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なぜ日本ではオリーブの木構想がうまく行かないのか

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安倍政権はこのところかなり失点を重ねているのだが、野党への支持が全く集まらない。野党勢力の応援者はかなり焦っているようである。そんななか「オリーブの木構想」というどこかで聞いたことがある話が出てきた。

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私が知っている「日本版オリーブの木構想」というのは、小沢一郎を中心に野党勢力を集めるという構想だった。なのでそう思い込んでいて、最初はその筋でこの文章を書いた。

ところが実際には新党オリーブの木という全く別の政党ができたようだ、こちらはさらによくわからない。対米自立・消費税5%・ベーシックインカムが柱だという。立ち上げメンバーを見た限り、彼らの主張を党是にしているようにしか見えない。

問題点は明白である。我々は「私たちの望むような国を作ってくれそうな」人を応援するわけであって、誰かの望みを実現するために票を差し出すわけではない。基本的に「なってない」気がする。政治家が自らの願望を押し付けようとした希望の党(政党要件を失ったようだ)と同じようなものである。

もっとも、オリーブの木構想には比例で各野党に配分される票が最大限に活かせるというメリットもある。ではなぜ日本ではオリーブの木構想がうまく行かなかったのだろうか。

小沢一郎さんは政党を作っては壊してということを繰り返してきた。政党というのは彼にとっては野望実現の道具に過ぎない。だが小沢さんにはやりたいことがない。つい最近山田太郎らが自由党から分離(のちにれいわ新選組という別の政党を立ち上げた)したのも原発という彼らにとって大切な政策が小沢一郎には「どうでも良い」ということがわかったからだろう。

小沢一郎さん自身は良い人なのかもしれないのだが、政治家としての小沢一郎は昭和政治が生み出した化け物のような存在である。官僚組織に依存する日本の党人政治家は政策のことを考える必要がなく、分配と数合わせに執着した。そして国民も政策にそれほど興味を持たず分配と現状維持を求めた。ここから脱却して政策型の政治家になれなかったのが小沢ら旧世代の政治家なのだ。

自民党には官僚出身者と政党政治出身者という大きな流れがある。日本の政策を動かしてきたのは一貫して議会ではなく官僚だった。そして政治家は「政治家でいる」ことだけが仕事だった。だから世襲で良かったのだ。官僚が作った利益を地元に誘導するためには与党で議席を持っていなければならない。ゆえに小沢一郎は政権が取れなくなると同時に政治家としての存在価値を失った。

小沢が踏み外したのは日本で唯一政策が作れていた官僚組織から切り離されてしまったうえにそれに気がつかなかったからだろう。国が総力で官僚に人材を集めていたわけだから、小沢が使えるようなシンクタンクはなくて当然である。するとやりたいことがなくなるのから、数合わせ政治は自動的に暴走を始める。小沢さんは国民民主党を手を組んだのだがこれも「我々は政策には興味がありませんよ」という宣伝にしかならなかった。

オリーブの木構想というのはとりあえず期限を決めて政権をとって「それぞれの政策を実現して行こう」という構想のはずだ。ところが日本には政党が政策を作るという伝統はない。だから原理的にオリーブの木は成り立たない。極めて単純な話である。

これは新しく出てきた新党オリーブも同じなのだろう。彼らが政策の柱といっているものは、一人ひとりの自己主張であって集団としてのまとまりがない。日本の政策は「非明示的に」「官僚組織という人間関係の中に」内蔵されているのであって、これが壊れてしまうと日本からは政策立案能力が失われてしまうのである。

しかし、もはや日本の政府は統一された政策は作れない。

最近それが顕著に現れたのが貯蓄2000万円論争だった。金融庁の諮問機関が出したペーパーがそのまま流出してしまい、年金政策との間に整合性がないとして大騒ぎになった。加えて、金融庁と日本郵政の確執が問題になるとますます金融庁が関東軍化しているのが明らかになった。彼らの植民地は地方銀行であり、日本郵政を植民地にする人たちと戦っているのだ。

「官邸主導でやります」と宣言しているのだから、本来は官邸がきちんとまとめるべきだったのだろう。官邸は官僚の政策立案能力を奪ってしまったが新しい政策立案主体は作らなかった。自民党は政権にいながら「小沢化」してゆくだろうという予想が成り立つ。ただ、その自覚はないようなので今後は民主党政権時代よりひどい(民主党もかなりひどかったが)混乱の時代が待っているはずである。

立憲民主党は民主党の行き詰まりを見ている。彼らも政府を否定したいのだが、否定してしまうと対案を出さなければならない。今の政権は問題先送りなので「改革」に着手してしまうと今までの膿が一挙に噴出してしまうはずだからそれまで待てばいい。自分たちで政策が作れない以上、立憲民主党にとってこれは正しい態度である。

幸いなことに安倍政権は世間の反感を買うネタを供給し続けてくれるので、立憲民主党は安倍批判だけでそれなりに支持が取れてしまう。麻生さんや根本さんといった失言おじさんたちが立憲民主党に居場所を与えてくれるのである。

いずれにせよ、日本型の政党政治は官僚機構をぶち壊してしまった時点で機能しなくなっている。あとはお互いに整合性が取れない議論と願望が飛び交うだけになるだろう。

今日は「オリーブの木構想がうまく行かないのはなぜか」というお題だったのだが、実は政策ベースの政党そのものがそもそもなく、願望をリストにしてもそれを実現する官僚組織がないという状態そのものが問題なのだろう。だからいかなる政策協定も成り立たないのである。考えてみれば極めて当然の話である。

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