立憲民主党が参議院選挙を前に「最低賃金を全国一律1300円にあげるべき」という政策を打ち出したそうだ。これを「韓国のように失敗する」と指摘する識者がいる。本当にそうなのだろうか。
まず反対派の声を見て行こう。呆れるしかない最大野党の参院選公約という経済学者の議論だ。全国一律で最低賃金をあげると「韓国のように失敗する」と言っている。理由は小売業・飲食業が伸びているからだという。確かにこの産業は生産性の上げようがない。
実際に韓国では就職活動生を含んだ若者の4人に1人が失業状態にありアルバイトすら見つけられていないという。日本もそうなったら大変だという気持ちはわかる。韓国、最低賃金の衝撃でバイト19万件減少…青年失業率が通貨危機後初の10%台という記事で中央日報が詳しく書いている。
ではなぜ韓国では最低賃金の引き上げが失業率を押し上げたのだろうか。それは韓国の経済が単純だからだろう。就職できない人たちが周囲からお金をかき集めて「とりあえずできる」事業を開始することが多いのだという。レコードチャイナが韓国のチキン屋は世界のマクドナルド店舗より多い?韓国自営業の問題点に、ネットも共感という記事を書いている。
韓国では外食産業が簡単に始める人が多いが、生き残るのは30%程度だという。実際に韓国のバラエティ番組などを見ていると、お兄さん(ヒョン)に投資してもらって店でも出そうかという話が頻繁に出てくるし、実際に店を始めるリアリティショーなども放送されている。単純な経済で働いて生きて行こうと思えばとりあえず始められることをやるしかない。ちょっと料理が得意な人がいれば「店でも出せるのではないか?」ということになるのだろう。背景には選択肢の少なさという問題がある。つまり産業が単純化し「一歩間違えば砂漠になる」というところまで来ているのだ。
では最低賃金の引き上げは必ず失敗するのだろうか。デービッド・アトキンソンが全く違うことを言っている。イギリスでは成功したというのである。最低賃金の引き上げが「世界の常識」な理由を読んでみよう。
デービッド・アトキンソンは生産性と最低賃金には正の相関関係があるという。ただ、この記事では「最低賃金をあげたから生産性が上がった」というロジックは書かれていない。つまり、生産性が上がったから最低賃金が上げられたのだということも考えられるし、もともと生産性が高い労働が準備されていて人がそこに移ることができたということなのかもしれない。この文章は途中の議論がスキップされていて(続きは本を読めということなのかもしれないが)問題が多い。
労働政策研究・研修機構がイギリスの最低賃金制度について詳しく分析(PDF)しているのだが、これを展開したウェブ記事は見つからなかった。イギリスではどうやら職種や年齢ごとに細かく最低賃金が規定されているようだ。
つまり、最低賃金保証制度の肝はばらつきを抑えることにあるような印象を受ける。こうすれば日本にあるような歪な二極化はなくなる。一部の終身雇用正社員が非正規雇用を「搾取」するような低賃金労働に依存するというようなことはやりにくくなるだろう。さらに最低賃金は政府保証から企業負担(つまり福祉から就職)という流れに位置付けられているらしい。自立更生を促しているのである。
国は面倒見切れないから自分たちでなんとかやっていって欲しいという方針には反対もあるようだ。最低賃金を引き上げて福祉を削るというような記事もでていて当事者たちが必ずしもこの「福祉切り捨て」に賛同しているわけでもなさそうだということはわかる。
これを踏まえて、アトキンソンの別の記事「企業に「社員教育を強制」するイギリスの思惑」を読んでみる。日本政府は職業教育を国がやりたがるが、これを企業にやらせようとしていると言っている。これらを総合すると、つまりゲームのルールを厳しくして企業を誘導するのがイギリス式で、今の企業(つまり低生産性)を温存しようとしているのが日本式ということになる。
イギリスは産業を一つのアリーナと見立てて企業同士を競わせている。一方日本では護送船団方式方式で一番弱い企業に合わせて生産性の高い企業に競争をさせないというようなことが起こる。そして日本ではそれでも面倒を見切れなくなると「合併」させて大きくして温存しようとするのだ。
労働政策研究・研修機構の資料に戻ると、イギリスがこのような方式を打ち出した背景には保守党と労働等の競い合いがあるようだ。労働党政権は最低賃金を提案して一度負けているので「アイディアのブラッシュアップ」を迫られた結果として、きめ細やかな最低賃金決定の仕組を創案することができたのである。
労働党は当初、最低賃金額を「所得の中央値の 5割」で固定する方式を採用、92 年の総選挙でもこれを主張したが、失業状況が悪化する中で、保守党の「最賃制度の導入は、雇用に対する悪影響を及ぼす」との主張や、広範な企業からの反対に効果的な反駁ができず、選挙にも敗北を喫した。当時、労働党の雇用担当広報官だったトニー・ブレア(94年に党首に選出)はこの結果をうけて、労使などのソーシャル・パートナーで構成される低賃金委員会の提案に基づいて最賃額の決定を行うシステムへの方針転換を決めた。
第 4 章 イギリスの最低賃金制度
最初にこの記事を書いた時「立憲民主党には新しい産業のビジョンがないことが問題だ」という結論で文章を書き終えた。しかし、労働政策研究・研修機構の資料を読んだあとでは「そもそも政府にそんなことがわかるはずはないので、自助努力を促すようにゲームのルールを変える方が実用的である」という感想になった。
「最低賃金1300円」という言葉が一人歩きしているのは大問題だ。年金問題から通しで見るとこれが日本の政策議論の特徴らしいことはわかる。2000万円足りないなどという数字だけが単体で語られてしまい総合政策が作れないのと同じように最低賃金は1300円だいや1500円だという議論がいつまでも続いていて結局誰も何もしない。
その背景にあるのは対論のなさだろう。つまり一度批判され「言い返せないな」と思った時に諦めずに次の案を作れるかが重要なのだ。さらにそのためには「意味のある反論をしてくれる人」を探さなければならない。党首討論のあり方を見ていると、日本の政治家は単に甘えているのかそれとも資質がないのかはわからないが、いずれにせよ対論というものが存在しないということだけはわかる。
もっとも、政権を取るつもりのない立憲民主党が真剣に最低賃金を議論しているとは思えない。彼らは「最低賃金を1300円に上げたいが自民党が邪魔をしている」と言い続けるだけで一定の得票ができるからだ。れいわ新撰組はさらに過激で「政府保証により1500円を目指す」と言っている。つまり賃金を国が保証しろと言っている。つまり、イギリスと違ってすべて国がまる抱えしろと言っていることになる。ただ日本には政治的対論者はいないので、彼らがここから脱却することは多分できないのだろう。