トランプ大統領の一般教書演説を聞いた。気持ちよかった。これを聞いて「現在のヒトラーみたいな人がいるとしたらこういう人なんだろうなあ」と思った。一般教書演説は英語ではState of the Union Addressというそうだ。ユニオン(連邦)の現状を説明するという意味があるのだがトランプ大統領は連帯について演説していた。
トランプ大統領が一貫して強調したのはアメリカの家族がトランプ政権で幸せになっているという現状認識である。軍隊から父親が戻ってきたり、子供が破綻した公立学校から救われ給付金を得て好きな学校に行くことができる。アメリカ人は難しいことを考える必要はない。トランプ大統領と共和党に投票するだけで天国が近くのである。いわば選挙のアフターキャンペーンみたいなものである。
その口調は一時間以上に渡って穏やかなで自信に満ち溢れている。したがって会場は幸せに満ちている。ずっと人々の幸福感に訴えかけているところに絶妙なうまさがある。
冒頭から煽るために「現在のヒトラーなのか」と書いたが、この雰囲気は明らかにヒトラーと違っている。ヒトラーは共産主義者やユダヤ人という敵を設定し感情的な演説を行い人々から理性を奪ってゆく。ところがトランプ大統領は終始穏やかに話すので「自分が感情的になっている」という実感は持たないだろう。今回は日本語同時通訳付きで聞いていてうっすらと幸せになってゆくのに気がついた。
ところが実は巧妙に敵が埋め込まれている。それはイスラム教独裁者と社会主義者である。まずイスラム教独裁者だが、ブッシュ政権でアメリカに対する脅威とみなされて煽られてきた。オバマ政権はこの脅威と融和しようとしたが状況は変わらなかった。それをトランプ大統領は二人倒したと言っている。それがISとイランの司令官である。つまり、最初の敵はすでに倒されたということになっていて、したがって感情を高ぶらせる必要はないのである。長い間の緊張が解放されたという安心感がある。
もう一つの敵は社会主義者だ。事前情報ではウイグルの人権活動家が呼ばれたという話があり「中国が敵になるのでは」という予測もあったのだが、実際に呼ばれたのはベネズエラのグアイド国会議長だった。グアイドさんは野党の指導者なのだが「暫定大統領」と紹介されていた。このあからさまな内政干渉を非難するアメリカ人はいないようだ。アメリカはこのグアイドさんを支援することでベネズエラの腐敗した政治を終わらせるという宣言がなされていた。「正義の味方アメリカ」というハリウッド映画さながらの宣言にまったく心を動かされないアメリカ人はおそらく多くないだろう。
ところがこのストーリーには裏がある。実はアメリカには社会主義志向の人たちが増えている。若者の多くが社会主義を支持しているという調査もあるそうだ。ここでいう社会主義とは公立学校の充実や皆保険制度の充実というような日本では社会主義と見なされないものも多い。言い方を変えると「アメリカの公共制度の破綻」に対する対抗運動に過ぎないともいえる。トランプ大統領はこれを「失敗したもの」と決めつけるためにベネズエラという破綻国家を利用しているのである。
トランプ大統領は決して民主党を社会主義と決めつけてベネズエラと重ね合わせるというようなことをやっていない。そうしたことはおそらく普段のTwitterなどでは主張しているのかもしれないが、テレビ演説では「あくまでも自信に満ち溢れたトランプ大統領」が社会主義との戦いにも勝つであろうというような演出になっている。つまりこれは緻密な「情報モンタージュ」なのだ。
こうした演説はすべて幸福という感情に訴えかけたものなのだがあまりにも自信たっぷりなので感情的であるということには気がつきにくい。逆に民主党が感情的な抵抗に見える。すると人々は「トランプが正しくて感情的な民主党は間違っている」と感じるのだ。
メディアは盛んにペロシ議長が原稿を破る映像を流していた。トランプ大統領が冷静で穏やかに見えるので「感情的な女性のペロシ議長が感情的な対応をみせた」ように見えてしまう。実はこの前段にトランプ大統領が握手を拒否する場面が出てくる。つまりほんのわずかな隙に感情的に挑発して、ペロシ議長の行動を誘発したのである。トランプ大統領がテレビを知り尽くしていると感じさせる「演出」である。
もちろん政治がわかる人はトランプ大統領の演説が嘘であるということを知っている。いつものようにCNNやNew York TimesがFactcheckを出している。ところが、こうした科学的事実を検証するためにはある種の知性が必要である。知性のある人ほど「なぜ理解できないのだ」と感情的になるという逆転現象が起きている。アメリカには長年の緊張に耐えられない人たちがいて「トランプ大統領の提示するファクト」を信じたい人がいる。合理的な人はつい声を荒らげて彼らを説得しようとする。合理的な人にとって感情は劣等機能なのでうまく共感を誘えない。そうするとますます信じたいものを信じたい人が増えてゆくという図式である。
ペロシ議長が原稿を破るという普段では考えられないリアクションを取ったことから、民主党には弾劾も成立せず(そのあと結局上院で否決された)有力な候補者も出てこないという焦りがあるものと思われる。アイオワの党員集会では集計すらまともにできなかった。
トランプ大統領がこの先どうなるか、あるいはアメリカがどうなるかということはわからない。だが、民主主義というものがいかに感情によって左右される曖昧で脆弱なものであるかということはわかる。
ヒトラーの時代にテレビはなく閉じられた空間にいる観衆を扇動すればよかった。だが現在はテレビカメラの向こうにも聴衆はいる。トランプ大統領はそのことを十分に知っているのだろう。
よく考えてみれば二期目のトランプ大統領は選挙について意識する必要がない。弾劾裁判もなくなった今となってはトランプ大統領を抑えるものは何もなくなった。あまり想像したくはないが11月に再選されてからが「彼の本領発揮」となるのかもしれない。