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「愚衆の王」安倍政権の問題がわかるPCぼったくり事件

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Twitterで教育現場へのPC導入の話が出ていた。これを見るとなぜ安倍政権が「愚衆の王」であるかがわかる。問題の根幹は総合的政策の欠如なのだが、愚衆の王と名付けた理由がわかってもらえると思う。

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愚衆の王とは政治のことがわからない愚かな民(愚衆)を代表して王になった人である。彼の役割はただ一つ。やる気があるものからやる気を奪い社会の生産性を破壊することだ。そして愚衆の王の周りにはやる気を奪う小さな愚衆の王が集まる。

ポストセブンが小中学校のパソコン導入の話を書いている。政府は一人につき4万5000円程度の予算をつけてパソコンの一人一台を達成しようとしている。しかし、実際の調達コストはその後のメンテナンスの費用なども含めてもっと高額になっているという話である。渋谷区では27万円かかっているそうだ。つまり計画はいつか破綻する運命にある。愚衆の王はこの政策を「力強く」推進している。力強くデタラメを推進してもそれが身を結ぶことはないが、そんなことはどうでもいい。政策が力強く見えていればいいのだ。

計画自体が愚かなのは愚衆の王のせいではない。それは集団思考の結果に過ぎない。政府は予算要求段階では予算が通りやすいように甘めの数字を出す。ところがそれとは裏腹に支援者になっている経済団体におもねるために高めの価格で調達しようとする。多くのメーカーがー入って来れば価格は下がるのだろうが、おそらく調達先は富士通やNECなどの一部メーカーに限られているのだろう。

だが、ちぐはぐさはこればかりではない。問題はもっと複雑である。

政府は教科書のペーパーレス化も目指している。いわゆるデジタル教科書である。産経新聞が「教科書のペーパーレス化が進んでいない」と書いている。産経新聞は細かく書いていないが、タブレットに加えてアカウント(教科書のライセンスのことと思われる)を購入する必要がありその費用を自治体が負担しなければならないため導入が進まないと言っている。

よく考えてみるとおかしな話である。小中学校にパソコンを導入するのはプログラミング教育のためなのだろう。タブレットでもプログラミングはできる。つまりデジタル教科書を導入して国が予算をつければパソコンの一人一台という計画も同時に進行できるはずなのである。プログラム別に「省庁や課」が異なっているのだろう。

ここから問題がどこにあるかがわかる。問題を一つに統合して総合パッケージを作る「プロデューサ的な」人がいないのである。解決しなければならないのは総合プロデュサーを育てることだ。

プロデュサーがいない理由はわかる。愚衆の王・安倍首相は「自分は力強く全てを掌握している」と思わせたいのだが、実際には細かいことは何も理解していないしおそらく興味もない。だから全体をまとめる人が現れずにこうしたちぐはぐさが残ってしまうのであろう。愚衆の王は優秀なスタッフを抱え独特の才能でそれを無力化するのだ。これが第一の破壊である。愚かさほど力強い破壊兵器はない。

もちろん問題はこれだけではない。パソコンにせよタブレットにせよそれをメンテナンスする人がいなければならない。支援員という役職を作るかすでに大忙しの先生にITスキルをもたせてIT支援をさせなければならない。これを解決するためには総合政策を作ってから周囲の協力を得つつ体制を作って行くしかない。

ところが、愚衆の王政権はこうしたプロデューサを育てない。プロデューサらしき人はいるが、彼らが暴君となって衆愚の王の権威を笠に着て威張り散らすということになってしまうようだ。協力を求めるなどということを愚衆の王は好まない。マウンティングして誰が偉いかを誇示するのだ。

ノーベル化学賞を取った山中教授が運営する「京都大学iPS細胞研究所」の費用削減を官僚が画策して山中教授を恫喝したというニュースが入ってきた。ただし扱っているのはやはり週刊誌である。マスコミはすでに王が平定している。おそらくはもともとは優秀な人たちだったのだろうが、王の前には屈するしかなかった。

この大坪寛子さんという人は和泉補佐官と不倫したのではないかという疑惑が報道された人だが、国会で堂々と「お願いして話し合っただけで恫喝などとんでもない」と説明していた。背景には縁故主義の弊害があるのだがそればかりではない。政治に関心を持たない有権者に支えられた衆愚の王の下で働いているので「なんでもやりたい放題だ」と思ってしまうのではないかと思われる。これがこの政権を「王」と名付けた理由だ。つまり、自分が偉いと勘違いをして現場を蹂躙してやる気をそいで行くのである。王の周りには小さな王や女王が集まる。

「野党がだらしない」という指摘はその通りだとは思うのだが、それでも時々政権交代を起こさないとこうした縁故主義はなくせないだろう。縁故主義がなくならなければプロデュサーも育たない。プロデューサシップが重要なのに愚衆の王とその仲間たちが好き勝手に現場を混乱させていては成長できるものも成長できなくなってしまう。野党が分裂している間はずっとこのデタラメが続くわけだ。

ただ現実の選挙を見ていると理想とするような建設的な政権交代は起こりそうにない。京都市長選挙では現職が21万票獲得して当選したそうだ。立憲民主党が共産党否定の広告に名前を出し枝野さんは「そんな広告は知らない」と嘯(うそぶ)いたそうである。

だが、政権を取ったことがない共産党とれいわ新選組が推した候補が16万票も取ったそうだ。非共産系野党候補も9万5千票近くを獲得している。彼らは現在の政治体制に不満を持っている人たちを代表しているのだろうが、おそらく現状否定に終わり建設的な提案はできないだろう。だが、おそらく現在の政治状況を崩すとしたらそれはこういう破壊勢力になるはずである。

安倍政権はおそらくこうした破壊的な政治勢力が出てくる手助けをしている。愚衆の王たちはこうして社会から建設的な提案力を根こそぎ奪っているのだ。

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