今日は国会議論がなぜかみ合わないのかという話を書きたい。日本人が本質的に議会議論ができず党派対立に夢中になってしまう様子が嫌という程よくわかる。
党首討論の議事録を精査したところ、首相は「マクロ経済スライドを廃止し、将来の受給者の給付が減らないようにする上においては、七兆円の財源が必要です」と答弁している。
— 志位和夫 (@shiikazuo) June 20, 2019
これが事実とすると、「マクロ経済スライドで奪われる年金が七兆円」という極めて重大なことになる。説明を求めていきたい。
実際に録画してあった党首討論を聞いてみた。確かに安倍首相は何回も7兆円と口にしているので言い間違いではなさそうである。共産党は「高額所得者からとれば1兆円くらいはなんとかなる」と言っている。それを7兆円足りないからダメだと答えているのである。予算の話なので1兆円は1年間に捻出できる額と考えてよいだろう。
ところが何回聞いてみても「どういう算出根拠で出てきた7兆円なのか」という説明はない。そこにどうとでも解釈できる余地が生まれる。折しも2,000万円足りないとかいや3,000万円だというような話が飛び交っていて国民は年金に不安を持っている。そんななか7兆円足りなくなるのではないかというのはインパクトのある話である。他にも新聞では年金資金が14兆円溶けたというような見出しが飛び交っている。知れば知るほど不安になってしまうのである。
さらに、安倍首相は今後の年金支給額の判断を選挙の後に発表しようとしている。選挙期間中は何も説明しないだろう。これも「安倍首相は何か隠しているに違いない」と国民を不安に陥れる効果がある。
問題は不安を煽るだけ煽っても解決策に全く結びつかないところである。そこで与党を信じたい人は「野党は不安を煽って対案を出さないから、そんな話は聞かなくていいのだ」と言ってすべて耳をふさいでしまう。一方野党支持者たちは大変だ大変だと騒ぎ続ける。
ではこの7兆円という話はどこから出てきたのだろうか。新聞などを検索してみたが記事は見つからない。唯一見つかったのはWikipediaだった。
2004年の導入以来、物価上昇率の低迷が続いたことから、マクロ経済スライドによる年金額(780,900円×改定率)のほうが、物価スライド特例措置による額(2012年度は786,500円)よりも低くなっているので、実際の年金額は、物価スライド特例措置による額が続き、結局マクロ経済スライドは2014年度まで一度も実施されなかった。このため、当初からマクロ経済スライドが実施された場合の想定よりも約7兆円も多く年金給付を行っていて、厚生労働省の想定を上回るスピードで積立金の取り崩しが進んでいる。
マクロ経済スライド
どうやらマクロ経済スライドを導入する前に7兆円払い過ぎていたという計算があったようだ。これが、安倍首相の言っている7兆円なのかはわからないのだが、これならつじつまは合いそうである。ただ、この7兆円は単年度の話ではない。
小学校で「何かを比べる時には単位を揃えましょう」と習う。安倍首相はお手伝いさんに宿題をやらせたためなのか小学校の算数が習得できていないようだ。「ああ、共産党か面倒だな」という気持ちも透けて見える。
新聞にはぜひ「7兆円の根拠は?」とか「実際にいくらい減るのか?」聞いてみてほしいのだが、官邸の御用機関になっている記者クラブにそれができるかはわからない。「今は言いたくないらしいから聞かないでおこう」と忖度しているのだろう。
ところが、共産党も負けてはいない。そもそも相手が議論を面倒臭がっているということもわかっているし、新聞社が「ファクトチェック」をやらずひたすら永田町という村の事情ばかりを追いかけていることもわかっているのだろう。さらに有権者も議論の中身には興味がない。つまり日本人はそもそも議論には興味がない。興味があるのは議論に勝つことだけである。であれば「思い切り騒ぎましょう」「不安を煽ってやりましょう」というのは共産党として取り得る唯一の選択肢なのかもしれない。
7兆円足りませんよといえば誰か振り向いてくれるかもしれないと考えてこういうTweetを流しそれが支持者たちに広がるという仕組みになっている。共産党は試算を出しているのだから、この7兆円が単年度のものでないということは知っているはずだ。なので注意深く読むと「1年で7兆円足りなくなる」というような書き方はしていない。
この食い違いの元は安倍首相だ。大学レベルの議論だけではなく、多分小学校レベルの算数も苦手だったはずである。彼が政治家としてやって行けているのは「岸信介」と「安倍晋太郎」の孫であり子供であるからにすぎない。世襲というものの恐ろしさを感じる。ただし、こうした人がのうのうと政治家を続けられるのは日本人が小学校の算数レベルの間違いも「おかしい」と思わないからである。我々普通の有権者がそれに気がつかないのはまだ仕方ないのかもしれないのだが、実は新聞社ですらそれを問題だとは思わないところに根深さがある。今、新聞社が関心を持っているのは解散だけである。
日本では政策ベースのマニフェストが全く根付かなかった。だから、この先も漠然とした不安が払拭されない。だから、閉塞した不安な政治状況に向き合うかなかったことにして無視することになるだろう。そんな中でできるのは自己防衛だけなので、ますます誰も消費をしなくなるだろう。結局政治がデフレマインドを作っているのだ。