このブログでは一貫して自民党の2012年改憲草案を胡散臭いものと考えている。中でも自民党の道徳的判断が国民生活に介在するのは許せない暴挙だ。だが、自民党がいくら気の迷いで2012年憲法草案を出したからといって国家が道徳的に国民生活に介在するとどんな弊害が起こるのかというのは想像しにくい。最近、これについて類推できそうな事例を見つけた。ポピュリズムが一層進行している大阪の事例である。
興味深いニュースを見かけた。大阪府議会で「18歳未満の交際を条例違反にする」という記事である。真剣交際以外は全部禁止にするという。「『真剣交際』は誰が判断するのだろうか?」と思った。警察が介入するとしたら価値判断に介入しているわけでかなり重大な人権侵害に思える。
まずがっかりしたのは左派が全く反発していないという点である。日本のリベラルが実は人権に興味がないことがわかる。彼らは人権という原理原則に反応しているわけではなく単に右派に嫌いな政治家がいるだけなのかもしれない。
ポピュリズムという言い方が悪ければ「人情に訴える」と言っても良い。そんなに悪いことではないように響くのではないか。キリスト教の道徳感情に訴えて移民を排斥する政党はヨーロッパに多い。これもおそらくは「それほど悪いようには」捉えられていないことだろう。トランプ政権もキリスト教の福音派と呼ばれる人たちの支持を得ている。意外とこういう政治勢力は多いのだ。
左派が排除に未来思考という皮をかぶせて環境問題を推進するように、右派は道徳や人情に訴えかけて他者を抑圧したがる。そして彼らは自分たちは例外であると主張するのだ。
この読売新聞の記事には「おや?」と思わせる記述が入る。他の都道府県と比べて処罰件数が低かったと書かれているのだ。つまり、大阪はこれまで他の都道府県よりも緩やかであった可能性がある。であればなおさら「道徳によって誰かが正しく判断してくれればいいのではないか」と思える。
テレビ朝日がこの件を扱っている。もともと大阪府では「脅迫などの事実がない限り条例違反とはならなかった」というのである。もしそれが確かなら大阪府も他道府県と足並みをそろえた条例にすればいいだけである。そこに「真剣交際」という価値判断を持ち出してしまうところに問題がある。「誰が判断するのだ」ということになるからだ。自分たちは絶対に間違えないという甘い自己意識が透けて見える。
真剣交際以外はダメとしても実際にそれを警察が取り締まらなければ有名無実なものになる。おそらく政治家たち(維新だけではないかもしれない)は「府議会は道徳の味方である」と見せかけたいだけなのかもしれない。そうであれば実害は少ない。
だがそれを本当に運用しようとするととんでもないことになるだろう。テレビ朝日が書いている弁護士の提言を見るとその問題点の一端が見えてくる。真剣交際の定義が実にあやふやで昭和的なのだ。
大阪弁護士会所属・奥村徹弁護士:「年齢差が近ければ、例えば17歳と18歳だと真剣交際になる傾向は大きい。“性行為に至る過程”“さっき会ってそのままホテル”一番みだらな性行為になりやすい。『ちょっと付き合おう』ということで、とりあえず喫茶店に入って次は美術館・博物館・動物園とかドライブ、延長線上で交際が深まってホテルに行ったというのは真摯な交際につながりやすい」「(Q.総合的にみられる?)そうです。『保護者の承諾があったらいいのか』という話がある。保護者の承諾はひっくり返されることがあるので、あんまりあてにならない。保護者の承諾っていうのは一つの要素」
そもそも18歳未満との“真剣交際”ってナニ?
弁護士は「美術館はいい」と言っている。おそらく盛り場のクラブなどはダメということなのだろう。ではゲームセンターやビリヤード場ではどうなのか?などと考えだすと法律や条例が本来持つべき「誰に対しても同じルールを適用する」ということができなくなることがわかる。それぞれが勝手に判断し誰も責任を取らない。
おそらく、道徳に沿って支持を集めようとする人たちは、実運用や「法の元の平等」などという理念には興味を持たない。自分たちは道徳的で正しいと考えるからだ。
こうした内への甘さは「自分たちが知っているもの以外は認めない」という姿勢が目につく。おそらくこの弁護士の頭の中で「お付き合い」と言ったら博物館や美術館どまりなのだろう。それ以上のものはよくわからない。だからそういうものは一律禁止してなかったことにしてしまえということになりかねない。
高い徳で統治するというのはいいことのように思える。できればそんな政治風土があってもいいという憧れもある。だが、残念なことだが道徳は「自分たちがわからないものをなかったことにして考えない」ということになりかねない。すると形骸化して時代遅れのルールに合わせてとほうもない苦労が始まる。おそらくすでにそういう社会になっている。終身雇用も標準家庭もなくなったのに我々はそれに合わせて生きなければならない。
今回は「大阪の未成年お付き合い問題」という些細な問題だが、これが新しい産業や経済的な成長の機会に向けられると「ありとあらゆるわからないものは認めない」となりかねない。そんな彼らも「IRというカジノは良い」と考える。いとも簡単にご都合主義に陥ってしまうのだ。