Twitterの政治議論にうんざりしており「議会政治の終わりだ!」みたいなことばかりを書いている。と同時に「そんなことばかりを書いていても意味がないんじゃないか」とも思う。そんななか自転車を修理していて「政治議論に足りないのはこれだな」と気がついたことがある。今日はそれについて書きたい。
定式化するとポイントになるのは次の3点だが、なんのことだかわからないと思う。
- アローワンス(余裕)
- 適切なサポート(支援)
- リソース(資源)
自転車を放置してある。1年ほど前にパンク修理をしたのだがまたチューブが破れてしまったようだ。やってもやっても壊れるので、ついに嫌になって放置してしまった。半年ほど乗らなかったのだが気になって仕方がない。ついに意を決してパンク修理をしようと思った。そこで取り出していろいろ調べているうちにブレーキケーブルが切れてしまった。
気持ちも切れた。
Vブレーキを外し「もう捨ててやる!」と思ったのだが、まだなんとなかるかもしれないと思っていたのだろう。一応自転車屋に話を聞きに行った。
不安な面持ちで見積ってもらった。「全部で8,000円ほどかかる」という。捨てるのは1,000円だそうだ。不安になるのは自分で自転車の仕組みがわからないからである。全部自転車屋の言い値になってしまうのでいちいち不安になるうえに、まだなんとかなるのではと思ってしまうのだ。
失敗したら捨てればいいんだからまずはやってみようと思った。車輪を外すことから始めたのだが、これすら一人で自分でできないと思っていた。レンチが必要だったが簡単に外れた。「ああ簡単に外れるんだ」と思った。ただ、道具は必要だ。
さらに運もよかった。次に対応してくれたのは店長さんが良かったのだ。「インターネットを見ればなんでもできちゃいますからね」などと口は悪かったが、必要なことはちゃんと教えてくれたのである。ただ「素人だしわからなくてもいいや」と思われたのかあまりしつこくは言わなかった。後から考えると「口数は少ないが必要なことだけ教えてくれる」人はとても重要だった。
外したタイヤチューブを持って行くと、チューブ代は1000円だと言われた。劣化するとパンクしやすくなるそうだ。まあ当たり前の話ではある。まあ1,000円くらいなら出してもいい。
持って行ったワイヤのカワを見せると、ワイヤー(内部・インナー)と外のカワ(アウター)を合わせて700円だと言われた。アウターワイヤーは一定の長さに切って終端子をつけてもらわなければならない。これはサービスでやってくれるそうだ。
最初に見積もられた時には「うーん、自分でやるのは難しいかなあ」などと言われたのだが、とにかく最初から持って行けばよかったのである。さらにインナーは最後に自分で切ってキャップをつけなければならないという。ネットでは専門工具が必要と書かれていたが「ペンチでも切れますよ」という。
口数の少ない店長のアドバイスは言っていることがさっぱりわからない。できるところまでやってみてできなかったら相談してみようと思っていた。
ところが通してみたら意外とすんなりと通った。Vブレーキも変えなければならないと思っていたのだが、つけてみたらなんとか使えるようである。
さらにアドバイスが要所だけを押さえていることもわかった。ペンチではやはり切るのが難しい。だんだん切り口がほつれてくる。それでも思い切ってやることでほつれを最低限に抑えた。そうしないと終端キャップがはめられなくなるのである。
多分、ここまで書いていて自転車を知っている人は「何を言っているのだ」と思うのではないかと思う。それくらい簡単なことである。しかし、やってみなければイメージすらわかないことが多い。自転車屋がいろいろ言っている注意点の意味はさっぱりわからなかったのだが、やっているうちに「ああ、これね」とわかることが多かった。最初のお兄ちゃんは「特にVブレーキはバランスの取り方が難しい」と言っていたのだが確かに難しい。Vブレーキの部品もバネがダメになっているので替えたほうがよさそうである。とにかく外し方・付け方と費用はわかった。
ここでまとめると次のようになる。
- やったことがないと不安になる。不安になると疑心暗鬼になる。しかし、やると失敗する可能性があるので「失敗してもいい自転車」が必要だ。
- ネットだけでは全ては解決できない。経験を積んだ支援者が必要だが、口うるさくいろいろ言わない人のほうがいい。
- さらに必要最低限の材料と工具が必要である。つまりリソース(お金)が必要だ。
自転車は完璧には修理できなかったので「意味がない」のかもしれないのだが、どういう仕組みになっているのかということはわかった。
それとは別に、何でも「リソース・サポート・アローワンス」が重要なんだなということに気づけたと思う。つまり、失敗しても誰かがなんとかしてくれるという環境で必要なリソースを割り当ててもらいながら自分でトレーニングしないと技術を習得することができないし、情報も評価できないということである。
例えば、自分で組織をマネジメントするなどというのは技術の中では一番難易度が高い。日本は効率的な学校運営の観点から生徒・児童に自治的な活動をさせない。課外活動でマネジメントを学ぶ子もいるだろうが、最近は忙しすぎて失敗もできないために全くマネジメントを学べないまま大きくなる子供がたくさんいるはずである。つまり、リソースも援助も少ない状況にあり、そもそも失敗ができない。
そんな中で人々は氾濫する情報に曝される。世の中には政治課題に関する話題・評価・意見が溢れている。まったく自治経験がないのに情報だけがたくさん降ってくれば、それは不安になっても当然だなあと思った。そして、その不安から怒り出す人も多いのだろう。定年退職して「部下がいます」くらいの人の中にも政治的定見のない人は多い。日本人がいかに組織マネージメントと縁遠い暮らしをしているということがよくわかる。効率のなのものとにとにかく何もさせない社会なのだろう。