日経新聞が面白い記事を出している。野党支持者は石破茂を新しい首相候補として推しているというのだ。最初に野党支持者が石破さんを推すと石破さんの自民党の立場が悪くなるのではないかと思った。
しかし記事を読んだあとに別のことが気になった。今の日本(日経読者だけなのかもしれないのだが)には三つのセグメントがあるんだなあと思ったのだ。
- 現状維持を望む人たち・自己肯定感が得たい人たち
- 現状は変えて欲しいと思っているのだが、野党のような破壊的な変革は望まない人たち
- 政策には興味がなく「感じがいいお飾り」が欲しい人たち
石破さんはおそらく現状に不満があるが破壊的な変化を望まない人を代表しているのであろう。ここからわかるのは「ある欠落」である。政策ベースの対立と劇的な変化という選択肢がないのだ。つまり、みんな漠然とした不安を感じつつも今の状態が続けばいいと感じているのだろう。
民主党系の野党に期待する人はもう多くないのだろうと思う。枝野幸男さんの支持はあまり伸びていない。枝野さんにも政権奪還の意欲はないとみたほうがいいだろう。日経新聞は枝野さんが石破さんと共闘したがっているというようなことを書いている。つまり、枝野さんも支持者たちを怒らせないで政権さえ取ればそれで良いのである。
Twitterを見ていると全く別のセグメントがある。れいわ新選組の山本太郎が立腹しているという話も聞く。野党共闘・現状破壊という欲求が広がっているのだ。だが、彼らが政治的なムーブメントを起こすことはなさそうだ。
いずれにせよ、グラフの向きを見ると2019年5月から11月のレンジでは政権にいる安倍首相と小泉環境大臣の支持が下がっている。リーダーシップを発揮するということはそれだけ失敗するリスクを背負うということである。枝野さんや菅官房長官はその他扱いなので平均値だけが表示されているようだ。リーダーと実務者というのもなぜか明確に区分されているようだ。枝野さんはやはりナンバーツーという印象が強かったのかもしれない。
こうしてあたらめて図表を見ると「劇的な変化を望まない」というゆるふわな現状肯定感が2019年の日本の政治の空気だったことになる。アジア・ヨーロッパ・アメリカに広がる過激な政治的争いの対極にあるのは、日本が豊富な「借金力」を背景に財政問題を先延ばしにしているからである。
現状を変えようとすると支持者から離反されることになる。小泉進次郎環境大臣は外野から政権を評論している時には人気が高かったが「がっかり」されているようだ。人々はなんとなく変えて欲しいのであって「自分たちは決して動きたくない」のだが、そんなことは無理なので改革志向の人は潰されてしまうのだ。また、安倍さんがそうだったように政治経験がないほどリーダーとしてふさわしいと見なされてしまうということがわかる。日本人は失敗を許容しないので経験不足のリーダーを選び、応援も理解もせずに勝手にがっかりしてしまうのである。
自信をなくしているが肯定感は得たい。安倍さんの支持率が高いのは一貫して「日本はもう大丈夫だからなにもしなくていい」と言い続けているからなのだろう。なんの根拠もないが承認願望こそが安倍政権永続の秘密だ。衰退する日本にふさわしい首相とも言える。
こう考えてみると、野党支持者が石破茂さんを支持する裏には「石破さんが政権から外されていて何もしていない」という幻想が隠れている可能性があることになる。つまり、石破さんの最大のリスクは「まかり間違って政権をとってしまうことだ」ということだ。
2009年に民主党に飛びついて政治から離反した人たちも政策を批判するだけの評論家に期待して勝手に失望した人たちだ。野党支持者のみならず多くの日本人が同じような錯誤を繰り返している。
おそらく重要なのは過ちを繰り返している間にどんどん時計が先に進んでいることなのだが、おそらくあと一世代くらいの時間はあるだろう。20年か30年は破綻しないかもしれない。
日本人の有権者は一貫して「政治は何もしない」ことを望んでいる。何もしなければ失敗することはない。失敗しなければ自己肯定感が損なわれることもないのである。主権者として明確に何もしないということを決めているのであれば、それはそれなりに評価すべきかもしれない。誰かから盗んだ金ではない。過去の蓄積に支えられているのだから、せいぜい楽しめばいいんじゃないかという気もしてくる。
ただ、過去の蓄積のある今ならいろいろやり直しもできるだろうが、おそらく問題が露呈する頃には取り返しがつかなくなっているはずだ。つくづく世の中はうまく行かないものである。