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イスラエルにみる強いリーダーシップの失敗と日本への応用

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イスラエルが大変なことになっている。3度目の総選挙をやるそうだ。右派のリクードと青と白がどちらとも安定的な過半数を取れず組閣ができなかった。二回やってもダメだったのでまた総選挙をやるという。

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イスラエルと日本には奇妙な一致点がある。つまりイスラエルの事例は日本の政治を分析するためのフレームワークを提供してくれるのである。日本の場合は党派性に支配されていて冷静な議論はできないのだが、イスラエルは外国なので幾分冷静に判断ができる。

もう一つの共通点は「イスラエルの政治制度は強いリーダーシップを志向しない」という点だ。選挙制度が一院制の比例代表なので巨大政党ができにくいという特徴がある。イギリス統治時代からある制度を基にしているようなのだが「イギリスの陰謀」ではないようだ。イスラエル議会はクネセトと呼ばれるのだが、多様な人たちが少数政党を作って話し合う。内閣も多数決だという。イスラエルは世界各地からきたバックグラウンドが異なるユダヤ人によって作られた国家だ。そんな国をまとめるにはいろいろな人たちの貢献が必要だったということなのかもしれない。

ところが、独立後に国づくりに貢献した旧世代のシモン・ペレス首相がパレスチナ系の反発を抑えられなくなった。その反動として強い首相であるネタニヤフ首相が誕生した。もともとあったアラファト議長との融和路線が否定され対立に転じたわけである。当時ペレス首相はノーベル平和賞も取っているのだが、その数年後には首相の座をネタニヤフさんに奪われてしまった。

イスラエルでは首相公選制が敷かれたようだが、今はなくなってしまっている。政治制度を操作しても強いリーダーを社会が扱うことができなければその制度はやがて設計した通りに暴走しだすということになる。もう少し詳細に考えれば制度と文化がマッチしないと暴走するということになる。そしてたいていの場合、文化が当事者たちに意識されることはない。

途中経過を見ていないのでなんともいえないのだが結果的にはネタニヤフ首相は汚職容疑が何度もささやかれるようになり、疑惑を追及されないためには首相でい続けなれけばらなないということになった。これが返って閣内協力者の離反を招き膠着状態に陥った。日経新聞によると「在職中の起訴は初めて」なのだそうだ。

日本の場合も経緯は違っているが実は同じような道をたどっている。もともと自民党というのは派閥の共同体である。つまり強いリーダーを作らず派閥ごとの譲り合いで首相を決めていた。ところが自民党が国民からの支援を失うと内部がまとまらなくなり一部の派閥は外にで別の派閥は他派閥の利権を奪うような動きに出るようになる。こうして「多数派の融和」が「決められない弱腰である」と評価されるようになると、強いリーダーシップが求められ戦後初の安倍首相が誕生した。

保守傍流を勝利に導いたのは小泉首相なので安倍首相はその受益者ということになる。さらに官邸主導型の政府を作り一定の成功を収めた。

最初こそ調子よく見えていた安倍首相だが次第に無理な政権運営が目立つようになる。国会答弁は嘘だらけになり資料も隠される。最終的に行き着いたのが「花見騒動」だが実は何でもよかったのだろう。あまりにもわかりやすい形で彼らのお友達優遇が可視化されてしまったので大騒ぎになっている。冷静に見ていると安倍首相が好き放題しているというよりお友達が暴れているようだ。安倍首相はどちらかというと「私の内閣の統制が取れていない」という感じになっている。最近では菅官房長官すら疲れていて、自身が問題を否定した後に官僚が肯定する答弁をするというように無茶苦茶になっている。

有権者の一部も野党も政権は取れない。だから自分たちのやりたいことはできない。その代わりに彼らが一番やりたいこと(憲法改正)をやらせないという「意地悪戦略」は使える。これが我々の日本社会が持っている文化的コードである。日本人は意地悪による縛りあいに慣れており、強いリーダーには慣れていない。私たちの作ってきた「政治主導」というプログラムは意地悪が好きという文化的OSに乗って、実は設計どおりに動いている。

  1. 危機
  2. 強いリーダーシップ
  3. 反発
  4. 膠着

文化コードが違う韓国では対立が永遠の報復合戦に発展する。韓国の場合は朝鮮民主主義人民共和国と対峙するという危機から強い軍事政権が作られ、その反発から出てきた革新勢力が10年ごとに政権を分担するというような感じになっている。政権を取った側が強い検察力を使って相手権力の残滓を破壊するというようなことが延々と繰り返される。さながら二つの王朝の報復合戦である。南米でも保守軍事系政権と革新系政権が永遠の報復合戦を繰り広げるということはさほど珍しくない。

日本にも首相公選制の議論がある。経済的な衰退と中国の台頭が危機意識になっていて、反動として力強いリーダーを望むのだろう。官邸主導や政治主導というのもその一環だったのかもしれない。ただこの制度はたとえ導入されたとしても政治的膠着を作るだけだろう。強いリーダーに権力を委託するという習慣がない社会における強いリーダーは軋轢をうむのだけなのである。日本には協力をして一つの大きな塊を作ろうという文化的背景がないからなのだろう。

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