安倍政権が歴代最長の政権になったという。安定しているならめでたいことなのだが、世間は花見疑惑で大騒ぎになっていてお祝いムードはない。記者たちは菅官房長官に「次は俺だ!」と言わせたいらしい。安倍政権にうんざりしているのだろう。
安倍政権は民主党へのルサンチマンからできた政権だが、その過程で「まともな政治」への憎悪を利用したように思える。国会議員は「天賦人権を国民に認めるのはおかしい」と言いだしたのだが、このめちゃくちゃさがこれまで政治から排除されていた層を取り込んだ可能性があると思う。政治は問題を提起するがそれは自分たちの気持ちを不安にさせるだけであって実は問題などありえないという独自の政治的な空想を作り出した。こうした人たちが積極的にTwitterに参加することで日本の政治言論空間はかなりゆがんだと思う。
先ほどQuoraで書くために桂政権について調べたのだが、戦前の日本史は次のような進み方をしたらしい。調べたことがなかったので割と面白かった。
- 伊藤博文がヨーロッパを真似て議会政治を始める。
- 貴族西園寺公望が伊藤博文の後を継いだが実権は「平民」原敬が握っていた。これと対立する形で桂太郎(明治維新に参加した武士でのちに日清戦争に出征した軍人)が藩閥政治を代表するようになる。この時代は桂園時代と呼ばれた。大正時代はほぼ桂園時代と重なる。
- 旧体制が行き詰まり昭和になる頃に男子普通選挙が導入される。しかし、やがて劇場化して行き詰まり全体主義的な体制に移行したのち破綻する。
つまり、桂政権が長いというのは「それだけ複雑な状況をまとめきれなくなっていた」ということを意味する。対立に陥った彼らは庶民を味方につけようとするのだが、庶民は政治的な組み立てをしない。最終的に劇場型政治に陥ったのちに破綻することになるのである。
その意味ではSNS世論を背景に「旧来のインテリ政治」を攻撃する手法は戦前の普通選挙導入とよく似ている。旧来のインテリの中には、官僚とリベラル政治家が含まれる。「うちら」が嫌いな人たちである。自民党も民主党も「村を持たないうちら」を味方につけようとするのだがやがて泥沼化するだろうということになる。
つまり安倍政治もTwitterの政治議論の惨状も昭和から続いてきた議会制民主主義の終わりを意味するわけである。官僚が主導する体制を攻撃だけしていても新しい体制は生まれないのだ。
民主党もまた「自民党と官僚」が諸悪の根源であるというわかりやすい主張で政権を取っている。つまり、これは議会制政治の行き詰まりを意味している。
具体的にコミュニティがあった千葉市でも2009年に民主党主導の政権ができた。地方政治は二元代表制なので首長色が強くにじんでも不思議ではない。しかし、千葉市はそうはならなかった。2009年選挙は千葉市長の汚職というかなり明確な背景があった。オバマブーム・民主党ブームに湧いており「諸悪の根源は公共事業である」というような風潮のあった年でもある。
千葉市長が無所属で出馬した理由はよくわからない。民主党の他にも市民系の団体と共産党がおり無所属のほうが推しやすかったという事情はあるのだろう。しかし、この無所属は思わぬ効果も生んだ。市長に当選したのち千葉市では自民・民主という対立が起こらなかった。もともと対立を嫌うのんびりした(ある意味いい加減な)気風があるせいもあるのだろうがそのあとで土地開発の赤字補填という問題もあり市議団は一枚岩になる必要があったし自民党市議たちは悪役にならずに済んだ。千葉市は問題解決を優先した(というよりそうせざるをえなかった)のである。
一方で国政レベルの民主党は「ブーメラン」に襲われる。自分たちが批判してきたことで批判されるようになった。
安倍政権は何かにつけて「悪夢の民主党政権」といい続けている。このため民主党系は協力できなくなり(あるいはしなくなり)今に至っている。自民党を応援したくない人たちは様々な問題に触れるうちに「安倍首相さえいなくなればすべての問題はたちどころに解決するに違いない」と思っているのだろうが、実際に安倍首相がいなくなっても問題が消え去るわけではない。同じ問題を批判していた人たちが引き取ることになるだけなのである。そして7年の間も政権打倒だけを目的にしていた人たちが次の日からいきなり政権を担当することはおそらくできないだろう。
おそらく、立憲民主党は政権を狙っていないだろう。枝野幸男さんがどのような気持ちでいるのかを推し量るのは難しいのだがおそらくはかなりやる気を失っているものと思われる。彼を取り巻く人たちは政策には興味がない。国政には対立だけが残ったのである。
立憲民主党は首相の解散権は制限すべきだと主張している。まじめにそう思っているなら「首相を追い込んで解散させる」などということは言わないはずである。
これが「政党政治が終わりを迎えている」と考える根拠である。政治課題解決に活路を見出せなくなった人たちが期待したのがSNSだったのだが、結果的に呼び寄せたのは統制されないSNS民意と対立による膠着だけだったのである。
長かった桂園時代(結局大正時代全体がそのような感じだった)はやがて政党政治に置き換えられてゆく。今の政治を代替えするものが何なのかをあれこれ考えるのは楽しいのだが、それはあまり愉快なものにはならないかもしれない。いずれにせよ「なかなか終わらない安倍政権」に一喜一憂するのではなく、次について考えるべき時期に来ているのかもしれないとは思う。