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香港のデモは民主主義のモデルになり得るのか?

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香港の100万人デモが一定の成果を挙げた。逃亡犯条例の改正が延期されたのである。勢いに乗った香港市民は200万人デモを行い行政長官が謝罪に追い込まれた。これは民主主義の勝利と言えるのだろうか。

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まず事実関係を整理したい。逃亡犯条例の改正延期、香港政府トップが記者会見で語ったこと。「決定は私が下した」【会見詳報】を参考にした。

  • 法令の目的は、香港が犯罪者の逃げ込み先にならないようにするためのものだった。
  • 中国の直接的な指示はなかった

ところがこの条例案が反発をうむ。中国と香港政庁への累積した不信感が爆発し「一国二制度が潰される」という感情的なレスポンスを生んだわけだ。こうしたことが起こるのは、香港の民主主義が限定的だからである。行政長官の選挙権を持っている人は1200名しかおらず、立法会も直接選挙枠35に対して30名の「補正」が入る。

こうした補正が入るのは「香港の民主主義」に枠がはめられているからだろう。自治権の拡大が「中国分裂」に向けて作用しかねないという事情がある。ところがこの枠が却って反発を生む。

こうしたことは日本でも起きている。日本の議会制民主主義は限定選挙権の時代が長かった。天皇が主権者であることから国民主権は危険思想とされており、加えて社会主義共産主義が現実的な脅威だったという事情がある。このため、徐々に選挙権を拡大せざるをえなくなり、最終的に男子普通選挙が実施されることになる。

戦前には何回かデモによって倒された内閣があるそうだ。桂内閣が日比谷焼き討ち事件をきっかけにして倒され、寺内内閣は米騒動をきっかけに倒れた。日比谷焼き討ち事件は日露戦争の賠償金を取れなかったことが原因になっている。また米騒動はきっかけこそは米価高騰に対する抗議運動だったが、次第に社会主義者の抗議運動に利用されるようになった。無産階級(プロレタリアート)は選挙からは排除されていたのだから当時の民主主義に責任を持つ必要はなかったのだ。

さらに、戦後に普通選挙が実施された後にもデモは起きている。こちらは日本人が関与できない日米同盟が原因になっており岸内閣が倒された。日本人は国政には関与できても日米体制という大枠を変えられなかったということだ。

あらかじめ枠が決められているとデモがおこりそれが沈静化しなくなる可能性がある。これをいいか悪いかで判断することはできない。「参加していない」と思う人はこうした手段に訴える可能性があるという単純な事実があるだけなのである。

ところが面白いことに選挙権を与えて「ご自由にどうぞ」というと却って選挙に参加しない人が増えてしまう。労働組合や各種利権団体に属している人は選挙に行くが組織されていない人は自ら放棄する。その上に年金受給者が既得権益者になっていて彼らも「補正効果」を生み出している。実は香港の政治が「親中派の既得権保持者」に握られているのと同じ状況になっている。

日本で政治から締め出されていると感じている人たちは反原発デモや集団的自衛権反対デモなどを実施してきたがどれも世論の同調を得ることはできなかった。最近では年金返せデモをやろうとしているようだが、もはやニュースバリューを見出すことは難しい。この人たちが締め出されているのは政治ではなく既得権を持った利権集団であり、実は香港とそれほど違いはないのかもしれない。

香港と日本の一番の違いは「一般の人たちも選挙に参加しようと思えば参加できるようになっている」という点である。つまり平時の普通選挙や民主主義には民衆の懐柔策という側面がある。

このように条件が違うのに多くの人たちが香港のデモを支持しているようだ。ある人は民主主義の勝利といい、ある人は経済的に成功しつつある中国共産党に対するアンチテーゼだという。このような投影は日本の民主主義や経済成長が機能していれば起こらないはずである。多くの人が行き詰まりを感じているがそれを認めることを拒否しているのであろう。

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