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バモイドオキ神

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「神様」が成立する過程を調べてみたくなった。最初はゾロアスター教でも調べようかと思ったのだが、バモイドオキ神を見ることにした。完全にプライベートな一神教の神様だからだ。
そこで、子どもの変調に「まったく気づいていなかった」と主張している父と母の手記を読んだ。
父親は、過干渉な父親に育てられた。だから、子どもにはいろいろなことを強制しなかった。息子には、勉強ができないなら高校に行く必要は無いが団体の規律がしっかりした自衛隊に入隊するか新聞配達でも始めればいいという。自分は父性を示さないが、誰かに代行して欲しいということだ。本来、父性には、善し悪しの規範を示す・子どもの存在を肯定する・期待をかけて課題を与えてるなど、いくつかの役割があるだろう。
また、妻は白黒付けたがる人だと、仄めかすように言っている。
このような背景を見ると、父親はやさしい鷹揚な人なのだとも思える。ただし、彼は突発的に怒りだすことがあったようだ。一度はこれが原因で少年は発作に近いような症状を見せ、医者に連れてゆかれる。
一方、母親は7歳で父親を亡くした。外で好きな事をするような人だったということだ。
共感や関心は母性の機能だが、彼女には欠落していたようだ。足が痛いと泣いた子どもを医者に連れて行ったところ「もっと構ってやるように」と言われたが、よくあることだと思った、と書いている。
母親は、事件発覚後「両親に会いたくない」といわれ「そんなはずはない」と考えた。社会に出るときにも「本当にあなたがやったの」と聞いているように、事件を否定しつづけた。実際には母親はかなり厳しい躾をしていたようだ。
この少年が書いた作文「まかいの大ま王」によると、どうやらよい母親と、悪い母親が存在していたように見える。

そんな家庭の中で、母方の祖母の存在は大きかった。父親は息子の供述を読んで「どうして祖母の話ばかり出てくるのかわからない」と書いているが、祖母が実質的な母親の役割をしていたようだ。祖母が亡くなり、死を実感したところから、「奇行」がはじまることになる。それは死への執着とそれに伴う性的な興奮だった。
草薙厚子の取材するところによると、矯正の過程では「育て直し」が行われたようだ。教育に混乱があったと認定されたのだろう。父性も母性も人格を安定させる役割を果たしているはずだ。そして、父性も母性も親や保護者から受け継ぎ伝えて行くものだ。この家庭にはどこかに欠落があり、「育て直し」が必要とされたのだろう。
ただ、これだけでは神は作られない。

混乱を混乱したまま受け取る

こうした混乱に満ちた世界で、条件付きでしか自分を肯定されなかった人がたどり着いたのが、バモイドオキという神様だった。「これはキチガイの戯言(ざれごと)で、宗教ではない」と考える人がいるかもしれない。確かに、彼の混乱した行為を正当化するために少年が自ら作り出したようにも見える。しかしバモイドオキは善悪を越えた存在で、彼に生きてゆくための使命を与えた。
一般的にこれは一種の切り貼りだと考えられているようだ。有田芳生の2005年の記事はオウムと結びつけている。少年と犯罪の中で小田晋は「コラージュ的織り交ぜ」を見ている。『懲役13年』という文章があり、これがいろいろな書物からの影響を受けているからだ。もちろんこの中にオウムの影響が入っていた可能性は否定できない。少年はバモイドオキ神のマークを「ハーケンクロイツ」だと説明している。しかしユングのシンボル学では4は安定の数字でもあり、統合の象徴のようにも取り扱われる。
少年は直感像素質者だったそうだ。
確かに入ってくる情報と解釈がめちゃくちゃになっていた可能性がある。しかし「めちゃくちゃさ」は宗教と狂気を分ける基準にはならない。キリストも狂人だと見なされ十字架にかけられたのだ。ユダヤ教にも先行の宗教があり、完全なオリジナルではない。
だから、バモイドオキが宗教になりえなかったのは、教義が作られた仮定が狂っているからではない。単に、教義が他人と共有されなかったからだろう。「酒鬼薔薇」という彼が作った人格が創造した教義を誰かが再解釈すれば、作った本人の意思とは関係なく宗教として成立する可能性は否定できない。教祖誕生である。
かつては「人知を越えたところにも何かがあるかもしれないな」というのりしろのようなものがあり、「妄想」の領域も扱うことができた。中には「意味」というフィルターを通さずに、混乱に満ちた現実をダイレクトに直視してしまう人たちがいる。ただし、多くの人は単に混乱を再生産するだけで、これが人に伝わるのにはまた別の要素が必要になるのだろう。
書き直し(2012.3.24, 2013.7.28)