AERAに載っていたという山本太郎のインタビューを2本読んだ。れいわ新選組「消費税廃止」を掲げる本当の狙い 山本太郎議員に聞く・山本太郎議員、誘われたら安倍内閣の財務相に? 自民と組む条件は… この人「ポピュリストだな」と思った。
これまで「ポピュリズム」について散漫に見てきた。ポピュリズムには決まった定義はなく、それぞれが好き勝手なレッテル貼りに使っている側面がある。なので「山本太郎はポピュリスト」と言っても根拠のない悪口にしかならない。
まずAERAでの山本太郎の主張をまとめてみた。
- 党名は適当に決めた。特にこだわりはないがキャッチーで覚えやすい。肉球を入れたのはかわいいから。
- 野党が支持されないのは増税ありきの財政再建路線だから。それでは魅力がない。
- 財源は国債でも「応分の負担」でもとにかくなんとでもなるから心配するな。
- 減税してくれるなら自民党と組んでバラマキをやっても良い。原発と憲法の問題が合わなくても別に構わない。その代わり俺は暴れる。
- 経済対策費用の50兆円くらいなんとでもなる。とにかく緊縮財政が悪いのだからズベコベ言わずにそれをやめたら経済成長してなんとかなるはずだ。
ここからわかるのは山本太郎が経済や政治には門外漢で、特に経済を「極めて単純に」見ている点だ。国粋主義や民族主義由来ではないのでその意味では「左派ポピュリスト」であるといえる。だがここまで来ると右とか左というラベルにはそれほど意味がない。
だが、山本を見ていると「ポピュリストの何が悪いんだろう」という気持ちにもなる。アメリカではトランプ大統領が台頭し、イギリスでもボリス・ジョンソンさんが首相候補ナンバーワンなのだそうだ。どちらも乱暴な物言いで知られる人である。世の中が複雑になるとテレビ映えする暴れん坊が人気者になる。人はテレビを見て政治を知るからである。
山本が「政党の名前なんか覚えにくいからなんでも良いから覚えやすいものにすれば良いんだ」と言っているように「徹底した無党派目線」である。立憲民主党のキャンペーンサイトには「おしゃれ民主主義」で気取ったところがある。もともと立憲主義という庶民にはよくわからないものを党名に掲げていることから、立憲民主党には「インテリで気取った」ところがある。一方、山本の主張はわかりやすい。つまり、ポピュリストは「大衆が言っていることを同じ目線に立ってダイレクトに伝える」才能があるということもできるのだ。
山本の「財源はなんとかなる」はまぐれあたりする可能性が出てきている。日本の状況を冷静に分析する海外の専門家の中にも消費税延期を言い出す人が出てきた。朝日新聞によるとオリビエ・ブランシャール氏は「私なら期限を定めず延期して、『引き上げられる時期が来たら直ちに引き上げる』と言うだろう」と言っている。山本の「2%になるまでバラマキ続ける」と同じことを言っているのだ。これが非専門家の恐ろしいところだが、一回当たったからと言ってそれが再現するとは限らない。ただ、人々は一回当たれば次を期待するだろう。
このように、専門性のなさと単純化は危険に満ちている。山本はトンデモ法と名付けたいくつかの法律を廃止するらしい。TPP協定、PFI法、水道法、カジノ法、漁業法、入管法、種子法、特定秘密保護法、国家戦略特別区域法、所得税法等の一部を改正する法律、派遣法、安全保障関連法、刑訴法、テロ等準備罪などがそれにあたるそうだ。理解できないものは全て廃止すると言っているのである。これはポピュリストの極めて危険な一面である。つまり、わからないからなんでも反対なのだから、政権に取り込まれてしまえば(彼のファンも含めて)なんでも賛成になってしまう可能性がある。
実際にイタリアでは左右ポピュリストの政権があり内部でバラマキ政策を競っている。日本ではこうしたことは起こりそうにないが、自民党の中の公共事業推進派(MMTを主張するような勢力)と山本太郎が連合して自民党の既存勢力を置き換えてしまう可能性はある。百家争鳴のイタリアと違い権威志向の強い日本では「政権政党自民党」というのは利用できる看板だろう。中から改変する方が簡単なのだ。
その意味では日本会議が徐々に影響力を強め精神的に自民党の一部を「改変」してしまったのに似ている。山本も「自民党と組んでいい」と言っていることからわかるように第二の日本会議になれる素質があるということだ。こうした動きはアメリカでも起きている。共和党は今やトランプ党である。つまり、いったん下野して「精神的な改変」を繰り返す中で山本らの勢力と組んでしまう可能性もあるということになる。
ただ、山本の主張にはポピュリズムに当てはまらないものもある。ポピュリストは内外に敵を作り脅威を煽るものと相場が決まっているのだが、山本の主張にはあまりそれがない。またトランプ大統領のように「あなたたちはすばらしいものの中にいるのだ」という一体感を強調したりはしない。
日本には欧米のような外からの脅威がない。これまで移民を受け入れてこなかったし、EUのように上から国家を抑えつけるような機関もない。唯一脅威として使われているのは「放射能」である。大きな敵を設定しない山本はまだポピュリストの有資格者とは言えない。
山本がまだ組織を持っておらず「運動体を維持する必要」がないというのも重要な点である。運動体を維持するためには革命は進行中だがまだ道半ばであると主張する必要があり、そのためには敵の設定が必要になる。山本にはまだその必要がない。
この「外敵がいない」ということが、山本の勢いが全国規模で広がらない原因にもなっている。自民党を支持する人も野党を支持する人も「これまでの仕組みを継続していってもまだなんとかなる」と感じているのだろうし、選挙に行かない人も多分そう思っているはずだ。唯一騒いでいるのが安倍政権を敵設定している人たちだ。Twitterでは一部「自民党を倒してくれると思ったから寄付をしたのに金を返して欲しい」と言っている人がいるようだ。
山本の運動の核にある動機は「とにかく政治的権力を握るまでは無党派目線にたってなんでもやる」という意欲のようだ。小沢一郎となぜコンパチブルであったのかがわかるとともに、特にやりたいことがなかった小沢一郎のように政界をふらふらとさまよう存在になるのかもしれないとも思う。