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ITに詳しくない人に贈る菅官房長官のシンクライアント発言の読み方

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安倍首相が参議院決算報告の中で「シンクライアントだから記録は復元できない」と発言した。これがテレビに乗ったものだから国中がシンクライアントに湧いている。

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「そうかシンクライアントは過去の記録を復元できないんだ」と納得する人はおらず、ITに詳しい人は「そんなことあるかいっ」と突っ込みを入れているだろう。この程度の言い訳で通ると思っている人たちが日本のIT行政を支え事業再生ファンドを監視しているのかと思うとちょっとうすら寒い気がする。

どうでもいい話だが、昔はホストコンピュータと端末という言い方をしていた。ところが現在では使用者が主人なのにコンピュータがホストではいけないということになっていて、端末をクライアントといいホストをサーバーと呼び変えている。政府がやっているのがどういう計画なのかはわからないが「シンクライアント(薄いクライアント)」というより昔の端末型に戻そうとしているような印象を持った。現在はホストをさらに分散してクラウドにしょうという時代なので、完全に逆行している。テレビで元官僚の人が「長期計画なので本当に内閣府がこの体制になっているかはわからないのでは」というようなことを言っていた。こうなると野党はシュレダーに続いてコンピュータを見に行かなければならない。

ここで悔やまれるのは野党にもおそらくIT知識を持った人はそんなに多くないという点である。Twitterでは「ロードバランサ」などの図表を出して「シンクライアントシステム」について解説している野党系政治家のつぶやきを見かけた。おそらくPCのハードディスクデータが復元できるという知識は持っていて、そこから延長してクライアントサーバーシステムを理解しようとしているのだろう。日本のIT行政は野党が政権を取っても与党のままでもお先真っ暗である。

ただ、菅官房長官の発言を聞くとわかる通り実はそんなに難しい話ではない。菅官房長官は「削除されたデータは復元できない」といっているだけで「お花見名簿を全て削除した」とは一言も言っていない。

 ――そうなると、もうサーバー内にも電子データは残されていないのか。
 「今、私が申し上げたとおりだ」

「データ復元不可」のシンクライアント方式 桜を見る会

この「今申し上げた通り」は「削除されたデータは最大8週間で回復できなくなる」ということなので、実はサーバー内に電子データが残っていないという質問には答えていない。いわゆるご飯論法である。裏返すと多分残っているのだろう。報告を受けていないから知らないと防衛するつもりのようだ。

「私は承知していない。ただ、運用事業者によれば、サーバーのデータを破壊後、バックアップデータの保存期間を終えた後は、復元は不可能であるという報告を内閣府から受けている。詳細は事務方にお尋ねいただきたい」

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あとは事務方に「口を割るなよ」といっておけばいい。おそらくは菅官房長官は聞かなかったことにしているものと思われる。

さらに運用をやったことがある人なら「サービスレベルとしてバックアップから復元する」ところまでは保証しているけれども物理ディスクをさらってデータを復元するという契約にはなっていないんだろうなあというところまではわかるはずだ。断片的にデータが残っていたとしても全部は復元できないかもしれないからである。業者にはそこまで言わせておいてあとは「復元できないと聞いた」といえばいい。

お花見名簿問題は財政規律が緩んでいる現象であって原因ではないので、この線をつついても特に問題が解決することはないだろう。予算報告で自民党と公明党はさらなる「おねだり」をしていたし、野党も財政規律問題を追求したくないはずだ。自分たちが政権を取った時にばらまけなくなる。左派リベラル系の人たちは政府の支出拡大に期待しているはずだから野党は財政規律問題そのものを追求できない。

ではこの問題の本質はどこにあるのか。第一の問題は政治家のITに対する知識が恐ろしく貧弱であるということが露呈したという点であろう。これはみっともないではすまされない問題だ。

官僚は政治家に対して同じ言い訳ができてしまう。官僚が何か不始末をしでかしても「記録が残っていないからわかりません」と言えてしまうのである。おそらく安倍官邸はこれを深く問い詰めることはできなくなるはずだ。官僚は「8週間経ったことは記憶喪失にしてもいい」というカードを手に入れたことになる。

国会の役割は行政府を監視することなのだが、随時監視はできないので単年度主義といって年間で計画を立てて監視することになっている。「8週間経ったことはなかったことになる」となれば8週間以上(つまり年間単位)の監視はできなくなる。安倍政権は政権中枢を守るという近視眼的な目標のために国会の機能を根本から破壊してしまったのだが、誰もそれに気がついた様子はない。

ただ、菅官房長官はおそらくこのことに気がついているのではないだろうか。あとは政権に魂を売渡すか最後の良心を見せて愛国者となる道を選ぶかの二者択一だと思う。そんなに難しい選択肢ではなさそうだが、日々の言い訳に忙殺されているうちはとてつもなく困難な二者択一だと思い込むかもしれない。権力とは恐ろしいものである。

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