北海道大学の西浦教授が940名という数字を出してニュースになった。北海道にはこんなに感染者がいるのか!というニュアンス伝えたところもあったが専門家が言いたいことはおそらく違う。軽症の人が病気を広げている可能性があるから「とにかく今動きを止めて欲しい」と言ったのである。今日は政治家の役割とメンタルモデルについて考える。
UHBの短いニュースは「感染が広がっているようだ」ということだけを書いている。HTBは尾身副座長の指摘も書いているがどこか物足りない。「大変だこんなに広がっている」という頭があるからだろう。
西浦教授の名前がないので「同じニュースかどうかがわからない」という欠点があるもののTBSは専門家の言っていることをきちんと伝えている。TBSは今回の報道でメンタルモデルを変えている。
専門家会議は、若年層は重症化する割合が低いため感染に気付かず、感染を広げている可能性があるとして、全国の10代から30代の世代に対し、軽い風邪症状でも外出を控えることや、風通しの悪い場所で至近距離で接するライブハウスやカラオケボックスなどには行かないでほしいと呼びかけました。
専門家会議「カラオケボックスなど行かないで」
検査体制や緊急事態についていろいろ政治的な話が出ているのだが、まずはそれを一切忘れてこの発言だけを読んでみよう。ニュースを読むのが難しいのはおそらく情報が多すぎて「思い込み」が生じているからなのだ。この思い込みを今回は古いメンタルモデルと言いたい。メンタルモデルには絵を描いてみるとわかりやすいのだが文字で読むとよくわからないという特徴がある。ここでは右の赤枠と左の青枠という二つのメンタルモデルがある。
- これまでは発症者を起点にして接触者を調べてきた。拡散を防ぎたいからだ。中国封じ込めもダイヤモンドプリンセスもマスクもすべてこのモデルで語られている。
- 専門家の知見を参考にすると実際は発症者を終点にして誰が広げたかを探るべきかもしれない。
いったんメンタルモデルが切り替わると別のこともわかる。
- まず直接の影響を受けるであろう中高年を中心とした人(受益者)
- 行動の制限を受ける若年層を中心とする元気な人(負担者)
の二つが異なっているということである。
行動を制限されるのは元気な人であり彼らは出歩いたとしてもおそらくは損はしない。そして彼らがで歩くとこで被害を受けるのは高齢者である。そしてそれは最終的に手に負えなくなって「全員の肩に」かかってくる。
この二つのメンタルモデルはいわゆる水際対策が失敗したかを考える上でも重要だ。おそらくウイルスを撒き散らしている人のなかにその自覚がない人がいるので検知して取り除くことがそもそも無理だったのである。アメリカも日本と同じ間違いが繰り返している。自己申告制になっていて症状がないと当局は把握できないのだそうだ。また末端の現場では「中国から来た人」のスクリーニングだけをしているがおそらくそれは意味がないだろう。「防ぎたい」というのは人間の原始的な欲求なので古いメンタルモデルを崩すのは難しい。さらに失敗を認めて作戦を切り替えるのはもっと難しい。
日本では「XX県で初めての患者が」と報道し続けている。おそらくこれは表面にモグラが出てきたことに驚いているだけでおそらくもはや本質的な意味はないだろう。問題は見えないところで起きているからである。だが多くのマスコミはまだ古いメンタルモデルを維持している。そもそも彼らがメンタルモデルで物事を処理してると気がついていないのかもしれない。
異なる利害を調整することを政治という。今、たんなる負担者の人たちも新型コロナウイルスが蔓延すれば負担を強いられますます行動が制限されることになる。当座の受益者と負担者が異なっているのだが最終的にはみんなが損をするというのは公害といっしょだ。特に政治家は専門家の知見をもとに古いメンタルモデルを打破し国民に呼びかける側にまわるべきだ。
だが実際にはメンタルモデルを変えようとしたのは尾身副座長だけだった。おそらく、あの席に総理大臣なり厚生労働大臣がいれば違った会見になっていたはずである。政治家がいないせいであの会見は今回のトピックのサブラインとして扱われている。現在のメインラインはあまり意味のない学校の休校・自分が無事だとわかるための検査体制の拡充・マスク不足などのパニックである。ウイルスの拡散を止めるのがメインテーマだとすればとても無駄なことをやっていて資源を消費している。我々は自分たちでのぞんで消耗しているのである。
この件について安倍総理が「今は緊急事態とは思わない」と言っているというニュースが入ってきた。これも政府が今までのメンタルモデルにとらわれているから出てくる発言だろう。それは彼らの「失敗を認めないためには事実を過小評価したほうがいいし敵の作った法律は使わないほうがいい」というまた別のメンタルモデルである。
「拡散者」が見えないのだと考えると「政府が緊急事態と考えるほど広がってしまったらもう手遅れ」ということになるのだが、安倍首相はそれに気づけない。おそらくこれまでの疑惑の追及の連鎖の中で「とりあえず明日が乗り切れればいい」というマインドに陥っているものと思われる。このため安倍政権は4月1日以降のCOVID-19関連予算について何も考えていない。予備費が2700億円しかないのでその範囲内に抑えたいと思い込んでいる。
これまでの「業」とも言っていい自分たちの事情にとらわれるあまりメンタルモデルを切り替えることができないとしたらこれは人災であり政治的な悲劇だ。WHOはイタリア・韓国・イラン・日本に対して懸念を表明している。
もしかしたら早めに人の動きを止めた北海道と本州では状況が逆転するかもしれない。昨日のテレビでは学校が休みになって解き放たれた中高生たちが遊びに出ているというユースを盛んに流していた。政治は小中高校を止めることで社会にいらぬ負担を負わせた上に都市では状況が把握できなくなる可能性のある状況を作ってしまった。
外を出歩いている若者たちはテレビの取材に「政府の失敗を俺たちに押し付けるな」と口々に語ったそうである。東京に雪まつりはないしライブハウスやスポーツセンターは止まっているそうだ。だが、東京や大阪には公共交通を利用する人たちがたくさんいる。この心配は当たらないで欲しいが、もしかしたらかなり残酷な実験になってしまうかもしれない。