやりたいのだろう。清和会が長く政権を握ったので今度は清和会の番ですよというわけだ。だがこれは中央の事情であり岸田さんは地方では人気がない。だから、自民党の人たちは地方の意見が反映されてしまう総裁選挙は避けようとしているというのである。

アメリカは好きな人がお金を集めて立候補しそれをみんなで応援するということになっている。このためこれまで既存政党に関わりを持たなかった有権者たちを政党や政治に取り込むことができる。つまり、無党派ができにくい仕組みになっている。一方で日本はできるだけ意思決定には関わらせないという力学が働く。当然「単なる道具なんだ」と感じた人は見返りを求める。そして見返りが得られないと離反して政治そのものに冷めた視線を送るだけになってしまうのである。

だったら日本でも大統領選や首相公選制をなどと思うのだが、アメリカ型の民主主義を目指すならば「お金をいくら使ってもいいがそれが透明である限りは制限されない」という選挙資金拠出の自由を保証する必要がある。日本でいうと孫正義さんや前澤友作さんなどのお金持ちが候補者支持を表明し大きな影響力を持つということになる。これはこれで「不公平だ」という批判が集まるだろうが、それがアメリカ式である。

日本でこうした選挙が行われないのは現在の選挙制度の大元が国民主権が制限された明治憲法下で作られたからだ。国民主権というのは危険思想であり民主主義ではなく民本主義だと言われた。このため国民が主体的に選挙運動をやるべきだという考え方なかった。さらにGHQのもとでも社会主義を防ぐ必要があり選挙運動をある程度管理する必要があったのではないかと思える。このため選挙は厳しい制限と監視の下で行われる。戸別訪問ができないのは「有権者が裏で何をするかわからない」と考えられているからだろう。

ただ政党のあり方も選挙の仕組みも公職選挙法の規定も形骸化している。だからウグイス嬢買収が内側からリークされただけで特捜部が動き大臣経験者の首が飛びかねないというような極端なことも起こる。決まりは決まりなので破った人にはそれ相応のペナルティがあるべきだがそもそもその規則が妥当なものかはもう一度考えたほうがいいだろう。

大統領制にはならないにせよ首相公選制は考えられる。だがそこまでやらなくても党首選びのを公選化してしまえば同じような仕組みは作れる。だが、そうならないのはおそらく日本人が村意識から抜けられないからだろう。今回は自民党の件を取り上げたが、民主党も政党が割れる時地方組織には何の連絡もなかった。おそらく自民党だけではなく政界全体が村意識を持っているのだろうと思う。

だから日本では政党支持者が減り浮動票・無党派層が増えてしまうのである。

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