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カトリック教会はなぜ妻帯を禁止しているのか

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政治の起源」を読んでいる。ようやく上巻を抜け出し下巻に入り、やっとヨーロッパの事情が出てきた。「法の支配」と「説明責任」である。この中にカトリック教会の妻帯の話が出てくる。いま、まさにローマ教皇が妻帯の許可に動いているという事情がありホットなトピックでもある。

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フランシス・フクヤマは民主主義を考える上で必要な要素として「国家」「法治主義」「説明責任」を挙げた。インド・中国・イスラムと違い、ヨーロッパでは早くから宗教権威と政治権力が分離して「法の支配原則」が確立した。

ローマ帝国には帝国を統一する原理がなく313年のミラノ勅令でキリスト教を公認する。だが、その後統一した教義を定める必要に迫られる。380年にコンスタンティノープル公会議を開き教義を統一に乗り出した。政治の起源(下巻)には出てこないのだがこの前段階として「3世紀の危機」と呼ばれる段階があったという。帝国が拡張するにつれて「何を拠り所にしていいか」がわからなくなり帝国は分裂の危機を迎える。つまり、国が大きくなると「その拠り所としてのイデオロギーが必要になる」ということがわかる。結局「3世紀の危機」はローマ帝国を分割することで解決するしかなかった。

476年にオドアケルが西ローマ帝国を滅ぼした。オドアケルはゲルマン人の傭兵だった。前回の奴隷王朝の例でもみたのだが「国家が部族社会を脱するために外国人に依存する」という状態はそれほど珍しい状態ではなかったということになる。武力闘争などという汚いことは他人にやらせる。やがてその汚い勢力に国を覆されてしまうのである。

ローマ帝国でのキリスト教は帝国の存続に役に立たなかったのだが、ローマ教会だけは生き残る。そしてこれが各地の王に対して権威を与えるという二重制が生まれた。これが後々に「法の支配」につながってゆく。教義が統一と管理から始まり、のちに11世紀にボローニャ大学大学が作られて法学の体系が整備される。学校で学んだ人たちが国に帰り大陸法の基礎を作ったそうだ。おそらく司法のネットワークも形成されたのだろう。

さらに12世紀になると、教会は妻帯を禁止し「役職」と「俸禄」を分ける。西ヨーロッパでの官僚制度はまず国家ではなく教会で始まったのである。その舞台は国家ではなく教会で、その基礎は統治行政権ではなく司法権だった。

このため、ヨーロッパの世俗領主は最初から「法律というのは誰か別の人の権威に基づいている」という考えに慣れていたとフクヤマは指摘する。つまり、法律は「自分たちの好き勝手にはできない」がそれに則っていると教会権威に承認してもらえるという状態にあったわけだ。

イギリスは全く別のやり方で発展した。もともと国王は地方に権限を持たず地方領主の代表のような存在でしかなかった。しかし地方では第三者でもあったので裁判官として各地を巡回し王立裁判所を開いて収入を得ていたのだという。王立裁判所は地元の利権からは中立であるということから期待されるようになり次第に王権が確立した。つまり国王は武力ではなく司法家として信頼されることによってイギリスは次第に国家としての体裁を整えてゆくことになる。おそらくこの伝統もありイギリスはローマカトリックから離脱できたのだろう。イギリス国教会ができ独自の法体系を王のもとで管理するという体制が生まれた。つまり、利害関係から独立した公平な判断が求められていたということだ。

フクヤマは日本の事情については全く書いていないのだが、おそらく行政権を失った天皇家も武家に対して「不可侵の法権威」という形で存続したのだろうなと思う。天皇もまた軍事を委任していたエージェントに裏切られたが、権威としては残った。ローマ教皇に似ている。武家は細かな法度は作ることができたが官位・役職秩序については天皇家の権威に頼らざるをえなかった。おそらく日本には「法の支配」を理解する伝統があったことになり、これが戦前立憲政治の基礎になった。この天皇権威が行政に近づきすぎると監視者がいなくなることで行政が暴走する。第二次世界大戦の軍部がその代表なのだろうし、国体という天皇権威を私物化したい安倍政権というのも「暴走の有資格者」と言えるだろう。

統一した国家権力が官僚体制と共通文語を作った中国では法の支配という概念は発達しなかった。つまり、権力者は法律には縛られなかった。中国は地縁・血縁による部族集団との間の緊張や権力者同士の「力による牽制」が権力者を縛っているのではないかと思われる。中国で体制を維持するためには恐怖政治を敷くか国民が不満を訴えないように絶えず分配する必要がある。

ローマ・カトリックが司祭の妻帯を禁止したのは、実質的な官僚組織である司祭が部族化するのを防ぐためだったのだろうとフランシス・フクヤマは考えているのだろう。家族や血縁のことを考えなくて良いから「より公平である」という信頼感が得られたとも言える。つまり中世以前はそうでもしなければ「身内のことを考えず全体に奉仕する」という保障が得られないほど地縁・血縁が強かったことになる。

このことから「司法の独立」の意味は意味は我々が考えている「行政と司法が縛りあう」というチェックアンドバランスにはないということがわかる。つまり法律が行政と独立しているということは「政治権力が公平である」という信任になっている。逆に言うと、法の独立を侵すことは「自らの正当性や公平さ」を毀損しているということになる。

今回、法の支配や説明責任について考えているのは、ちょうど安倍政権が検事長の定年延長問題を通じて「法の支配を打ち破っている」という批判にさらされているからである。朝日新聞によるとこれについて検察内部からも慎重論が出始めているそうだ。ここから検察という「地縁血縁によらない官僚集団」が国民からの信任を気にしていることがわかる。検察という総体は世襲ではなく地縁・血縁に拠り所がない。だから国民から信任されている必要がある。彼らは今回の枠組みで言うところの「国家意識」を代表している。

ところが安倍政権は「国民から信任されなくなること」に対する危機感はない。おそらくこれは彼らが依拠しているのが「選挙区」であり、なおかつ彼らが「自分の家」を代表して国会議員に選任されているという世襲の自意識を持っているからだろう。このことから自民党・安倍政権が「国家ではなく部族集団のために奉仕する」という自意識を持っていることがわかる。世襲は部族意識を生むのである。

日本の国政が国家意識というのは地方に代表される「家産的・藩閥的」な意識と、無党派層に代表される「国家意識」との間に分裂があるのかもしれない。個人主義を基礎とする社会民主主義的な立憲民主党に支持が集まらないのはおそらく「国家意識組」が個人主義を信奉していないからなのではないだろうか。

カトリックの妻帯の話にもどる。フクヤマは続く「説明責任」の項目で、イギリスとデンマークで説明責任型の政府が生まれたとし、フランスとスペインでは説明責任原則はあまり発展しなかったと言っている。

スペインがこの制度を南米に持ち込んだので、南米は今でも政府が説明責任を果たさず法の支配が一部にしか及ばない不平等な社会になっていると指摘する。南米出身の教皇がこうした考え方を引き継いでいるとするならば、なぜ彼が妻帯容認に向かっており個人主義的な伝統を持つドイツ人の前教皇がそれに反対するのかがよくわかる。おそらく、妻帯司祭が一般化すればその権力は土着化し現地支配に向かうことになるはずだ。それはおそらく南米では受け入れられるだろうが、ヨーロッパでは拒絶されるだろう。以前ホンジュラスの例を観察したが、カトリックは南米で貧者の精神的支配者としてのみ生き残るのかもしれない。

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