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1984年を再発見

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古い荷物の中からジョージ・オーウェルの「1984年」が出て来た。これを読んだのは大学生の頃でちょうど1980年代だったと思う。全体主義と思想統制の陰惨さが書かれている。独裁者や統制者をあらわすビッグ・ブラザーというのはこの本がオリジナルのようだ。この用語を使っている人たち自体が思想統制や歴史の正当化を目的にしていたりするので、ややこしい限りではあるが…
この社会では戦争が恒常的に行われており、歴史改ざんの結果「本当に何があったのか、もうよくわからない」状況が出来上がっている。言語すら改ざんされはじめていて反体制的な事は考えることすらできない。Wikipediaに要点がまとめられている。党のスローガンはこんな感じで、矛盾する事が一つのフレーズにまとめられている。これも言語が持つの特性だ。形が成り立てば、そこからコンセプトを作る事ができるのである。

  • 戦争は平和である(WAR IS PEACE)
  • 自由は屈従である(FREEDOM IS SLAVERY)
  • 無知は力である(IGNORANCE IS STRENGTH)

主人公は反体制的な思想を持ち始めるのだが、その端緒は「何も書かれていない本に自分の考えをまとめる」ということだった。最初は自分がどうしてそんなことをしているのか分からない。ただ、徐々に、自分が反体制的な思想を持っていることに気づいてしまう。一度その考えに取り憑かれたらもう止まらない。衝動的に体制を罵倒する言葉を書き連ねる。「書く」ということには、確かにこういう側面もある。
ところでオーウェルはもともと「新聞記事を書くつもり」だったのだが、体験記はあまり売れなかった。結局退潮が悪化し、30代後半から療養しながら、小説を書くようになる。結局46歳で結核で亡くなるまぎわに完成したのがこの『1984年』だそうだ。最後はジュラ島に引きこもり、そのまま亡くなってしまったという。(略歴はWikipediaでも見られるが、翻訳者新庄哲夫のあとがきを要約した感じになっている。)
新庄哲夫が指摘するように、この小説は、折々の脅威に関して使われ、違った読み方をされる。それが漠然とした不安に対する標識になっているからだろう。この小説でオーウェルが生み出したコンセプトが欧米で共通語のように使われるのは、その不安が時代を越えて人々に共有されているからなのだと思う。


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