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杉田水脈議員はなぜ叩かれ続けなければならないのか

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杉田水脈議員がまた叩かれている。この人はおそらく叩かれ続けるために歳費をもらっているのだろう。有権者は杉田さんを「いつでも叩ける公人」として囲っていることになる。ある意味贅沢なおもちゃだ。また、この人の絶対に謝りたくないという勝気な性格がさらに「ああ、叩いても壊れないだろうな」という妙な安心感を与える。

きっかけは些細なことだった。玉木雄一郎国民民主党代表が「姓が変わるから結婚できない」という女性の声を紹介した。実際には「女性側からのていのいいお断り」だった可能性もあるし「一人娘なので家を継がなければならない」という差し迫った事情もあるかもしれない。だが、立憲民主党にしても国民民主党にしても今の社会制度にうっすらと不満を持っている人たちを取り込んでサポーターにしたいという動機がある。多様性を前面に押し出した選挙キャンペーンを展開している。それに対して思惑通りに「だったら結婚しなくてもいい」という野次を飛ばした人がいるのだ。それが杉田さんだった。つまり杉田さんは野党の選挙キャンペーンに自ら進んで協力したのである。

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自分の立場を正当化するために議論をしかけてカウンターを待つというのはよくあるやり方だ。ネットではこれを釣りという。その意味では杉田さんは進んで玉木さんの撒いた餌に釣られたことになる。

ところが世間は面白い反応を見せる。この一連のやりとりで玉木さんを支持する声は上がらなかった。だが、杉田さんバッシングの「空気が蔓延」する。考えてみればこれは面白いことである。世間は変わるために誰かを応援するという気持ちは持たないが、誰かを叩きたいという強い欲望を持っている。日本の政治にはリーダーシップがなく変革は起こらない。だがリーダーがいないくても誰かを集団で叩くことはできる。

最近、国会中継をあまり見なくなった。見ても質問だけ聞いて答弁は音を消すことが多い。安倍首相は「問題はありませんから謝りません」というばかりだからだ。さすがに一年以上もこんな状態が続くと私のような鈍い人間でも「国会の議論で問題は解決しないんだな」ということに気がつく。すると国会に問題解決を期待しなくなる。日本は変わらない。だが鬱憤はたまる。杉田さんはそれを晴らすターゲットになっている。

社会には「自分にぴったりあった選択肢がない」という不満が渦巻いている。ところが政治がこれを作り出しているわけではないので特に行き場がない。今回の件は夫婦別姓を阻む壁に杉田さんを割り当てた。解決策を提示しないテレビでもこうやれば視聴率を稼ぎ広告枠を売ることができる。

この意見が杉田さんの本音であったとは考えにくい。おそらくはこういうことをいうと喜ぶ人がいるという成功体験があるのだろう。

おそらく日本の男性たちは「生産性を上げてもっと稼がなければならない」が「そのためにはあなたが変わらなければならない」と言われ続けてきたはずである。おそらく何の支援もなく結果的に負けた責任を負わされる。その同じ時期に蓮舫さんのような人が「日本は変わらなければならない」というメッセージを発信し受け入れられていた。おそらく自分の境遇とこのメッセージを重ねた人は多いはずである。だが、この段階では自分の不満と蓮舫さんは結びつけられない。それは言いがかりだ。

杉田さんのような女性がもてはやされるのは、女性の立場から「男性社会は変わらなくてもいい」「問題などはありはしないのだ」と言ってくれるからだ。こうして民主党を叩き悪夢と決めつけることで自分たちの立場を正当化できたと感じた人も多かったのだろう。杉田さんはそもそも偽りの因果関係でメジャーになりそして偽りの因果関係で落とされようとしているのだ。

これは今までのシステムから利益を得られなくなった「失われた人たち」と今までのシステムからそもそも利益を受けてこなかった「得られなかった人たち」の代理戦争だ。誰かを叩いても変わるものではないが、誰かを叩かずにはいられない。

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杉田さんは「失われた人たち」からの支援を受けており、現在の自民党に創造力はなく、有権者も政治のリーダーシップには期待しない。だから杉田さんが「生産性の高い議員」になれる道はない。このまま失われた人たちの代理に得られなかった人たちに叩かれ続けるか議員をやめるしか道はないだろう。おそらくエア電話に逃げた杉田さんは議員をやめることはできないのではないだろうか。

この問題で長島和久議員が流れ弾に当たっていた。おそらく長島さんはこうした隠れた怒りがどの程度蔓延しているのかということに無頓着なのだろう。長島さんもまた評論家風でリーダーシップのない日本の政治風土をよく表している。風まかせで漂い、自分に近いいろんな人をふらふらと褒めて回っている。人当たりがよく立ち回りがうまい人は生き残れはするだろうが、何かを成し遂げられるかはまた別の話だろう。

こういう時にはポエム小泉を見習ったほうがいい。朝日新聞によると「私は常にポジティブだ」とポエムな回答をしている。具体的にどうするのかと聞かれても何も答えられないだろうが、そもそも中身のない話なのでこういうぼやっとしたことを言っていればいいのである。小泉さんを見ていると、どうせ何も変えられないだろうが「こういうぼやっとした人の方が生き残るのかなあ」とも思える。

人々が求めているのはピコピコハンマーを向ける相手であり改革には期待していないだろう。玉木さんはこれが成功体験になってしまったと思うのだが週刊文春は「玉木さんは使えない人だ」と書いている。国民新党をまとめて合流に持って行くことができなかったからだ。おそらく玉木さんは党内にリーダーとしての基盤を持っていないのかもしれない。このままでは国民新党は「単に小さなピコピコハンマー」で終わってしまう。もし国民新党がピコピコハンマーから脱却したいなら参議院で具体的な政策を提案していた大塚耕平氏を代表に充てるべきだと思う。

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