フランシス・フクヤマの「政治の起源」を読んでいる。いよいよイギリスの章を読み終わりあとは総括の部分だけを残すことになった。答えだけ読むと理解できないので、本の中にあるフレームを使って日本の分析をしてみる。
イギリスの項目を読んで分かったのはなぜ、説明責任・法の支配・国家が「理想的な組み合わせだったか」ということである。答えは極めて単純でこれが私有財産を保護するのに役に立ったからだそうだ。もっともフランシス・フクヤマはもともとゴリゴリの自由主義陣営の人なのでこの辺りは割り引いて考える必要がある。つまりフクヤマはおそらくイギリス流の政治を理想にしているのである。だから必ずしもこれが正解というわけでもないのだろう。
イギリスが繁栄したのは法の支配で個人の私有財産が保護され説明責任で透明な公的債務市場が作られたからだという。これによりイギリスは軍事的な支出を賄うことができやがて産業革命が起きて国力が増してゆくとフクヤマは指摘する。
私有財産の大切さについては全く別のところでピストルの発明について観察した。火縄銃がピストルになったのはイノベータの権利が一定期間保護されていたからである。まず閉じた空間で衝撃により火薬を爆発させる装置が発明されさらに小型化と連射が可能になった。しかしこれは国家がイノベータに命じて作らせたものではない。資本主義はある一定の条件のもとでは国の繁栄につながる。個人が豊かになるために自分の力で頑張るからだ。
イギリスでバランスのとれた政体が作られたのは国家権力と地主階層が均等に発展したからだそうだ。この緊張関係が国王側の地主に対する説明責任の必要性を作り出す。だがそれだけで説明責任の原則が生まれたわけではなかった。第三身分と呼ばれる都市階級が発展するのである。地主と第三身分が協力して王権と対立することで議会が生まれた。最終的には外国から国王を招聘して立憲主義を保障させるというところ(権利の章典)まで行き着く。さらにアメリカでは国王の保護を離れ第三身分が独自に国家運営をするという現在の形態が生まれた。
日本でこうした説明責任が生まれなかった理由を探るには日本の歴史を追ってみればいいことがわかる。日本には「法の支配」に似た抑制はあったが、それは個人の権利を保障するという方向には向かわなかった。そして行政体が小さく説明責任のような面倒なものは必要がなかった。
日本は早くから天皇権威と武家の行政権が別れた。このため武家はある程度の抑制のもとでしか法律を作れなかった。この法の支配の代替物が日本では最終対決を防いだ。織田信長が将軍家を滅ぼして天下人になっても周辺の「部族」を根絶やしにする必要はなかったというのがその一例だ。信長は天皇に京都付近の行政権を認めてもらえればそれでよかったのである。この体制は豊臣秀吉に引き継がれやがて徳川家康のもとで擬似部族的な藩による均衡政治が始まる。天皇が将軍に権威を与え将軍は藩を均衡させ調停するという体制である。内乱は防がれるようになったがこの「保護」は統治者にしか適用されなかった。私有財産を保障しなかったという点で英米とは違っている。
藩による小さな体制のもとで説明責任や法体系などという面倒なものを作る必要はない。君主の徳というものがあれば曖昧であってもなんとなく成立する。この「人間関係がわかる程度の小さな群れで意思決定する」というやり方はその後も引き継がれてゆく。
薩長土肥という藩閥が共同して天皇と直接結びついたのが明治維新だが実際には藩閥が政治を行うことはできない。そこで官僚や軍隊という地縁とは関係がない組織が形作られてゆく。だが実際にそれを支えていたのは藩閥の個人的な結びつきである。だから、調停者の最後の元老・元勲という人がいなくなるとだんだんと政府が機能しなくなった。議会は最初からあてにならなかったし軍閥は暴走した。
多大な犠牲を払って危機を救ったのが敗戦である。まずはGHQが介入し地主や財閥を解体して「自由な市民階層」を作った。さらに吉田学校という官僚組織から選抜された人たちが国会に送り込まれて旧世代型の議会政治家を抑制した。戦時中の総動員体制の一部も利用sれ、官僚主導の政治組織が作られる。おそらく官僚組織は「同じDNAを持つ」政治家との間では個人的なつながりを元に説明責任を果たすことができただろう。
有権者の立場から見ると高度経済成長期で経済がうまくいっていれば説明など求めなくてもいい。そもそも有権者が政治に対して説明責任を求めたことなどなかった。説明されたらその説明に基づいて意思決定しなければならないのだが、そんなことをされても国民にはよく理解できなかっただろう。
一方、議会政治家も特に難しいことは考える必要がなかった。「官僚にお任せ」していればなんとかなってしまうからだ。そのため議会政治家は土着の勢力と結びついて世襲の利権誘導者に変わってしまう。お互いに意思が伝わったのはおそらく官僚出身の宮沢内閣あたりまでではないだろうか。
ここまで見ると、議会政治家は官僚を管理監督はするが実際の行政には手を広げないという使役関係があったことがわかる。議会は自分で手を染めて自分の地元だけに利益を誘導するということはできなかったし官僚も自分の子孫に利益を残すということまではできなかった。
企業にとってもこれは好都合だった。業界団体が官僚によって調停されていたからである。寡占になっても誰かがひとり勝ちしようとすると「公平な官僚組織」が全体を調整してくれる。そして、企業は利益を従業員に返す。従業員は自由を手放す代わりに終身の保障を得るという仕組みである。彼らが分厚い中間層となって消費を支え成功した商品を海外に売るという仕組みだ。
ここまできても、コミュニケーションは狭い範囲で行われていて「説明責任」という概念はない。また、西洋流の財産権の保護と利益の追求という考え方もないのだが、企業従業員にとっては「身分保障」が得られればそれでよかった。ある意味財産ではなく労働力に対して法の保護が及んでいたことになる。「法の支配」といってもそれは西洋流の法の支配ではない。法的に解雇はできるのだが「それは禁じ手」とされた。また引退後には手厚い年金ももらえた。つまり正規従業員は解雇できないというのが「法の支配」の代替物になっていたということになる。この条件があったから日本人は企業のために骨身を惜しんで働くことができたのである。
おそらくこの偶然の産物であったサークルは破壊されつつある。官僚は政治主導という名目で権限を奪われ企業と政治家が直接結びつくようになる。企業は納税を逃れ海外に投資を振り向け、政治家は地元利益誘導を図り「家産化」している。従業員は非正規労働者となり法の支配から外れ、なおかつ消費税増税で企業の肩代わりをさせられるという具合である。もともと偶然の産物としてできたサークルの破壊がバブル崩壊後に漸次的に進んだため我々はそれに気がつかないのだろう。
ここから「法の支配が崩れ政府が説明責任を果たさなくなった」というのは実は間違っていることがわかる。そもそも日本には西洋的な説明責任の伝統などなく、議会・有権者の関係も実は英米流の契約概念に基づいたものではなく、おそらく「白紙の委託」なのだろう。おそらくは偶然によって作られた体制が崩れたことで犯人探しが始まり「西洋には説明責任があるらしい」というような話になったのではないだろうか。
ここからわかるのは立憲民主党などの野党が日本で支持される可能性はないということである。さらに自民党の一部は国家権力の拡張を目指しているように見えるがその方向は真逆だろう。自民党は先祖返りを起こしており家産体制への回帰を指向しているのだ。
これはおそらく我々が英米流の説明責任を理解した上で求めるようになるか、あるいはサークルが自然復活するまで続くのだろう。だが、サークルが自然復活する望みは薄いのではないかと思われる。それは壊れた時計が自然に元に戻るのを待つようなものである。